第4話 僕の知ってる恋。―A―

 恋愛って何だろう。

 男と女が契を結んで、約束という言葉でつながって。


 僕たちの気持ちは一つだけ。


 いつか来る傷つく日を、怯えている。



 風呂上り、疲れた身体を労り塩素を洗い流し、さっぱりとした気分でリビングにもどると、そこには今、この家を出ているはずの懐かしい姉の後ろ姿が見えた。といっても、数か月に一度はこうして突然帰ってきて、何もなかったかのようにリビングでビールの缶を握りしめているのだが。

 長女の春歌は、ソファに座りビール片手に、液晶テレビのドラマを見ているようだった。

「帰ってたの?」

 春歌の横に座り、タオルで髪を拭く。拭きながらチラリと横目で春歌を見ると、怒りと悲しみがまじった痛々しい表情で液晶画面を見つめていた。おそらく、画面の中の空想の世界を見ているのではなく、今なお自分の中にある現実の世界を見ているのだろう。

 遠くを見ているようで、心はここにはなかった。

「春歌ねぇ」

 その証拠に、名前を呼びはじめてハッとした春歌は、目を丸め、隣に座る自分にたくさん瞬きしてみせた。

「びっくりしたぁ」

「みたいね」

 春歌はフッと息を吐き、目を伏せた。安堵に近い表情だった。

「今度は何かあったの?」

「今度は、って言わないでよ…」

「でも、今度は、じゃないの?今年何回目よ」

「………」

 30歳をすぎたばかりの姉は、子供のようにふて腐れ唇を尖らせた。ふぅん、だ、と髪に指を絡ませた。耳のあたりにあった髪をかき上げ、今度は深く息を吐いた。

「結婚したかったのよ。誰でもよかった」

「聞いたよ」

 いつも言う、春歌の口癖だった。彼と結婚したかったわけじゃない、結婚をしたくて、そこにいたのが、彼だったの、と。なんて失礼な話だ。言い始めたときはそう思った。

 それでも春歌は、そのことを客観的に理解していることが救いだった。

 自身が悪くて相手が悪いわけじゃない。だから結婚した以上、自分も努力をしていかなければならないのだと、実家に帰ってきては、自分に言い聞かせるように自分や立夏ねぇに思いを吐露した。

 その言葉通り、姉なりに努力して、旦那との関係を築き上げていった。

「春歌ねぇだけが悪いわけじゃないよ」

 こんな言葉が姉を救うとは思わないけれど、戦っている姉を相手に、厳しい言葉を浴びさせることはできなかった。立夏ねぇがここにいたら、さっさと別れたら?と男前に言い切るのかもしれないけれど。

「決めたのにな。彼の支えになる、って。自分の気持ちより彼を優先しようって」

「んなのこと、いつか限界がくるよ」

 そうなんだよねぇ、と首を伏せて両手で頭を抱えた春歌。ため息が足元に落ちる。

 恋愛に苦労してきた姉のこういう姿は、小さい頃からよく見てきた。

 容姿はそこそこ悪くないとは思うのだが、どうやら、選ぶ目をもっていないらしい。選ぶ男選ぶ男、みんな何かしらの問題を抱えていた。

 そんな春歌が恋愛に愛想が尽き、結婚してその相手にずっと寄り添って生きようと決めたのは、意外ではなかった。

 恋愛に疲れて、でも一人で生きることはできなくて。

 そんな弱い自分を責めることもあったけど、きっと、そういう人間は多いと思う。だからこそ、不倫が世間を賑わせたり、ワイドショーで議論されるのだ。

 たかが恋愛なのに。

 そして、恋愛を辞めても、また。

 男と女が生きていくためには、簡単には言い切れないものがあるのだろう。

 男女とは限らないかもしれないが。


「ねぇ、春歌ねぇ」

 ぽろぽろと涙を流す姉に、そっと告げる。

「一人は苦しいよね」

 結婚しても、結局一人なのだと知った姉の涙は、冷たかった。

 結婚しても、婚姻届に証明してもらっても。


 心がつながっていないと感じたら、そこには、何も存在しない。


 結婚は紙切れ一枚でしかない、まさにそう思う。

 そんなものでもあるだけで姉がまだ、頑張れるなら。


「頑張ろう?」


 諦めないように言ってあげたい。

 そこには、自分の願望もこもっているのだけれど。















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