ラーレ軍、グロードゥカに入る

 精霊の巫女が、処刑された。それは、ラーレの軍の中にあって人足として使われているスヴェートらの耳にも入った。

 このことは、誰もが大変なこととして受け止めた。

「いったい、どうなっていくんだ」

 スヴェートが引き連れている一団の中でひときわ思慮の足りないリャビクが、言った。中央でも夜になれば秋が終わりかけているように感じる程度の風が吹くくらいの時期だから、火にあたっている。

「龍でも、大精霊でも、人から奪うことは許さぬ、か」

 王の言葉として、宰相サヴェフは人々に向かってそう言ったという。そういう噂話を集めてくるのが、マーリは得意だった。ではリャビクがマーリに比べて劣るのかと言われるとそうではなく、力仕事をさせればリャビクの右に出る者はなく、なおかつ疲れ果てた仲間の分まで奮起して荷車を押したりするようなところを持っていた。

 ラスノーの街をうろついていた頃は、マーリはただ銭勘定が上手く目先がきく程度の男で、リャビクは羊や山羊の肉をさばくのが上手い力持ちの男でしかなかった。

 しかし、こうして世に出てみると、思わぬ才能やそれまで表にあらわれなかった性格などが見えるものである。

 スヴェートは、それを楽しむようになっている。彼を慕って集った仲間は、そのため、より己という人間がどのようなものであるのかを発見し、表現してみせようとするようになっている。

 同じ火を囲む彼らは、それぞれが違う者であり、それぞれに思うところがある。今回の決起であらためてスヴェートはそれを知ることになったが、それぞれの瞳に同じスヴェートが映っていることを自覚し、その求めに応じて立つにはまだ時間を要する。


 ノーミル暦五〇五年、十月。領地を離れたトゥルケン候ラーレの軍二万三千は、グロードゥカに入った。その白銀の軽騎兵は人々の語り草になっており、戦場を風のように駆けながらときに敵を突き崩し、ときに騎射で混乱させる変幻自在の働きぶりを知らぬ者はない。

 喝采と、賞賛の声。それは荷車を押すスヴェートにも降り注ぐようであり、彼らは、これがパトリアエ正規軍か。と目を輝かせた。

 ラーレはまず王城に入って王に挨拶をし、そののち宰相の部屋に入った。


「我が子パシハーバルは、息災でありましょうか」

 以前にも触れたがラーレのような女にも子ができており、十三歳になる。父親は、分からない。ラーレが、頑なに父親のことを語らないのだ。

 ラーレの腹は誰も知らぬ間に膨らみはじめ、その状態で反乱の鎮圧に出向いたりもしていた。さすがにそれが目立つようになってから出産までの間は戦場には出なかったが、産後しばらくすると何事もなかったかのように復帰した。

 取り上げられた子は男子で、なぜかトゥルケンでは暮らさず、産まれてからずっとこのグロードゥカで過ごしている。

 母であるから、それがどのように成長しているのかということを訊くのは自然なことだろう。

「息災だ。兵として、芽がある」

「それは、何よりです」

 ラーレのこういうところは、骨に染み付いている部分なのであろう。サヴェフをかつての戦いを共に過ごした同志としてではなく、一国の宰相としてしか見ていない。

「今、どの軍に」

「私の麾下に、置いている」

「サヴェフ殿の」

「べつに、お前の子だからではない。パシハーバルに素養があるからだ。まだ見習いではあるが、もう二、三年もすれば兵となり、人の上に立つような器に育つのにも時間はかからぬだろう」

「そうですか」

 ラーレはそれだけを言い、上官に対する礼をほどこし、退室しようとした。それを、サヴェフが呼び止める。

「訊かぬのか」

「たった今、知らせていただきました」

「違う」

 ラーレは、全く表情を動かさず、なにが、と言う様子を見せた。

「アナスターシャのことだ」

「ああ、処刑のことですか」

 精霊の巫女の処刑。そのことについて何も問わぬというのは、おかしい。普通なら真っ先にそのことについて詳しい状況を知りたがりそうなものであるが、ラーレはついにその話題には触れることがなかった。

「なぜ、と問うことに、意味があるとは思いませんので」

「しかし、思うところはあるはずだ」

「ありません」

 ほう、というような顔をサヴェフはした。それとわざわざ眼は合わせず、

「国が決めたこと。国にとって、意味があること。アナスターシャの処刑は、わたしにとってはそういうことでしかありません」

「そうか。我らがまだウラガーン軍として立っていたときからの仲だ。お前でも心が騒ぐことがあるのではないかと思っただけだ」

「お気遣いには及びません」

 サヴェフが顎髭に手をやる。ラーレはそれにちらりと一瞥をくれ、退室した。


 ラーレなら、やるだろう。相手があの戦いを共にくぐり抜けたザハールとその麾下の最強の騎馬隊であったとしても、生命そのものを矢にしてぶつかり、首を取るか取られるかの戦いをするだろう。

 国。軍。それが、ラーレの全てであった。十五年経った今でも、それは変わらぬように見えた。

 アナスターシャの死を知っても、眉一つ動かすことはなく。ただ軍営としてあてがわれた建物に入り、叛乱軍を叩き潰すための準備についての指示を端的に、的確に行うのみ。それが、ラーレ。

 しかし、筆者は思う。ほんとうに、それがラーレという存在の全てなのだろうかと。彼女がスヴェートの誕生のときに流した涙と魂の叫びは、あのときだけのものであったのかと。

 そのようなことは、まずありはすまい。十五年である。男というものを自らにのしかかる育ての親の体重と汗でしか知らなかったラーレにも子が産まれているほど、時間というものは人を変遷させる。

 ラーレは、心中、なにを思うのか。想像することはできても、こうであったという事実までは史記は語らぬ。ただ、今描いたようにわが子パシハーバルの様子を尋ねたということと、精霊の巫女の死を知っても眉ひとつ動かさなかったということだけが綴られている。

 例のごとく、それに肉を付けてゆきたい。そのことも、おいおい描く。


 十二月二十日、ラーレはグロードゥカでの補給と部隊編成を終え、このときのパトリアエでは太陰太陽暦を採用していたから、ラーレのやってきたトゥルケン地方の山間部などは、もう雪が積もって白に完全に閉ざされていることであろう。

 無論、南にゆけばそのようなことはないが、もしザハールの決起が一月ひとつき遅ければラーレは雪に阻まれて中央に思うように入れなかったかもしれない。

 見計らったかのような時期での決起。それを知り、中央にやってきたスヴェート。精霊の巫女の処刑。その場に姿を現さなかったその娘リシア。そして、グロードゥカでサヴェフの麾下にいるラーレの子、パシハーバル。中央においても、この十五年になかったような動きが出ていることは間違いない。

 ただ一人の天才が歴史を動かすことはない。万の凡人が歴史を動かすこともない。歴史とは、常に動いているのだ。

 だが、その一定であるように見える動きにも、緩急がある。緩なるときは世は治まり、人は安寧の中にあり、利や益のことに目を向ける。急なるときは、その急なるものを緩へと帰さんとする者が、かならず現れる。

 彼らは、特別なわけではない。だが、時代が、環境が、国が、文化が、風習が、それがもたらす価値観が立場を作り思考を作り、人を作ってゆく。

 パトリアエが成るときすでに、それはあった。

 いかにもサヴェフが全てを思考の中で描き、彼の思う通りに歴史が進んでいるように見えるが、違う。

 サヴェフもまた、その役割を与えられた者なのだ。大いなるもの、というような抽象的なものではなく、もっと具体的な事象や時代背景によって。

 彼は、それに従順であった。だから、彼はサヴェフでいることができた。

 それだけを描いても、おそらく何にもならぬであろう。どうやら、筆者は、もう少しラーレの率いる二万三千の軍に筆を置いてみる必要があるらしい。

 少し時を戻して、十月、ラーレがグロードゥカに入ってはじめに向かった、王の間でのことも、ついでに描いておくことにする。

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