決戦へ

 まず、両軍は、ラハウェリとソーリ海沿岸地域にある王都の二地点のちょうど間にある、サムサラバードという地を目指した。明らかに特定の言語圏に属し、その母語まではっきりとしているナシーヤの語の響きではなく、多言語圏の語を由来とするそういう地名が今なおここに残っているというのは興味深いことではあるが、それについてはここでは省く。


 サムサラバードとは、はるか昔ここに存在した国家の首府であったとされる場所であり、現代においては発掘調査などによりその市街や王城の跡などが次々と見つかっている。

 度重なるアーニマ河の氾濫と、それがもたらす土砂により、このノーミル暦四八九年の時点でもその大半は土や砂の下に埋もれており、この平坦な原野のところどころに、当時の石積みや何かの建造物の屋根などが頭を覗かせているに過ぎない。


 そこを、決戦場とした。

 サムサラバードは、遥か古代の王国の都があっただけあり、東西南北に道の別れる要衝であり、アーニマ河にも近い。この地点を抑えれば、ウラガーンは四方周囲への働きかけが更に行い易くなり、ソーリ海と、遥か東の山脈までを繋ぐアーニマ河をも手に入れることになる。

 そうなったら、各地の候の中に、なおナシーヤを支持しようという者はおらぬようになるだろう。


 すなわち、ナシーヤ側も、是が非でもそれを死守しようという構えを取るということになる。

 決戦場とは、どちらかが、あるいは双方が決めるものではない。互いに奪うことに意義を最も大きく感じる地点が、そうなる。


 もはや、あとは、正面きってぶつかり合い、雌雄を決するのみ。

 しかし、これまで、彼らは、ただ正面から組み合い、殴り合うようなことをしてこなかった。彼らは、一見違う方を見ているような素振りを見せながら、遠回しに遠回しに互いを攻撃し合った。

 全く関係のないようなことが、実は目的に直結している。そのようなことが、多くあった。だから、ここからの戦いも、子供の喧嘩のように、どちらかが泣き出すまで殴り合うというような単純なものにはならぬということは容易に想像できる。


 実際、それは互いに進んでいる。見えぬ刃で、互いを斬り合う戦いが。

 まだ、サムサラバードには、どちらの兵も入っていない。せいぜい、兎や鳥や虫などがうろついている程度だろう。



 まず、ウラガーンのことを。

「攻めない」

 ペトロは、一言で方針を示した。

「攻めない、ってどういうことだ。攻めなきゃ、取られるんだろう」

 サンスが、妙な顔をした。街で生まれ、民の中で生きてきた男だから、感情が表れやすい。軍人としての経験は浅いが、博奕打ちだけあり、勝負の機を読む目と、咄嗟の事態における判断力、駆け引きの上手さ、危険を嗅ぎとる鼻には優れている。そして、何より、兄哥あにき肌なところがあり、兵に慕われていた。乱暴な言葉の裏にある、溢れんばかりの親しみと優しさに、誰もが惚れていた。


「そうだ。だが、攻めない」

 ペトロは、冴え渡る頭脳を披露した。

「王家の軍は、あそこを目指し、進んでくる」

 子供でも分かる前提である。

「そこに俺たちもまた兵を入れれば、あの古い都のあった原野は、たちまち血と屍で満ちる」

 兵を入れた場合の、想定である。

「だから」

 獣の革をなめしたものに描かれた地図に、ペトロは眼を落とした。自然、この場にいる全員の眼も、そこに集まった。


 ペトロの長い指が、そのある一点を指した。

「ここを、取る」

 それは、サムサラバードから、馬で二日ほど北の距離にある、小さな砦。

「そして、ここ」

 また、別の場所を。同じくらい南に離れた一点。

「あとは、ここ」

 ぐっとラハウェリに寄った、東の一点。

「この三点を、攻める。ベアトリーシャの兵器を使い、即座に、同時に」

「ふむ」

 サヴェフが、ひとつ唸った。


 王家の軍が王都から発せられてすぐ、ウラガーンは、この三点を手にする。そこが陥ちたという報せが入る頃には、既に王家の軍はサムサラバードに入っている。

 入れてやるのだ、あえて。

 サムサラバードという重要な拠点にだけ眼をやっていれば、全体は見えぬ。ペトロは、この戦いの、ナシーヤの全体を見、考えに考え抜いてこの作戦を立案したのだ。


 それが成れば、サムサラバードとは、王家の軍という鳥を入れておく籠のようになる。

「そして、俺たちは」

「サムサラバードを取り囲み、一気に王家の軍を倒すのだな」

 ザハールが、重々しく言った。

「いや、違う」

 ペトロの眼が、鋭くなった。ザハールも、その傍らのアナスターシャも、訝しい顔をした。

 アナスターシャが反応を示しているのは、おそらく王家の軍との決戦を控え、ニコのことを考えているのだろう。かつて想った男は、自分を殺すために、刺客を放ってきた。そう思っていた。はじめて彼に抱かれた夜の熱も、あの穏やかな声も、全て、自分を道具として見ているから存在したもの。そんな風に感じているかもしれない。

 それでも、一度は、心から愛した男である。それと、今心から愛しているザハールが血みどろの戦いをくり広げるというのは、彼女の望むところではあるまい。


「サムサラバードでは、戦いたくない」

 と、ペトロは考えを明らかにした。

「では、どこで」

「ここに、拠る」

 地図上の、一点を指した。

「——馬鹿な」

 王都。このナシーヤの、王都。ペトロの長い指は、そこを指していた。

「ここに、拠る」


 誰もが想定する、唯一の決戦場であるサムサラバードの地には見向きもせず、王家の軍にそれを譲ってやり、それを囲むような三つの地点を占拠する。それで包囲を警戒させ、対応すべくサムサラバードの中で行動をさせている間に一気に中西部の原野を抜け、西のソーリ海に寄った地の王都を突く。


 奇想天外であるが、決まれば、王家の軍はその存在の意味が無くなる。

 恐らく、王都陥落という報せは、瞬く間に国内を駆け巡り、あらゆる地の候がウラガーンを支持することだろう。そうなれば、王家の軍は、となる。


 朽ちた古代の街の残骸だけが残るサムサラバードには、彼らが拠るべきものはない。王家の軍を、そのまま原野に放り出し、立ち枯れさせることが出来る。


 本拠攻撃とは、難しい。当然、本拠にも守備の兵は残されており、空城に入るようにはゆかぬのだ。しかも、このナシーヤの王都である。ユジノヤルスクの首府を攻めたときなどとは、わけが違う。

 しかし、互いの戦力を分析したとき、その方が遥かに損害が少なくて済む。

 もし、サムサラバードで激突すれば、ウラガーンの得意とする奇策が十分に敷けず、負ける恐れもあった。


「そのために」

 ペトロが、また指を戻した。

「この三地点を、取る。同時に、速やかに。そこに、この作戦の成否がかかっている」

 全員が、息を飲んだ。


「しくじれば?」

 ヴィールヒ。眼を細めながら、地図は見ず、ペトロのみを見ている。

「俺たちの行動に、意味はなくなる。速やかに軍を集め、サムサラバードで戦うしかなくなる」

「しくじる、とは」

 ルスランである。北から戻り、束の間、妻のライラと子のスヴェートとの時間を過ごしたが、またすぐに戦い。それでも、この男は、戦いに真摯であった。

「たとえば、陥落に手間取ること。そうすれば、彼らは俺たちの企みを見抜き、サムサラバードから兵を引いてしまう。逆に、王都に籠られてしまえば、手が付けられなくなる」

「あくまで素早く、確実に。ベアトリーシャの兵器と、三点を同時に攻める者の手腕次第ということだな」

 そう言うザハールに、ペトロが頷き返す。


「ザハール。ルスラン。ラーレ」

 三地点を攻める将を、指名した。

「サンスは、歩兵と騎馬隊を連れて、サムサラバードに向かってもらう」

をかますわけだな、王家の軍に」

 サンスが頬の古傷を歪めて笑い、立ち上がった。

「ベアトリーシャ」

 呼ばれて、ベアトリーシャが、物憂げな眼を上げた。

「兵器の、手配を」

「衝車が、二十。投石機が七十六。弾は全ての種類を合わせて八百五十。連弩は、二千五百。矢は——」

 途中で、やめた。

「——ダムスクから、ここにそれらを運ばせる。そうすれば、すぐに進発出来るわ」

 三地点を、同時に攻める。兵器の運用は、ベアトリーシャ自身と、他に彼女が信頼を置いている二人の者に任せる。

「イリヤ。お前は、王都に入ってもらう。城門を守る敵の指揮官の首を、ことごとく刎ねろ」

 イリヤが、腰の剣の柄を弱く握った。


 完璧な作戦。

 それでも、見落としはないか、ペトロは考えている。

 サヴェフが、立ち上がった。続いて、それぞれの将も。ヴィールヒが最後に立ち上がり、面倒そうに伸びをした。

 アナスターシャだけ、腰を降ろしたままである。

「どうした」

 ザハールが、気遣う。

「何でもない」

 力なく笑い、彼女もまた立ち上がった。

 アナスターシャにも、重要な任務がある。

 旗の下にその姿を曝し、兵を鼓舞すること。精霊の巫女と共にある。そのことは、全ての兵の士気を極限まで高めることであろう。


 そのアナスターシャが、倒れ込もうとした。ザハールが、咄嗟に支える。見ると、顔色が真っ白になっている。薄い汗をかきながら、浅く息をしている。

「アナスターシャ!」

 ザハールが叫ぶ。


 サヴェフの眼が、曇った。

 望んでいたものが、来た。しかし、今来られては困るのだ。

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