1-1 「たまったもんじゃない」

 暗転が終わったかのようにパッと視界が戻る。

終始意識はハッキリしてたのに、意思に反して視界だけオン・オフみたいになるのはなんか気持ち悪い。

 

 五感をちゃんと感じられるのがこんなにも安心するものなのか思ったのも束の間、辺りの見知らぬ風景にその安心感は消え失せる。

 

 そこは見渡す限りの木々。なんか森っぽいけど、昼なのか夜なのかも分からないぐらいに薄暗くて鬱蒼としている。

 

 なんだここ?なぜこんな所に俺はいる?原因は全てあのアフロで間違いないが、こんな所に放置される意味が全く分からない。

 

 あークソ。分からない事を考えるっていうのがどれだけ不毛で疲れることか。

ホントふざけんなよあのアフロ。説明責任ぐらい果たせよ。


〈要望を承認しました。スキルを起動します〉

「え?」

〈スキルが正常に起動いたしました。ご用件を承ります〉

「え?何?誰?」

〈サポートスキル【天智】。管理者エルシオより転移者・篠崎 仄改めマスターに付与された特例のスキルです〉

「サポートスキル?なんだそれ?てか、どこから声してるんだこれ」

〈既定外である転移者に対して緊急措置として設けられているシステムになります。なおこのシステムはつい先程作成されたシステムのため整備不備が若干ございます。役目としましては、管理者エルシオの命を受け付与者に可能な範囲での補助及び支援を行います。音声はマスターの聴覚中枢に直接働きかけています〉

「いや……よく分からない。そもそもその管理者エルなんとかって誰?」

〈管理者エルシオ。現在マスターが実存するこの『エレストラレル』を管理及び調整を行っている最高上位の存在です〉

「ちょっと待て……もしかしてそいつってあのアフロか?」

〈現在マスターの脳内で思い描いている人物と照会。同一人物で相違ありません〉

「勝手に脳内を覗くなよ……。でもやっぱりアイツか。管理者?最高上位?ふざけんなよ。あんなのただの無責任アフロだろ」

〈管理者エルシオの存在定義に修正点はありません〉

「いやそっちの修正とかどうでもいい。これは俺の心象だし。てか、サポートだのなんだの言ってるけど、結局あのアフロの回し者ってことか?だとしたらその時点で信用度が皆無だわ」


 男か女かも分からない妙な声。言葉に感情は籠っていなく、どことなく無機質な感じのする喋り方だ。話しかけてくるならもっと気の利いたフレンドリーさを出せよって思う。


〈善処しまっす〉


 言葉に出さなくても返して来やがった。しかも変なイントネーションで。

まぁ善処したところで特にどうでもいいとは思ってるんだけど。

 

 なんせ根本的に信用なんか出来ないし。アフロ産のアフロ印なんか即刻クーリングオフしてやりたい気分だわ。


〈警告します。5秒以内に2時の方向へ逃げる事を推奨します〉

「は?なんで?信用ないって言ったばかりなんだけど」

〈警告。警告〉


 五月蠅い。そう思った瞬間だった。前触れもなく、背後から衝撃と共に轟音が鳴り響く。


「は……?」


 振り向いた瞬間、間髪入れずに恐怖が俺の全身を逆撫でてきた。血走った眼。空気を震わす唸り声。辺りの大木を張りぼてのように薙ぎ倒す巨躯と針のように鋭く逆立った毛。そこには熊の風体をした怪物がひりつく殺意を向けて俺を見下ろしていた。


〈警告。退避行動を推奨します〉


 言われなくても防衛本能で体は自然と反転して走り出している。熊に出会ったら慌てずに目を逸らさないで後ずさりするなんて聞いた事あったけど、そんな悠長な対処してられない。あれはそういうんじゃない。それぐらい切迫感がヤバイ。


なんだよあれは!?


〈受諾しました。固体名:マーベルグリズリー。『深淵の森』に生息する害獣。非常に獰猛で硬質の毛皮を持つ。ハザードランク/S〉

「今はそんなウィキみたいなの求めてねぇよ!なんであんなのがいるんだって話だよ!」

「グォオォオォオォ!!!」


 振り返りたくない。そんな心情だ。後ろからバキバキっていう音鳴りが止まらない。そしてそれは、次第に、確実に俺に近付いて来ている。

 

 恐る恐る首だけを回す。こっちはそこらの木を躱しながら走っているってのに、あの怪物は障害物など一切ないっていうぐらい進行上の木々を折り倒しながら真っ直ぐにこっちに猛進して来ている。

 

 しかもあれだけ木にぶつかっているのに勢いが全く落ちない。このままだと間違いなく追い付かれる。


 死ぬのか?このまま死ぬのか俺?いや、そもそも一回死んでんだっけ俺って?

それを意味の分からないアフロに告げられて、そのアフロにこんな訳の分からない所に送られて、アフロのせいでこんな目に遭って命の危機に瀕している。

 

 ……なんかムカつくな。面倒くさいごたごたは基本嫌だけど、あのアフロに俺の人生を荒らされてるって思うと意地張ってでもアイツに文句を言いたくなってきた。まだ死んでやる訳にはいかない。


「おい天智って言ったっけか?どうにかしろ」

〈要請を受諾。状況選択の検索を開始。周辺の分析完了。1時の方向に生体反応あり。そちらへ向かうことを推奨します〉

「生体反応?いや、いいや。ここはもう乗ってやる」


 言われた通りに進行方向を変えてそこへ走る。距離が着実に縮まっているからか、いくつもの木屑が俺の背面に当たるようになってきている。

 

 速度を落とせないせいでもう後ろを振り向く事は出来ない。それでも、感じた事もない殺気と圧力が暴力的に背中を掻き毟ってくる。


「おいまだか!?」

〈反応確認。5秒後に右脇へ身を投げてください〉


 5秒……4、3、2、1、ここか!受け身も考えずに指示通り右脇へ体を思いっ切り投げ出す。

 

 怪物熊は急な方向転換が出来ずに一度俺を通り過ぎたがすぐさま止まった。

……いや。今のはなんか変だった。自分で止まったというか急に勢いが死んだように見えた。


「ガ、アァァァ……!」


 妙なうめき声を上げながらその場で静止している。一体何がどうなってんだ?


「おい天智。今どうなって……、!?」


 頭上から聞こえた異音にふと目を向けて思わず言葉を飲んだ。怪物熊の傍らにある一際大きな木の上から、まるでハイエースほどの大きさがある黒い塊が木を伝って来る。

 

 目を疑いそうになったけど、怪しく光る八つ目と禍々しく動くあの八つ足は紛れもなく蜘蛛だ。

 

 巨大な蜘蛛。それが木を闊歩するかのようにゆっくりと伝って降りて来ている。よく見ると怪物熊の体には無数の蜘蛛の糸が絡まっている。怪物熊が微動だにしないのはあれが原因だったのか。


「ガッ!グガァ!!ガァ!!!」


 抵抗しようとする怪物熊。でも一切体は動いていない。それを余所に巨大蜘蛛は怪物熊の頭上付近まで降りて来るとその禍々しい八つ足の内、前の4本を振り上げて怪物熊に襲い掛かる。


 一瞬だった。怪物熊は為す術もなく巨大蜘蛛に致命傷を負わされ瀕死の状態になった。

 

 そして、巨大蜘蛛は目の前の獲物に止めも刺さずに無情にもそこから捕食を始めた。


 悍まし過ぎる光景に声は出ずとも吐き気を催す。それでもここで気取られるわけにはいかない。気取られれば終わり。どうにか息も気配も殺さなければ。


〈状況を確認。固体名:ゾディア・タラテクトは捕食の間は他の獲物に気を向けない為、今が離脱の機会であることを進言します〉


 本当に大丈夫なのかと思いつつも、強張る体を無理矢理動かす。天智の言う通り今はこっちに意識がないように見えるけど、それでも万一の為に最小限に物音を抑えながら、精神衛生的に規制がかかってもおかしくないその場からどうにかこうにか離れた。


「たまったもんじゃない」


不意にそんな言葉が口から零れた。

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