放たれる策

 矢を射掛けながら、復活の巫女の軍は緩やかな弧を描くようにして散開してゆく。その方が、直線的に射込むよりも効果が高い。

 対するバシュトー軍は、小さく固まって矢を避けるべく盾をかざすばかりで、なかなか応射の様子を見せない。本来ならすぐ自らの位置を変え、容易に狙いを付けさせないところであるが、やはり何かがおかしい。

 これが何かの策であり、それを発する機会を待っているのであるならば、とてつもないことになるかもしれぬ。そうでなければ割に合わぬくらい、バシュトー兵は一人また一人と削れていっている。

 マーリがリャビクを切り離してリシアの側に戻したのは、その策を警戒してのことか。どのような手立てで攻めて来るか分からぬから、復活の巫女の軍にとっての核と言うべきリシアの旗だけは倒すわけにはゆかぬというところだろうとスヴェートは解釈している。

 スヴェートが、馬の体を挟む腿に込めた力を強めた。愛馬は頭を低くして疾駆の姿勢に入り、同時に激しく鼓が打ち鳴らされる。そういう呼吸のもとに行動できる何かが、この軍にはあった。

 鼓の音を聴いた歩兵は、矢を緩めることなく左右に分かれ、中央に間隙を作った。

 しばしの後、矢が止む。同時に、その間隙から騎馬隊が飛び出してくる。先頭にあるのは、スヴェート。


 王の軍は、動かない。来着を告げても、陣を敷いても、それを動かしても、我関せずとでも言わんばかりの姿勢を保ち、ただ静かに佇んでいる。こちらもまた何かを狙っているのであろうが、要塞に拠っているわけでもないのに消極が過ぎるように見える。


 スヴェートの馬が闘争心を剥き出しにし、鼻息を荒くする。向かう先にあるバシュトー兵の姿形まで、はっきりと見ることができる。突進する騎馬隊に狙いを定めてくる矢が集中しているが、バシュトーの用いる短弓など、よほどの至近距離でなければ脅威にはなり得ない。バシュトー軍自体が動きながら相手を急襲せねば、意味がないのだ。


 スヴェートは、矢の雨がどこに降るのか見えるように感じた。そこから身を避ければ、死から遠ざかることができる。遠ざかった先にあるものが何なのかは、分からない。

 しかし、見定めようとしている。地を埋め尽くすほどのバシュトー兵が堅く組んだ陣の最奥に秘められた策を。

 突き入った。

 咆哮。馬上で長剣を振り回すスヴェートは、暴れる風そのものとなった。その向かうところでバシュトー兵が、呆気ないほど吹き飛んでゆく。

 そういう将を先頭にした部隊の突進力とは凄まじい。見る間に、陣の中へ中へと道が穿たれてゆき、そこへ後続の騎馬隊が次々と殺到した。

 バシュトー軍の前線は、壊滅的な損害を被っている。

 それを突破し、中軍の最前段にまた突きかかろうとしたとき、いきなりそれが真っ二つに割れ、この地点で大きく流れを曲げるアーニマ河とそれが背負う丘とを見せた。

 しかし、スヴェートが見たのは、太古からそこにあるであろう自然の風景ではない。それとは似ても似つかぬ、木と鉄によって造られた人工物である。

 遠くで、遙か遠くで号令がかかり、それは運動を始めた。


 馬車。いや、当時の表現で言うなら、それは戦車であった。かつて、王家の軍がウラガーンとののときに用いたのと似たもので、車を曳いた馬の群れで原野を駆け回らせ、そこにある敵に大打撃を与えるというもので、十聖将の一人であるサンスがこれを凌ぐためその軍もろとも命を砕いたことはいまだ人の口に上るところである。

 それを、バシュトー軍は用いている。

 パトリアエの者は、誰もが、このような大掛かりな仕掛けをどこから、と目を疑った。土煙を上げながら迫り来る姿を見ると、車には尖った丸太が据え付けられ、鉄板で強化されていたりもする。

 ──船か。

 スヴェートは、直感した。彼らがなぜか南北に長く布陣し、その背後の河を守るようにしていたのは、これを秘匿するためであったのだ。河沿いに着けた船をその場で解体する。はじめから船には工夫が施されていて、解体後、即座にこの戦車の材料となるように作られていた。馬を存分に積載してきたのは軽騎の得意分野である原野での機動戦という形に持ち込むためではなく、戦車を曳かせるため。

 スヴェートらは無論知らぬが、これが、ペトロの最期の策である。パトリアエの者で、この戦車の威力を知らぬ者はない。なにしろ、これがためにが華のように散ったと人が歌っているのだ。誰から頼まれるでもなく、二十年の時を経て、それは戦場にある人の中に、サンスという一人の男の死以上のものとなって根を張っている。

 ペトロは、そこを突いたのだ。

 しかし、彼もまた、すでにこの世に無い。おそらく、彼はこの圧倒的な力でもってグロードゥカに迫って恫喝の姿勢を見せ、ただちに講和を成立させようと考えた──人は皆、これがグロードゥカに乱入して来ればどのような有様になるだろうかと想像して恐怖するだろうし、サヴェフがそれを無視して決戦を強行するはずがないと読んだ──わけで、今まさにこのウィトゥカの原野においてそれに直面した復活の巫女の軍を存分に蹂躙し、効果を発揮している。

 だが、それは、ペトロの意思ではなかったろう。彼はおそらく、これを実際に使うことまでは考えていなかったに違いない。

 彼の目論見は、外れたのだ。世に並ぶ者無しと言われた大軍師ペトロの最期の一策は、自分自身の死と、相手方の宰相サヴェフの死を予期することができなかったために狂い、外れた。

 圧倒的すぎる力を与えられたバシュトー軍率いるシトが、それを行使した。原野に轟く馬蹄が、車輪の軋みが、人の断末魔がどこへ向かい、何をもたらすのか知る者は、どこにもいない。

 誰も知らぬし、誰も至ったことのない場に、彼らはいる。


 馬軍が、襲ってくる。それが曳く、戦車も。夥しい数である。たまにどこからともなく飛来して畑のものを全て食らい尽くす蝗の群れを思い浮かべた。

 すれ違う。

 綿密な調練などなくても一個の集団としてまとまりを見せていた復活の巫女の軍が、掃いたようにして削り取られた。凄まじいまでの衝撃であった。馬やそれが曳く戦車に触れればたちまちのうちに無惨な肉塊と化すが、それ以外にも戦車には人が乗り込んでいて、バシュトー自慢の短弓を次々と放って被害を拡大していた。

 スヴェートは、その様子を見て取って、目を細めた。

 短弓ではない。荒れ狂う馬が駆け、けたたましく鳴らす車輪の上の部分に乗り組んでいる兵は、弓とは異なる形で構えを取り、しきりと腕を回転させている。 スヴェートは、はっきりとその兵器を見たことがなかったが、これが噂に聞く連弩というものかと思った。かつてウラガーン軍において工兵の長ベアトリーシャが東の国の文献から再現したとされる、連発式の弩である。

 あの船は戦車に姿を変えたばかりか、このような兵器の材料にまでなった。おそらく、板の一枚に至るまで無駄なく設計され、解体して即座に別の兵器を組み立てられるようになっているのだろう。

 圧倒的な威力を持つそれらは数えるのもおぞましいほどの死を生みながら留まることをせず、軍の奥へ、奥へと進んでゆく。


 たった一撃。たった一撃で、信じられぬほどの損害である。陣形などあったものではなく、ただ暴れ回る戦車の思うままに復活の巫女の軍は破壊されている。

 マーリは、とスヴェートは思った。その生死を疑わねばならぬほどの状況に、一瞬で陥った。マーリもまたスヴェートの安否を真っ先に気にしたらしく、馬を向けようとしていた。しかし、塊になれば狙い撃ちにされると咄嗟に察し、むしろ軍を散らばらせて次なる突撃の被害を軽減しようと必死で指揮を始めている。

 中軍にある将帥サハリはどうなったかと首を巡らせた。土煙の中で先ほどまで威勢よく立っていた旗は、消滅している。サハリの生死は分からない。

 戦車隊が反転するのが見える。死が、またやって来るのだ。はじめ何人死に、次は何人死ぬのか。

 それを数えるより、どう切り抜けるかだ。スヴェートの思考は、天地の狭間にあるあらゆるものからそのきっかけを求めた。

 英雄王の軍。そこに、眼がいった。そして、その目を思わず見開いた。

 動いている。

 旗が。人が。いや、天地が。

 英雄王は、待っていた。この戦場にラーレもしくは復活の巫女の軍のいずれかが到着するのを。それが、動くのを。そして、バシュトー軍がそれに応じ、秘めたる策を放ってくるのを。

 どこを狙っているのか見定めようとした。そして、その道筋が見えた。

 先頭を駆ける白馬。にわかに吹いた激しい風のために旗の模様は視認できない。おそらく、英雄王自身であろう。それが、戦車を繰り出すために真っ二つに割れたバシュトー軍の中枢を目指しているように見て取れた。

 速い。信じられぬほどに、速い。まるで、墜ちる星のように。その先にあるものに向かうように。

 敵将の首を、一息に挙げるつもりか。スヴェートはそう見て取ったが、違う。

 英雄王は、西へと方向を転じた。

 その地平の向こうから、それを埋めるほどの軍が姿を現しているのに、スヴェートはそこではじめて気付いた。

 挟撃である。まだそれが地平にあるときから黒鉄くろがねの輝きを放っているのが見えた。

 だとすれば、ラーレは。

 漆黒の騎馬隊。それを率いるのは、黒い墜星。

 阿鼻叫喚となったこの原野が背負う、浮かぶ小島のような丘に、リシアの旗と中央軍の旗が立っている。

 それを狙っていると直感した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る