有りすぎて 二 

  絹枝と秀子は関西ではなく、瀬戸内の小さな町の漁師の娘であった。

 下に弟が二人いたが、一人は戦死、今は末弟の正男が秀子宅の一駅先に住んでいる。

 秀子は子供の頃から、自分が器量よしであることが自慢だった。そのことが長女であるということと合間って、殊更にに秀子を権高くしていた。

 妹の絹枝は病弱な上に不器量、上の弟は男前、末弟の正男はどう見てもかわいくない赤ん坊だった。

 秀子は成績もよかったが、家が貧しく小学校もろくに通えなかった。美しい上に頭のいい自分が、どうしてこんな貧乏暮らしをしなければいけないのか、鬱積した思いを振り払うかのように秀子は家を飛び出した。

 家を出てからのことは、秀子は多くを語ろうとしない。ただ、流転の果て、髪結いの道に入ったのが秀子の賢さであった。

 今はどこに出ても気おくれなどしない。

 小学校も出ていない者が、世間の人から「先生」と呼ばれるようになった。身内一番の出世頭であり、みんな自分に頭が上がらない奴らばかり。その思いは常に態度に現れていた。

 一方の絹枝は無類の働き者であった。父親と漁に出たり、弟の面倒もよく見ていた。特に正男は年が離れていることもあって可愛くてならなかった。

 秀子は、菓子でもなんでもあれば、すぐに食べてしまうが、絹枝は後の楽しみにと少しとっておく。それを見つけた秀子がさっさと食べてしまう。


「こんなとこに置いてあるから、いらんのや思たわ」


 また、何でも自分のものしか買わない。


「お前が欲しい物は絹枝も欲しいに決まっとろうが、何でもう一つ買ってきてやらんのか!」


 父親に何を言われても平気であった。

 そんな身勝手な秀子はさっさと家を飛び出したが、絹枝はその後も親の手助けをしていた。父親が言ったものだ。


「絹枝が男なら…」


 そんな絹枝も縁談が舞い込む年頃になった。


「あの男なら間違いない」


 と、父親が絹枝にすすめたのが、海軍兵学校はじまって以来の美形と言われた松山竹松であった。

 絹枝は今までに、竹松に誘われて祭りに行ったこともあるし、物を買ってもらったこともある。また、周りの娘たちが騒いでいるのも知っていたが、それだけであった。

 別にどんな男を見たからといって何ともない。いつかは自分も嫁に行くが、まだ、そんな気はない。親が行けと言うのなら仕方ないが、竹松の里が三重県だと聞いてがっかりした。

 そんな遠くに行きたくはない。絹枝は親と離れたくなかった。それでも父親に逆らえない時代であり、しぶしぶ承知した。

 後に嫁ぎ先に母親がやって来たとき、こんな山奥の田舎なら、嫁にやるのではなかったと嘆いていた。

 絹枝は夫に不満はなかったが、親族にはのっけから嫁入り道具はこれだけかと罵倒されたものだ。父親が、うちは貧乏で何の支度もしてやれないが、それでもいいかと竹松に念を押し、竹松は体ひとつでいいですと約束してくれたのに、親戚の連中は冷たかった。

 その頃には秀子も恒男と結婚し、大阪に住んでいた。

 夫婦揃って三重までよくやってきた。知らない土地での暮らしが心細かった絹枝は秀子夫婦を歓待した。また、恒男と竹松は気が合い、二人してよく猟に出かけたものだ。

 秀子にしてみれば、不器量な絹枝が軍人の妻になったと聞いて、どうせ石部金吉だろう、男前の恒男の足元にも及ぶまいと高をくくっていたが、竹松の正統派の美形には驚かされたものだ。


----よくもこんな美男が、絹枝みたいな不細工と……。


 そして、自分の美貌を前面に嫣然えんぜんと微笑みかけても、妻の姉として接するだけの竹松の態度に痛く自尊心が傷つけられたものだが、そこは転んでも只では起きないのが秀子であった。

 裕福な家の妻となった絹枝から、巻き上げられるものは何でも巻き上げた。

 絹枝も一度流産している。それも竹松が妊娠に気づいたくらいなのに、絹枝は無頓着に、川遊びに行き体を冷やしてしまった。さすがにこのときは秀子とて、絹枝を気遣った。

 秀子も流産で悲しい思いをしていた。だが、絹枝は体が回復すると、何事もなかったかのように暮らし始めた。

 その様子に秀子は驚いたものだが、それならそれでいい。今度は世話をしてやった分を取り返すことが責務だった。

 そして、竹松が戦死した。そうなれば、他人ばかりの山郷に未練などない。

 家も山も田畑も売り払って、絹枝の手元には、五万円と言う金が残った。


「まあ、絹枝さん。それだけあれば一生遊んで暮らせるわ」


 周囲のそんな声を尻目に、大阪の秀子宅に身を寄せれば、早速に、秀子は言った。


「この家と、隣の家、買いたいんやけど、金出してくれへんか」


 金額は一万八千円。絹枝は承諾した。

 五万円のうちの一万八千円である。それくらいならと。それが現在のこの家である。さらに秀子は言った。


「絹枝、もっと出しや」


 さすがに絹枝もむっとした。ならば今度は借用書を書けと言えば、それを機に秀子は態度を変えた。

 子供のころから病弱だった絹枝は大人になってからも寝込むことがあった。箒を持つのさえつらい時でも、秀子は絹枝をこき使った。今まで、あれだけ世話をしてやったのに、恒男とて素知らぬ顔でいる。

 絹枝は故郷に帰ることにした。父も母も亡くなったが、父の兄弟はたくさんいるし、従兄弟もいる。

 帰れば、早速に一人の叔父がやってきた。


「絹枝、頼むから、五千円貸してくれえや。土曜日にゃ返すから」


 しかし、待っても待っても返しに来ない。

 業をにやした絹枝が家を訪ねれば、叔父はすまんと言うばかりだった。側で渋い顔をしている叔母が父の姉だった。

 ここも、子がなく遠縁の娘を養女にしている。絹枝より少し年下である。

 この金は、後に少しづつ返してもらうことになったのだが、その時には本来の価値のないデノミ後の「五千円」でしかなかった。

 そんな中、別の叔父が縁談をもってきた。絹枝は喜んだ。戦後のどさくさで、世の中はまだ物騒であったし、いくら金を持っているとはいえ、いや、それだからこそ、余計に命の危険にさらされてしまう。一人で、これから先どうすればいいのか途方にくれていた絹枝であった。

 身内の叔父が勧めてくれるのだから、父親がそうであったように、間違いのない男だと、浮き立つ気持ちで見合いに望んだ。

 それが今の夫の庄治である。絹枝がまず庄治に聞いたことは、先妻とは生き別れか、死に別れかということだった。


「死んだんです」


 それなら自分と同じで、後腐れなくていいと思った。絹枝は男女のいざこざなど真っ平であった。仕事はとび職とのことだ。夕方近くに叔父が念を押すように聞いた。


「あんたら、どうするや」


 男はニコニコしている。絹枝には断る理由がなかった。女が一人で生きていくには、余りにも厳しい世情であった。だが、この庄治はとんだくわせ者だった。

 大酒は飲む。働くのは嫌いときている。酒は、家でもさんざん飲ませているのに、外でも飲む。ふらつく足取りで帰ってきたかと思えば、玄関にも上がれないほどに、正体無くすほど酔って畳の上に小便をする。


「わしが、そんなことするか!」


 と、それを認めようとはせず、絹枝に暴力を振るう。

 前の夫の竹夫は酒は少ししか飲まず、暴力などとは無縁の男だった。叔父と庄治がどのような経緯で出会ったか知らないが、叔父が絹枝との縁談を進めたとき、庄治は聞いた。


「器量、ええか」


 庄治にとっての女とは、器量がいいか悪いかでしかない。


「器量はようない。ようないが、金は持っとる」

「ほおぉ」


 金を持っているならと会ってみたが、叔父の言葉は掛け値なしのそのまんまだった。 

 

----わあ、器量悪いのぉ。まあ、金、持っとんならええか…。


 その時は、金のある間だけ一緒にいればいいと思ったが、飲み仲間には、絹枝の器量の悪さを嘆いていた。また、絹枝は叔父を恨んだ。


----よくも血のつながった姪にこんな男を世話したもんだ。


「わしも、あんな男じゃ思わんかった」


 庄治の行状を知った叔父はそう言っただけだった。秀子も怒った。


「何で、あんな働きもせん男と一緒になったんや」


 今さら、そんなことを言われても、秀子も恒男も絹枝に冷たかったではないか。それに秀子には後家になった女の辛さがわからないのだ。後家というだけでバカにされ、蔑まれるのが、絹枝には耐えがたい屈辱であった。ましてや叔父が持ってきた縁談を断ることなどできようか。

 もっとも庄治もかわいそうな男である。生れてすぐに母親が亡くなり、後妻に子供ができたものだから邪魔にされ、七歳で奉公に出された。

 絹枝は思う。

 やっぱり母親の温かみを知らない人間はだめだと。茂子もそうだし、兄の君男も兄弟が多く、ろくに親にかまってもらえなかったと聞いている。

 秀子も肉親の情に薄い。絹枝に金を借りてこの家を買い、その金をまだ払ってないことは、この町内の誰もが周知していることだが、別に、絹枝がしゃべったのではない。秀子もさすがにこれだけは黙っていられなかったのだろう。

 それだけではない。

 忘れてほしくない。

 あの金を絹枝は一度たりとも請求したことはない。

 あれから、持っていた金はすぐに無くなり、貧乏のどん底であっても、秀子は金を返すどころか、何の手助けもしてくれなかったではないか。


----この家に、口を出すくらいの権利はある。


 通夜のざわつきをよそに、絹枝はいつの間にか昔の感慨にふけっていた。


「いやあ、娃子あいこちゃん」


 その声で、絹枝のひと時の感傷は吹き飛び、またも気分が悪くなった。

 弟嫁の嘉子だった。

 義兄の死に空涙でも見せろとは言わないが、いくら何でも、こんなときに場違いな声を出す常識の無い嫁である。

 娃子も戸惑いの表情を見せている。

 今年から洋裁学校に通い始めた娃子が、正男の娘の洋服を縫ってくれたことへの礼を言っているのだ。

 しかし、縫ったのは娃子だが、生地を買って送ったのは絹枝である。礼を言うのなら絹枝の方が先ではないか。

 絹枝はやれやれと思ってしまう。

 ここにいるハゲタカのような連中に比べると、なんとわが弟の奥ゆかしいこと。

 上の弟は戦死し、今は正男が跡取りである。確かに、男としての迫力には欠けるかもしれないが、秀子に押し付けられた嫁に文句も言わず、三人の子供のためにがんばっている。

 正男も一時期ここに居候していた。ちょうどその頃、絹枝には何の相談も無く、秀子は正男の嫁を決め、また、貧乏しているという理由で結婚式にも呼ばずじまいだった。

 それにしても、絹枝は初めて正男の嫁を見たときにはびっくりしたものだ。


----なんと不細工な……。


 自分より、不細工ではないか。正男は少し反っ歯であるが、そんなに悪い顔立ちではない。いや、それだけではない。絹枝を一番落胆させたのは、嘉子がびっこであるということだった。よりによってたった一人残った弟のそれも跡取りの嫁である。

 せめて、五体満足な嫁を迎えられなかったものか…。

 その上、何か薄ぼんやりした女に思えた。

 いつだったか、正男が「飯、食いにこいや」と、言ってくれた事があった。

 絹枝が正男の家に行くのはそのときが初めてであった。だが、その時、嫁の嘉子が食卓に並べたものといえば、さんまの干物に漬物。

 絹枝はあきれた。夫の姉がはじめてやって来たというに、何もなければ店屋物でもかまわないのに、いくら正男が安月給とはいえ、庄治とは違い酒もタバコもギャンブルもしないのに、干物で茶漬けはなかろう。

 それを黙って食べる正男が不憫でならなかった。

 絹枝は久しぶりに会った正男と話がしたかったが、通夜も、葬儀の後も嘉子にせかされるようにさっさと帰ってしまった。


----かわいそうに、あんな嫁の尻にひかれてから……。


 秀子はこの頃には美容院の経営から手を引き、茂子が後を継ぐはずもない美容院は人に貸していた。だが、当の茂子は脳梅毒で精神に異常をきたし、遠方の精神病院に入院することとなった。

 ちょっとした波紋はあったものの、恒男の葬儀は終わった。それにしても便利な世の中になったものだと思う。すべての段取りは葬儀屋がやってくれる。 

 そして、秀子はこの家をアパートにすると言った。絹枝が賛成するまでもなく、もう決まっていたようだ。

 それより何より、恒男がいないということで気が軽くなった。

 なんと言っても今までは恒男に遠慮があった。絹枝にしてみれば、義兄とはいえ恒男は他人である。他人に用はない。その他人の存在がなくなった。これからはもっと気楽にこの家に来ることができる。正男も近くにいる。こんないいことはない…。

 そこへ、またあの男がやってきた。

 絹枝たちの従弟の義男である。大人しい正男とは対照的にダミ声で、かなりのほら吹きである。

 欲の深い奴で、恒男の形見をさらに貰いに来たのだ。

 大きな声で調子のいいことをいいながら、貰えるものをあさっている。

 娃子もこの男が嫌いである。だが、こんなものかなと思う。

 そう、茂子だけではない。この娃子も養女なのだ。それもこの義男の子である。

 いいや、このことを娃子は知らない。

 義男が先妻と別れる時、娃子はまだ乳飲み子だった。養育費を払いたくない義男は黙って娃子を連れ出し、庄治と同棲状態だった絹枝に押し付け、姿をくらました。

 絹枝にしてみれば、ちょっと預かったつもりだった。

 行方の知れないまま歳月は流れ、再び義男が姿を現したときには今の妻と結婚し、秀子宅に間借りをしていた。しばらくして、ここから歩いて五分ほどの家に引っ越した。

 すでに長男は生まれており、今は下に女の子が二人いる。

 絹枝は仕方なく庄治とも入籍し、娃子を子供として引き取ることにした。

 あれから…。

 今までに義男は、娃子に飴一つ買ってやるでなく、まったく無視している。絹枝にはわからない。人の子になったとはいえ実の娘に、なんと薄情な。 

 だが、娃子は誰もが認めるいい娘に成長した。

 茂子なんかと比べないでほしい。

 誰が育てたと思っている。


----姉とわしでは精神が違う。


 飲んべえでろくに働きもしない夫と、娃子を抱え、今までどれだけ苦労してきたことか。

 娃子には、ほしいものは何でも買ってやった。十二分に手塩にかけてきた。


----誰の世話にもならず、誰に後ろ指さされることもなく、清く正しく生きてきた。


 絹枝の自負するところである。

 だから、娃子はいい娘になって当然なのだ。

 だが、娃子も難しい年頃になってきた。

 葬儀に限らず、便利な世の中になったものであるが、こんな時代に育った若者たちはやはり辛抱が足りない。

 家では庄治とけんかばかりしている。

 悪いのは庄治である。

 娃子の嫌うことばかりする。嫌えば嫌うほど面白がる。

 だから、放っておけ、相手にするなと娃子にいくら言って聞かせても、けんかを止めようとはしない。

 どこの娘でもチチオヤを嫌うそうだから、これは致し方ないにしても、絹枝が理解に苦しむのが娃子の強情さである。

 いったい、誰に似たのか……。

 わが一族には、こんなにも強情な人間はいない。

 ひょっとして…。

 絹枝は義男の先妻に一度だけ会ったことがある。といっても挨拶をした程度だが、そのときの印象では、どちらかといえばおっとりとした感じに見えた。

 いいや、ああいう大人しそうな女こそ、強情なのかもしれない。

 だから、義男に愛想をつかされたのだ。

 また、娃子の強情さはうそに繋がる。それもすぐにバレるようなうそをつくのだ。

 絹枝にはわからない。人には親切な娃子が、どうしてこんな見え透いたうそをつくのか。

 先日も洋裁学校をサボっているところを、絹枝の友達に見られているのに、絶対にサボってないと言い張る。

 この時ばかりは、さすがの絹枝も怒りを爆発させた。


「お前を見間違えるやつがおるか!」






  






 


 
















































 





 



















 




 






 

 






 































 





 















 

























 















































 














 

        





  









  
















 

 

 

























 













   











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