三話

 珠代さんに導かれ向かった食堂には、既に四人もの人が座っていた。いずれも先輩と同じく浮世離れしてそうな人ばかりである。私達の席は円形テーブルの一角にあり、向かい側には外人らしき男性がいた。

「ヘぇ、お前さんがエドガワさんかい?」

「ああ。これは小林少年……と言っても、歳はそう変わらないがな」

 愉快そうに唇を歪め、外人は顔を隠していた帽子を外した。茶色の目が先輩を射抜く。

「俺は小泉八雲、という名前になっている。気軽にヤクモさんって呼んでくれ」

 小泉八雲。本名はラフカディオ・ハーンで、ギリシャ人だった随筆家か。しかし、この男はそうは見えない。裏社会にでもいそうなくらい、目が黒澄んでいる。信用できそうにないな。だが、その隣。死神のような男の方が信用できそうにない。ジッと見ていると、彼はこちらに気づいたらしい。小さく手を振られる。

「柳田です。よろしくお願いしますね、少年」

 微笑を浮かべるが、目は笑っていない。ヤクモさんを歴戦の勇者と言うならば、この人は暗殺の達人、とでも例えるべきか。

 それにしても柳田……柳田國男か? 遠野物語の人だ。彼は民俗学者だった気がするし、作家と呼んでも良いのだろうか。そう思っていると、私の隣の金髪野郎が人懐こい笑みで言った。

「あ、じゃあ順番的に次は俺様? 俺様は石川啄木! 借金王だ!」

 ああ、こいつは阿呆だ。まごう事なき阿呆だ。雰囲気も、話し方も、全て阿呆のそれだ。というか、借金王を自慢している時点で阿呆だ。そんな阿呆は、私の左手を掴んでブンブンと振っている。

「いやぁ、良かったぜ! まともそーな奴が来てくれて! 変な奴しかいなくてさぁ、すっげぇもうヤバかった! もーチビるかと思ったぜ!」

「そ、そうですか」

 歴史に名を残すご本人を馬鹿にしたくはないが、こいつは死ぬ程馬鹿だ。可哀想なくらいに。

「そこのねーちゃんとか、もーむっちゃ怖かった!」

「あらあら。お姉さんだなんて……嬉しいですねぇ」

 ヤクモさんの左手側に座っていた老婆は、口元に手を当てて上品に笑った。頭は白髪だがフサフサで、おそらく実際の年齢は私の想像する物よりも上なのだと思わせる。そんな彼女に視線を移さず、石川さんは心配そうに問う。

「なぁ、泉鏡花って男だろ? おまえ、あの人が男に見えるか?」

「いえ……全く」

「だろ? 怪しさ満点じゃん? そりゃもう、怒らせねぇ為なら、おねーさん呼びだろうが、俺様は何だってやったるよ。何しろ、現代の借金王だからな!」

 自慢げに笑う彼を見て、先輩は「ああ、君か」と言葉を漏らした。

「知ってるんですか?」

「前に編集の野郎に本を勧められてな」

 それきり先輩は口を閉じてしまう。石川さんは私から手を離すと、行儀良く椅子に座った。まるで、何か暗黙のルールでもあるように。

 その、おそらく数分後。無言の気不味い空気を破ったのは、新参者の声だった。

「ああ、ああ、大変だ。またである。また、僕は遅れてしまった」

 棒読み気味の声が先輩と泉さんという老婆の間に腰を下ろす。貧乏学生といった雰囲気がした。縁の厚い眼鏡に、ボサボサの髪に、ヨレヨレの服。場違いという言葉が相応しい青年だ。

「初めまして皆様方。島崎と、名乗らされている者です。皆様方のお名前は。先程、女給殿からお聞きしましたので……悪しからず」

 ああ、この人も先輩同様の懐古主義か。それらしい匂いが言葉の端々から漂ってくる。石川さんが嫌そうに顔をしかめ、ヤクモさんは居心地悪そうに帽子で顔を隠す。しかし、柳田さんや泉さんは、依然変わらぬ態度を貫いている。

「あ、えっと、皆さま揃いましたので、お料理を運んで来ますね」

 そう言って、いつの間にかそこに立っていた珠代さんはパタパタと逃げて行った。凡人の彼女には耐え難い空間なのだろう。こういう所で、自分の非凡人性を嫌でも理解させられる。

「どんなお料理なんでしょうかねぇ。楽しみです」

 泉さんが静寂の中でポツリと言った。

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