第十二章 客星の光

ペトロの船

 客星とは、それまでそこになかったにも関わらず、あるときにわかに出現する星のことを言う。

 平安時代の藤原定家という貴族が命じて編ませた新月記という記録に、

 ──後冷泉院、天喜二年四月中旬以後の丑の時、客星觜、参の度に出ず。東方に見わる。天関星に孛す。大きさ歳星の如し。

 と記されており、筆者はそれを引いた。現代に生きる我々にとってより分かりやすい語を用いるならば、超新星爆発のことである。記録によれば、昼間でもその光が見えるほどに明るくなることがあるらしい。

 それは、星の最期のありようの一つである。今から描くものがまさにそのことを思わせるから、この一節をそう題したわけである。



 巨星、サヴェフ墜つ。その報せは、パトリアエ全土を駆け巡った。無論、コスコフ地方に食い込んで拠り、船を造ったりしているバシュトー軍にも。

 バシュトー軍の中では、このとき、天地がひっくり返ったような騒ぎになった。なにせ、彼らにしてみれば、その一人の存在があるかないかで戦いの帰趨が決まると言っても過言ではない大軍師ペトロの死と敵方の首魁である宰相サヴェフの死とが、同時にやって来たのだ。誰も、このあとの世がどうなってゆくのかということについての見解を持ち得ないし、したがってどうすればよいのか分からない。

 講和か、戦いか。彼らは、揺れた。


「このようなとき、軽挙をしてはならん。しっかりと物事を見定めよう」

 ザハールは、さすがに慎重になった。その子シトを副官につけ、二万を超える戦闘部隊と、同じほどの数のある工兵や開墾兵、輸送兵などの支援部隊を一手に抱えることになれば、さすがにそうならざるを得ない。

 彼は、はじめ、ただペトロの死を嘆いた。死んではならぬ者が、死にすぎる。そう、彼は言ったという。それが、彼の正直な気持ちであったろう。

 コスコフの造船部隊の視察に行った帰りに、連れていた護衛もろとも、殺害された。護衛の者は剣を抜く間もなく、まるで刺客の接近に気付くことなく死んだように転がっていたが、ペトロは違った。ペトロは、剣を抜いていた。

 布を被せられて運ばれてきたその亡骸を改め、ザハールには気付くところがあった。

 ペトロの受けている傷。それは、ひとつだけであった。彼の左脇腹から、斜め上に刃が入った痕。その一撃で、彼は死んだのだ。

 ふつう、剣を構えるとき、左脇というのは相手から見ると奥に位置し、さらに下がった腕によって守られている。そこを一突きするような方法は、ない。あるとするなら、ペトロが剣を振りかぶり、脇腹が空いたその刹那、すれ違うようにして背後に回り、自らの背に向かって突きを繰り出すような仕様しざましかない。

 また、ふつう、すれ違うなら、相手の右側に抜ける。左側というのは剣が斜めに落ちてくる範囲にあたるから、危険なのだ。無論、剣技において、斬撃の起こりを狙って自らの右側を取ろうとしてくる相手に応じるべく、振りかぶりながら半身を開き、右側の死角を殺すような心得は、少し剣をたしなむ者なら誰でも持つものである。

 それを、逆手に取る技もある。右に抜けると見せかけて体重を移し、その勢いでもって我が身体を旋回させて敵を欺いて左に抜ける。当然、そのとき、敵は左脇を正面にするような格好になっている。

 そこを、突く。斜め上に突き上げるようにして、身体の奥深く。

 それをするには、ふつうの握り手ではいけない。

 左逆手。ペトロが扱うような長剣や、ザハールが振るうような幅広の剣では、決してできぬ技。

 ザハールは、もの言わぬようになった古い友人の亡骸を改め、確信した。

 それができるのは、一人しかいないと。

 黒い外套を翻し、それをする姿が、ありありと目に浮かんだ。


 その怒りを、悲しみをどうにかする暇すら与えられず、サヴェフの死の報せももたらされた。それゆえ、ただごとではない方に世が進んでいるのだということを感じ、まず事態をよく把握することに努めた。

 ペトロが間諜として使っていたジェリーゾは、パトリアエ国内の状況についての情報をさらに詳しくもたらした。

 宰相サヴェフの死は大々的に国内に発布され、あちこちの候やその治める領土は大変な混乱にあると言う。トゥルケンと境を接する北の大森林の国も、長く王位争いのために外征ができる状況ではなかったが、さすがにこの機を逃すまいと兵を集めつつあるという噂もある。

 もう、パトリアエは、戦いができる状態ではない。このまま、バシュトーとの戦いは、立ち消えになるだろう。そういう見方が、大勢を占めている。

 そうであるならば、早く講和を結ばねばならない。

「シト」

 ザハールは、副官である我が子を呼んだ。戦いに参じた頃に見せていた少年の面影はもはやなく、立派な武人として育っている。若さとそれがもたらす鋭気と、それを滅多やたらと外に出さぬ落ち着きが備わっており、頼もしい限りである。

「ペトロの船のことを、お前に伝える」

 ペトロの船、というのは、ペトロが命じて作らせていたもののことである。コスコフ地域の森林を伐り開き、それをさせていた。そして、その責任者が、ペトロが何を作っていたのかをザハールに伝えてきた。

「ペトロ様の、船ですか」

 その船でもってソーリを渡り、アーニマ河を遡り、直接グロードゥカを突く。その構えを見せることで、講和を有利に運ぶ。そういう策であると誰もが認識していた。しかし、造船の責任者は、そうではないと言う。

「あれは、ただの船ではない」

 ザハールは、ペトロが遺した恐るべき策について思いを馳せるような光を湛え、呟くように言った。同じ声で、その船が、一体何のために造られていたのかということを、シトに告げた。聞いたシトは、

「そのようなことが、ほんとうに――」

 と、信じられぬという様子であった。

「ペトロは、おそらく、ここぞというときに船団を発し、一息に今告げた用い方でもって形勢を逆転させ、パトリアエの喉元にそのまま刃を突きつけるような格好でもって静止し、講和を持ちかけるつもりであったのであろう。そして、今、こういう状況になった。ペトロの最期の策は、今こそ用いられるべきだと俺は思う」

 老いを見せつつある父の顔に刻まれた皺を見つめながら、シトは息を呑んだ。もし、それが成るなら、講和どころか、パトリアエに勝つことも不可能ではないほどの策である。

 勝てる策でありながら、あえてそれをしない。それゆえ、講和に重みが出る。その理屈は、シトにも分かる。今となってはバシュトー軍と漆黒の騎馬隊を率いる最高責任者であるザハールの唯一の目的は、その妻アナスターシャと娘リシアとの再会でしかない。そのために、戦いを終えなければならない。ペトロの船というのは、間違いなくその決め手になる。シトは、そう思った。

「それを、お前に任せたい」

「私に?」

 シトは、驚いた。ペトロの遺した船団を自分が率い、ソーリを渡るなら、ザハールは何をすると言うのか。それを、問うた。

「知れたこと」

 ザハールの顔が、戦士のものになった。

「ソーリを渡らんとすれば、必ずラーレが背後を突こうとしてくる。それを食い止めることができるのは、俺しかおるまい」

 確かに、そうである。船団をソーリに浮かべれば、ラーレが黙っているはずがない。その準備や兵員を乗り組ませている間に、必ずそれを阻止しようとしてくる。ザハールとシトのどちらもが船団に乗り込んでしまえば、戦いの女神の急襲を背後から受けることとなり、船を出すことができない。また、ザハール自身がソーリを渡り、シトがコスコフに残るなら、シトがラーレと当たることとなるが、彼の力量では歴戦のラーレに一蹴されてしまうのは目に見えている。

 それゆえ、ザハールは、自らが残り、我が子シトに講和の要となるであろうペトロの船についての全権を委託することを決めた。

「戦いは、大したものにはならぬだろう。サヴェフを喪ったパトリアエは、もう、頭の潰れた蛇と同じなのだから」

 ザハールは、自分の見立てについて、そのようにシトに説き、シトもまた同感であるとしてそれを受け入れた。



 彼らのうちの誰もが、知らない。サヴェフとペトロという星が同時に墜ちたことでもたらされる混乱が、それらを塗り替えて余りあるほどの激しい光でもって治められることを。そして、その光は、目的に向かって直進し、人はその光の帯に、まるで唯一の道のようにして足を踏み入れ、歩むことを。


 ――龍、その鱗を散らし、星として光らす。しかし、人、いまだ知らず。龍眼の輝きを。天に俄かに現する、客星の輝きを。

 ウラガーン史記 第五十七節二項「客星」より抜粋

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