八話
「どうするんですか?」
「言った通りの事をするだけだ」
先を歩く先輩は振り返りもせずに言葉を返す。今日の和服は埃のような無地の灰色だ。
「まさか、あんな事言われるなんて……失敗したらどうするつもりですか?」
「さあな。その時考える」
ヤクモさんに、喧嘩を売るならそれなりの結果を出せ、といったような事を言われてすぐ。行動するにしても、もう少し落ち着いても良いんじゃないかと思う。
「証拠を集めて馬鹿を黙らせる……簡単だろう? ヤクモとかいうあの男。顔が気に食わん。あの眉間に拳を入れてやりたい」
「や、やめましょうよ。物騒です」
「君は思わない、と? 気持ち悪い聖人だな」
肩を震わせて先輩は笑う。顔は見えないが、きっといつものように、どこか子どもっぽい無邪気な笑みを浮かべているのだろう。
「……それなりには思いますよ。でも、ここは狭いじゃないですか。すぐに顔を見て、嫌な気分になります」
「勝手になってろ。俺は知らん……と。着いたぞ」
扉を押すと、今朝と同じ部屋が目の前にあった。死体のブルーシートは剥がされたままだ。
「で、君はあの男と何をしたんだ?」
やっと振り向いた先輩は無表情だった。
途切れ途切れの言葉で名刺を見つけた事を話す。先輩は相槌を打ちながら聞いていたが、話し終わると深いため息を吐いた。
「罪人、か。あの老婆に、そうと言われる程の罪があったのか」
「でも、東雲さんは被害者、ですし。というか、本当に東雲さんって人なんですかね」
「それは思った。確かめるぞ」
先輩は窓枠を飛び越え、背を向けていた死体をひっくり返した。
最初に漏れた言葉は安堵だった。醜い物でも、石川さんでもなかったから。しかし、だから、次に、彼は似過ぎている、と思った。
「まるで、あのメイドだな」
そう。珠代さんが男の格好をしているような。それでいて、男性らしい人の死体が、私達の目の前にあった。
「二卵性でもここまで似ないだろう。稀に、一卵性だが性別の違う双子がいるそうだが……その可能性は低いだろうな」
「と、なると………………」
言葉は続かない。いくら考えても思いつかない。諦めて先輩を探すと、既に室内に入って泉さんの死体を見ていた。
「キミは本棚でも探してくれ」
「……はい」
服についた汚れを払ってから、几帳面に並べられた本棚を見る。背表紙には私の読めない言葉が書かれていた。アルファベットの上によく分からないあの記号がついているから、おそらくフランス語だろう。少なくとも、英語と日本語は一切ない。
仕方がない。気を取り直して棚の隣、低めの引き出しを開いた。
「おお……凄い」
思わず感嘆の声が出る。そこには、引き出しいっぱいに押し込まれた日記帳があった。色は多種多様だが、種類は一つだけ。少し高めで丈夫な物だ。
一番上に積まれた日記帳には、昨年の西暦が書かれている。他のも見るに、どうやら一年で一冊のようだ。パラパラとめくると、細く綺麗な読みやすい字__所謂女性的な字__で書かれているのが分かる。
「多分、どちらも日記だろう」
いつの間にか先輩が私の肩越しに日記帳を覗いていた。
「どちらも?」
「ああ。そこの本棚……題名にそう書いてある」
読めたのか。文句を言いたくなるが、ぐっと堪えて先輩の言葉に耳を傾ける。
「真実を記す、か。この量は流石に読めないな……他には?」
「た、多分何も」
ない、と言おうとした時。もう一段引き出しがあるのに気づく。開けてみると、薄いファイルが入っていた。先輩が手に取り、パラパラとめくる。
「……どこで漏れた」
「え? 何があるんですか?」
「個人情報……笑えん。見ない方が良い」
そう言って先輩は引き出しに投げ入れると、足で勢いよく閉めた。行儀が悪い、というか、何というか。
「とりあえず、キミは他の部屋を見て来てくれ。俺は、少し日記を読んでみる」
言いたい事は口から出てこない。喋れないのではない。言葉として形にならないのだ。
後ろ髪を引かれる思いで部屋を出る。ポォーンと時計の音がした。
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