第6話 卒業の日。―I―

 男の子、女の子。

 どうしてそんな区別があるのかな。


 僕の初恋は、ずっと内緒にしてある。


 傷つくひとがいるって、やっぱり悲しいね。



 水しぶきが盛大に弾き、空中にも飛び散った。随分荒れている泳ぎだなと、あんまり「目がよくない」自分でもわかるほど、楓の泳ぎは乱れていた。

 ずっと一心不乱に泳ぎ続けている。

 メニューを作った秋良本人は涼しい顔でドリンクを飲み、他の部員に指導している。先にメニューを終え、プールサイドでドリルについて説明しているらしい。ドリルとは、泳ぎを矯正したりするために特化した練習のことで、目的に応じてさまざまな種類がある。

 スイマガを愛読し他にも競泳についての書籍を読み込んでいる秋良の知識量は、地頭がいい聡史郎と同じくらいか、それ以上だろう。

 それにしても、不自然なくらい楓を見ないな。

 いつもは楓の泳ぎが乱れたり壊れたりしたら、誰よりも先に駆けつけ、指摘するのに。

「喧嘩でもしたの、あの二人」

 気になったので、メニューを終え、ストレッチをしている聡史郎の背後に声をかけた。聡史郎はプールサイドにマットを引き、座ったまま胸をつけるように腰を曲げ、かたまった筋肉を伸ばしていた。

 彼の筋肉は硬い。競泳選手の筋肉は比較的柔らかいと言われているが、筋トレが趣味という聡史郎の筋肉は競泳に不向きな重くて硬い筋肉になった。

 元々の体質も大きいので、コーチも楓も秋良も何も言わなかったけど、あの筋トレは意味あるのかね?と影で言われているのは本人には内緒である。

「多分ねー。お昼、秋良が珍しく不機嫌だったからー」

「昼、一緒だったの?」

 珍しいねぇと、聡史郎の背中を押した。う、と鈍い声を漏らす聡史郎。本当に硬いな。

「なんでも楓のまつ毛が目に刺さって赤かったから、秋良が病院行けって言ったらしいよ。昼休み、秋良が一人で食堂来てたよ」

「あんら、珍しい」

「一人だとしても食堂なんて滅多に行かないのにな。よっぽど寂しかったんじゃね?」

 聡史郎は背中を伸ばし、あーとうなりながら、首をコキコキ鳴らし揺らした。

「あの二人の喧嘩にはあんまり関わりたくはないんだよなぁ」

「総ちゃんの役目じゃん」

 だとしてもーと、聡史郎は立ち上がり、プールで泳ぎこむ楓に視線を向けた。

「どっちも言ってこないし、口出すな、ってことじゃん?」

 もう子供じゃないし俺の仲裁もいらないだろうよ、と聡史郎。壁にかけてあったセイムをとり、ガシガシと頭の水を拭く。

「楓のこと、そろそろ守ってやれるのも限界だしさ…」

 聡史郎は、目を細め深く息を吸うと、それをゆっくりと吐き出した。

 ため息というより、深呼吸に近い。

「お前も二股してないで、立夏だけ見てろ」

 な、と肩に手をまわしてくる聡史郎に、何かを察知した。はいはい、これ以上は詮索するなということだろう。ニンマリと不自然に白い歯を見せ笑い、そのまま引きずるように更衣室へ。

 歩きながら、二人だけの内緒話をした。


『誰が楓と結婚するかって喧嘩したことあったね』

『そうそう、楓本人は不在でな』

『恋とかよくわかんなかったけど、自分たちの周りの一番の異性が、楓だったからね』

『俺もお前も途中でリタイヤしたけどな』

『リタイヤしなきゃいけなかったからねぇ』

『楓を傷つけないために、な』

『そう、決めたからね』

『お姫様を守る役目も、そろそろ潮時だ』


 高校を卒業したら、東京に行こうと思っている、と聡史郎に言われた。

 水泳は高校まで。

 だから最後は一緒に泳いでほしいと聡史郎に土下座までされて、この高校で聡史郎と三年間、一緒に泳ぐことを決めた。

 その、聡史郎の水泳への卒業には、もう一つ意味があった。


 「楓を守る役割を、降りる」


 楓の涙の告白から数年間。

 秋良と聡史郎と共に、ずっと、楓を守ってきた。

 それは恋愛なのか友情なのか、兄弟愛なのか、同情なのか。


 自分たちにもわからないまま、それでも。

 楓を守ることだけが、自分たちにできるたった一つの道だった。


 そう、その「卒業」の日までの。




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