第4話

 装備を返して貰った彼、ボルグはオッサンの敵を討つという名目のもと、娘のシャルドネを頂こうという計画を企てようとしていた。

 しかし、当てのない彼にはそれを実行する余裕はなく、代わりにあったものは眠り花を一輪にナイフを一個、少々の水と二日分のパンで、オッサンの家から物色してきたロープと干しブドウだけの貧しい手持ちだけだ。

 砂漠と言えば水のないイメージが強いが、水飲み場だって水源だってある。だが、その飲み水に問題があり、一般的には飲みたくない部類に入っている。

 それは浄化もされていない、循環させているだけの噴水のような場所で、飲んでしまえばお腹を間違いなく壊すのだが、現地の人は飲み慣れているせいかコップで掬って飲んでしまう。

 彼は各地を飛んでいたというくらいなのだから、もちろん体の方は丈夫で、免疫力もかなりのもの。その彼が拒否して飲まないのだから、かなり不衛生なところで痛い目に遭ったと見る。

 黄色い山が一つもない、風が吹かない坩堝の中。

 砂が家に入ることを抑えた、枯れて死んだ木々生える地獄の谷。

 生命が活動出来る場所には見えないところだが灌木が所々生えて、畑も砂の家の周囲に点在する。

 決して死体の山はない。

 彼のようにラクダの上からなら景色が違ったかもしれないが、砂に立つ者は誰しも苛酷に思えている。

 幌馬車みたいな荷台を牽引するヒモが体に繋がれたラクダの上に乗る、緑色の服に白いマント姿のおかしな彼は、その苛酷を見下ろした。


 「それじゃあな、オッサン」


 顔の前で手を翳すオッサンにそう言うが、彼は宣戦布告だと考えているだろう。

 オッサンはそれに気づかず、ただただ娘を怪我させないようにして欲しいと願うだけの父親。彼もそれには気づかない。

 オッサンと会話を交わしてから十数分後、気づいたのは娘が外の世界を知らされずに護られていた事だった。


 「楽しみだね、デコちゃん」


 デコ助だけを贔屓にしているのではなく、単に操縦をしている彼の隣は無理という事で話しかけないだけ、という贔屓への言い訳が立つくらいの怒りが伝わる口調で言った。

 そして贔屓されているデコ助は呼び方に対しての怒りを露にしている。


 「デコちゃんって言うなよ!イドガのおっちゃんにも言ってるがよ、俺っちは団長の器も継げんだぜ」


 団長の器というのは団長の座の事だが、継げるというのは、前の夜にオッサンが話していた不都合にあたり、それほどの人間にはなったという成長を表す言葉だ。

 つまり、あそこの少年少女は難民団と呼ばれる組織を狙っている訳になる。


 「生意気だなあ、もう」


 別に彼は女ならば問わない部分もあるが、幼い子ども相手でも男と接するような話し方をして欲しいと思うくらい、焦れったくて焼けてくる心に落ち着きはなく、貧乏ゆすりが止められなくなっていた。


 「あははは、デコちゃん膨らんだ」


 後ろを向けない分、怒りは募っていくばかり。

 談笑が苛立たしいと思うことはあまりないのが人だが、負の面を抱え込んでいれば何もかもが憎くなる、一般的な心理である。

 そんな彼は煙草を吸いたい気持ちがあってもここにはないし、手持ちは出掛ける前とは変わっていないためにより一層の炎が揺らめくが、どうやら彼のそれは他にあったようだ。


 「ボルグくんだったかな。イドガから聞いたよ」


 白髪が混じった頭に沢山の髭がくっつき、伸ばしたままと周りに教えている爺さんが声を掛けてくる。

 彼は眉毛をヒクヒクさせるが、ここで嫌そうな顔を出さないだけでも十分な進歩でも彼の知り合いは誉めるだろうし、酷いときには声を掛けただけであばら骨を三本も持っていったりするので幾分かはマシだ。

 そんな彼は顔を向けずに、引っ掛かる事だけを訊いた。


 「イドガって誰だよ、さっきから」


 髭が鬱陶しく揺れている。

 好きな人は鬱陶しくはないだろうが、彼は生憎にも逆だった。


 「さっきから……?イドガはイドガだからな。説明を乞われてもなあ」


 イドガという人物を説明することに困った爺さんは頬の髭を掻き、何度か唸った後に言葉が出掛けたが、それでもまだ、出てこないと腕を組ながら声を細めて漏らす。


 「団長……だ、な」


 彼は頭を振った。


 「ああ、オッサンの事か」


 何となく理解した彼は不貞腐れているように見えるものの、勘違いのような些細な間違いだ。そんな彼の言葉の意味を理解できない爺さんの方が、もっと不貞腐れて見えている。


 「儂は違う。団長じゃない」


 理解が乏しいのではなく、事情を知っている人の話をただ聞いていただけの爺さんで、これに怒る事はない。しかし、理不尽にも彼は自然のごとく感情が揺れるため、触れれば爆発する危険物でしかないのだ。

 爺さんは悪くないが、男と言うことを聞かない女、それに受け付けない女に対しての態度は非常に曲がっており、非情な事ながら姑息なまねもいとわない彼の自分勝手は相当ヒドイ。

 爺さんもさることながら、隣から顔を出して並んだ精悍そうな男も彼が嫌いそうである。


 「それじゃあ僕かな、イカした少年くん」


 笑いながら手綱を握っている白い肌は指先まであり、爪が見あたらないが、彼の知ろうと思う範疇にはない。

 問題は髭を剃って格好いい体裁にしている上に古くさい。

 こう生きている男でもモテるという事実。それが気にくわないのだ。


 「……腕のそれは刺青か?」


 ラクダの背中は安定しているものだと思うだろうが、この島のラクダは基本的に走るのが得意で、気性が荒いモノも多い。

 その砂漠を行く生き物の震動は大きく、指が目に入っていなかったのは腕で見え隠れする線を気にしていたからだろう。

 腕が気になっていた彼に、男は腕を見せつける。


 「これはそこのジョージと一緒さ」


 黒い肌のもみのきのような髭をした爺さんは腕を前に突きだし、歯が一本だけ抜けた口内を見せ、笑った。

 腕にはハートにスペード、ダイヤにクローバーを対にして描かれたものが描かれており、その上から旗が掛けられたものが彫られている。


 「ああ、これは革命軍のマークな。老いてからじゃあ苦しかった」


 革命軍で戦った者同士が集まった組織が、あの難民団だという事になるのだろう。

 彼の元にも伝わっているはずなのだが、革命軍というのは近年、鎖国状態にあった砂漠島が規制をさらに強め、一定の船との外交しか認めなくなったために立ち上がった者たちの組織であった。しかし、国は鎖国しているのだから間違いなく軍を送ってくる。

 その騒動を普国ふこく戦争といい、それはそれは各島々を賑わせた大騒動だった。

 普というのは革命軍のマークになぞられて付けられたもので、トランプの革命が目印だそう。

 彼は目を半分だけ伏せ、嫌そうに笑った。


 「……」


 爺さんも男も若い者が興味を持たない事だったかな、と言葉を失って笑う。

 彼が嫌そうにするのも、自分が話した後に話を繋がないで欲しかった、という、男への山椒を噛むような願いであっただけで、別に戦争云々は聴くようにしている。

 問題点がどこにあるのか掴めず、ただ、浮遊するホコリを掴もうとするばかりの思いだ。きっと。

 仏頂面の彼はそう理解し、ラクダを急かす。

 不幸な彼はそこから抜け出したかったから。


 「あっ?」


 ラクダの走る音以外にも迫る音があると気づいた彼は振り向き、荷台を見た。

 何やらミミズが走った跡のようなものが追って、ついて来ているようで、地震にも似た揺れが移動するモノの上からでも察知が出来ている。

 どうやら引っ掛かってしまったようだ。

 源泉にでも当たったのか、と錯覚する揺れが訪れた後、山が荷台の真下に現れ、荷台から山を越そうとする揺れが伝わる。


 「きゃっ……」


 震動にも敏感なはずの彼女に、それは迫っていた。

 彼はそれに気づいて速さを上げるもむなしく、こみ上げてくる虫を避けるに至るのは一歩手前で、噴火は何の迷いもなく真下に居れば食われる。


 「くそ!」


 ラクダに食わせていた手綱を引き、荷台を繋いでいたヒモに足を掛けて飛び降りて地面に耳をあてた。

 吹く風が砂をさらって波を作り、いくつもの山を作り上げる音が片方の耳からするものの、肝心の方向には何もない。

 耳を地面にあてたところで人間には聞き取れず、敵を取るどころか娘を失ってしまうハメになるとは、大きな失態だろう。

 彼は地面を思いっきり殴った。


 「があああっ……!ああ……」


 殴った震動と勘違いをする瞬間、山が持ち物のあるラクダの前で盛り上がり、次なる被害を出そうとしている。

 彼が今、動き出して辿り着いたとしても斬り込むのには無理な位置に居る。

 また、やられるのか。

 そう誰もが思う瞬間、その荷物が置かれている馬車から人が飛び出した。


 「ハーッ!」


 白い髪が乱れ、短い剣が唐突に現れた敵の腹を切り裂き、透明な液体をぶちまけ倒れこんだ。

 断面は詰まった細胞のせいで形容の仕様がないが、その覗きこむ奥底は一本道で、ヒダがいくつも連なった形状。どこで消化されているのかは理解できない。


 「うげー、くせえよ。ここ」


 体液のない体内は、消化されずに形を残して腐っているのだ。


 「デコ助、お前臭い」


 「ここだよ。ここが臭いんだよ」


 デコ助がどこまでも娘についていく事が気にくわないのだ、妬いてしまっても致し方ない彼の性を前にすれば、まだ易しい。


 「ボル……ぐっ!」


 サンドワームと思われるモノの中から出てきた娘は口を手で押さえ、吐き気を催してしまったのか這い出てきて荷台の陰に駆け込んだ。

 デコ助も同様に、時間差で感じたのか、それとも若いからかは判らないが、遅れて陰へ。

 そして誰も居なくなったその場所には荷台から飛び出した人物と彼だけで、爺さんと男は、サンドワームをどう持ち帰るかを回りながら議論して居るため、彼の位置からは遠く、やりとりは見られない。

 彼はその場のそれを理解し、飛び出した人物に近づいた。


 「誰だ、お前」


 体格と髪だけでは判断が難しく、正面を向いた姿を見ていなかった彼らしい反応。

 その反応に苛立ったか髪を翻し、この島ではらしくない姿を見せた。


 「お前とはなんだ、失礼なヤツめ」


 その体は肉を多く摂取し、女の体を護る事よりも筋肉を付けようと努力した結果と何らかの事情によって豊満となったに違いない、痩せることに執着した覚えの居場所を探すだけの人物だった。

 肌は焼けてしまったのか元からなのか、服を着ている部分を眺めるだけでもその魅力を不思議に感じてしまう。

 しかし、不思議なんて考えられていなかった。


 「いや、これは失礼したな。そんな事よりどうやったら強くなれるか、これから家に行って話を聴いてもいいか?」


 間違いない。

 下心の目しか世界を見ようとしていなかった。

 見ている者は戸惑うだろうと思ったが、彼を知らないのか、満面の笑みで肩の出た服に手を掛けて言う。


 「ああ、来てくれ。アタシは大歓迎さ」


 その時、彼は顎を指と指の間を撫でて悪巧みをしようと考えた。

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