九話

 部屋、と言われても行く当てがない。仕方なく食堂に戻ると、隅に用意されているソファで、例の少女__ミツちゃんと、ヤクモさんが眠っていた。

「ああ、お帰り。そこは放っておいてあげてください。遊び疲れたようですので」

 柳田さんに手招きされ、私は食卓につく。どうやら本を呼んでいたらしい。空になったコーヒーカップと、ドフトエフスキーの「罪と罰」がある。

「読んだ事あります? わたくし、この本好きなんですよ」

「一度だけ……あまり好きにはなれませんでしたね」

「そうですか」

 悲しむ様子なく、淡々と柳田さんは言葉を続ける。

「貴方は、江戸川氏とどんな関係で?」

「……大学時代の先輩後輩です。まぁ、ついこの間まで連絡も何もなかったんですけど」

「へぇ。それなのに来たのですか」

「はい。先輩が心配なので」

 苦笑いを浮かべると、柳田さんは、大変そうですね、と呟いた。

「それで、調査はどのくらい進みました?」

「あの部屋で日記を見つけました……多分、フランス語の」

「フランス、ですか。そういえば、島崎藤村はフランスに行ってたらしいですね。あと、小泉八雲はフランス語が得意だったとか」

「聞いた事あります。あと見つけたのは……外の死体が、珠代さんにそっくりだった事くらいでしょうか」

 声を潜めて呟くと、柳田さんは鸚鵡返しに問いかけた。

「文字通り、瓜二つでした」

「ですか……一卵性のように?」

「一卵性のように。あ、ちゃんと性別を確認したわけじゃないので、異性装をしているだけかもしれませんけど」

 そこへ、運悪く珠代さんが戻って来る。どうやらこの話は中断せざるを得ないようだ。

「あ、小林様。何か淹れて来ますね」

「大丈夫です。すぐに」

 言い終える前に彼女はキッチンへ消えて行ってしまう。

「良いじゃないですか。休憩は必要ですよ……それで、少しお願いしたい事が」

「何ですか?」

「ちょっと、外を調べて来てほしいのです。ミツちゃんが……気になる事を言いまして」

 珠代さんがやって来て、私の前に珈琲を置いてまた消えていく。それを見届けると、柳田さんは口を開いた。

「おにーちゃんは一人なの。かあいそうなの……と、言われまして。どういう事か聞いたら、まぁ、その……ブランコで一人ぼっち、だそうでして」

「ブランコ? あるんですか、この辺に」

「珠代さんに聞いてみましたが、知っている限りではない、と。おそらく……」

 言葉はそこで切れた。私はその先の言葉を察し、深く頷く。

「分かりました。探してみます」

「ありがとうございます……そうだ。島崎氏を見つけたら、戻って来るよう言ってください。死なれては困りますから」

 まだ少し熱い珈琲を飲み干して、私は食堂を出た。

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