十六話
島崎は彼自身の部屋にいた。ぶ厚い眼鏡の向こうで黒い瞳が鋭く光る。
あちらが口を開く前に、柳田が一歩出ていた。
「貴方が犯人でしょう? 絶対の理由はありませんが、ここにいる中で、貴方だけが少年を殺せる状態でした」
無言が続く。
「それでは、不満足でしょうか?」
しびれを切らして柳田が問いかけても、相手が黙っているだけだ。その間にも一歩、また一歩彼は近づいていった。そして、手で触れれる程近づいた時に、初めて島崎が動いた。目に見えぬ速さで。
赤い血飛沫が舞う。柳田が怪我を負った事は嫌でも分かった。
右腕を抑え、下がって来た彼の前に立ち、銃を構える島崎を睨む。
「動かないでください。動いたら、柳田さんを撃ちますよ?」
「そうか。ところで、君は誰だ? もし島崎本人なのだとしたら、なぜ詠うようなあの口調でないか、説明してくれ」
雰囲気からして、銃の扱いに慣れていないのが分かる。手が震えて、照準が定まっていない。それ故か、俺はこんな状況なのに落ち着いていた。
島崎は黙っていたが、不意に笑い出すと、そのままの姿勢で俺に近づく。
「あんた、人から嫌われるタイプだろう?」
「その二人称も可笑しいな。で、君は誰だ?」
「人の話聞けよ……ああ、そうさ。僕は彼であって彼じゃない。多重人格って奴だよ」
面白くないな。そう思って柳田を見ると、彼は消えていた。血の跡だけが残っている。
「怖気付いたみたいだね。裏切られた気分はどうだい?」
裏切られた? 信用ならんな。きっと、何か策があるのだろう。だから消えたのだ。ああ……捨てられた訳じゃあない。
ガタリ、と音がした__気がした。
「僕はあんたが嫌いだけど、可哀想だから、懺悔の機会をあげるよ」
「愚弄するな。俺に懺悔すべき罪はない。そんな機会よりも、小林はどこだ? 早く帰らないと、締め切りに間に合わない」
「はぁ? 帰れると思ってるの?」
「ああ。その証拠に、君。後ろを見てくれ」
呑気に島崎が振り返った瞬間、扉の影から柳田が躍り出た。気づかれる前に、彼は見事な膝蹴りを背中に叩き込む。
「そんな所にいたのか」
「ええ……いやぁ、良かった良かった。まだ左手と両足と、頭が残っているのですから」
そう言いながら島崎に近づくと、思い切りもう一度蹴った。島崎は一、二度跳ねると、壁に当たって形容し難い音を出した。
「犯人、当てましたよね? なら、わたくし達の勝ちでしょう?」
「……馬鹿らしいな」
「ええ。ですが、これが現実ですよ」
柳田は狐のように目を細め、笑った。
「浪漫溢れる探偵も、リスキーな怪盗も、この世には存在しないんです。推理小説のように格好良い物は存在しない……そうでしょう?」
それには頷かざるを得ない。事実は小説よりも奇なり、とは言うが、そこに我々が求める浪漫はあまりない。
落ち込む俺に柳田は、ですが、と言葉を続けた。
「__それを存在させるのが、夢を見させるのが、小説家ではありませんか?」
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