真夜中に読む

カツラギ

「真夜中に作るサッポロ一番味噌ラーメン」

 もう、十年以上前のことになる。

 自分の家でまったくの赤の他人と同居したことのある人間は、この世界でどれくらいいるんだろう。おそらくそれほどいないと思う。親戚とか、恋仲とか、そういうのではなくて。

 僕はある。母さんの知り合いらしいけど、名前も顔も見たことなかった人と、三か月ほど一緒に暮らした。

 当時、僕は小学生だった。同じく小学生の兄さんと、僕と、その女の人との三人で暮らした。

両親は離婚していたため父はおらず、母は働きづめだったから、僕たちの面倒を見る人が必要だったのだ。


 いま、その人がどうしているか、僕は知らない。

 風の便りも寄越してくれないから、どうしているかなんて知りようがなかった。

 ただ、覚えているのは。


 僕がおなかが空かせていた時、サッポロ一番の味噌ラーメンを半分こして食べたことや。

 その麺が普通よりも長くゆでていたせいで、ちょっと伸びていたことや。

 今でも僕が味噌ラーメンを作るとき、袋に書かれている時間より長めにゆでることとか。

 そうした、今では声も思い出せない人との、確かにあった日常の一風景だけ。


 キッチンに立つ彼女が片手鍋でラーメンをゆでる景色。

 ホーローの片手鍋からはぐつぐつとスープの煮える音がする。

 漂う味噌の香ばしい香りに息を吸い込むと、僕のほうを見て、その人が困ったように笑う。

「もう、すぐにできるから。ちょっと待っとき」

 あたたかい湯気のぬくもりを顔じゅうで感じながら、僕は今か今かと、ラーメンができるのを待っていた。居間の窓から外を見ると、夕暮れ時の太陽がオレンジ色に輝いている。目を細め、室内に視線を戻すと、窓から差し込む陽光が居間のフローリングを照らしている。台所では、暗い陰と、台所でまばゆく光る蛍光灯の輝きとが強烈なコントラストを作っていた。

 兄は遊びに行っていて、僕と、その人しかいなかった。

 やがて彼女に言われて、僕がラーメンの器をふたつ用意すると、菜箸で引き上げられた麺が二つの器に等分される。湯気のたつ味噌のスープが器に注がれてから、テーブルに運ぶ。

 今の僕では、全然足りない半分こされたラーメン。その器のあたたかさをよく覚えている。

「はい、お兄ちゃんには内緒やで」

 そういって、ふたりでラーメンを食べた。ちょっと伸びた麺と、小学生の僕にはまだ大きかった器と、対面に座って僕が食べるのを見ててくれる人がいた。


 いま、あれから十数年たって、僕はインスタントラーメンを作っている。

 銘柄はもちろん、サッポロ一番味噌ラーメン。バターを入れたり、炒めた野菜を乗せたり、いろいろ工夫は加えてみたけど、結局は同封されている麺とスープと七味だけで作るやり方に戻ってきた。

 冬の凍える真夜中に、片手鍋の中であぶくの立つ湯を眺めながら、麺を投入。少ししてからスープも入れる。すぐにスープを入れるのを、あの人は「味を馴染ませるため」って言ってたっけ。

 やがて麺がほぐれてきて、箸で崩せるようになってきたら、そこから更に一分待つ。完全にほぐれてからも、まだ少しだけ待つ。そうして麺の色が少し味噌スープの色に染まったら引き上げる。

 器に注ぐと、ほわっと湯気が立ち上り、味噌の食欲をそそる香りを広がらせる。

 作業用の机に持って行って、そのまま勢いよく一口目をすすりこむ。


 いつも味噌ラーメンを食べると、思い出す。

 少し茹でられすぎて、やわらかくなった麺と。

 苦手だった七味唐辛子のピリッとした辛みのよさと。

 声は思い出せないけど、両親のいない家で、僕と兄にとても優しかったその人と食べた味噌ラーメンの味を。


 僕は両親がいないことを、なんとも思っていなかった。いや、思っていないフリをしていた。

当時は気づかなかったけれど、今ならわかる。

父さんのいない家で目が覚めて、朝から夜まで母さんの顔も見ず、学校に行って、帰ってきたら兄さんとふたりでゲームをして、夜ご飯を母さんが買ってきて、食べて、風呂に入って。それでまた学校に行っていた。そんな日がほとんどだった。祖母が同居していたこともあったけど、いつからか別居していた。だから、今はもう引っ越してしまった家だけど、その家の記憶は、僕は兄さんとふたりでいた記憶がほとんどだ。

 だから、特別強く覚えているんだろう。

 僕と一緒にご飯を食べてくれた人のことを。


 いつも一緒にご飯を食べる人。

 それを、人は家族と言い。


 ずっと一緒にご飯を食べてくれること。

 それを、僕は愛だと思った。

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