求めるものへの道

 また、南。

「お前の兵は、手先が器用だ」

 サンラットが、見慣れぬ兵器の手入れをする兵を眺めながら、ベアトリーシャに声をかけた。

「ふつうよ」

 ベアトリーシャは、にべもなく言った。

「何だ、これは」

 傍らに置かれている弓のようなものを、手に取った。

連弩れんどだ。何発も、続けて矢を放てる弓だ」

 ザハールが王家の軍と戦うバシュトーの救援に向かったときに用いたものであることを説明してやった。

「そうか。あのとき、俺は何が起きたのか分からなかった。素早く動く騎馬隊と組み合わせれば、確かに有効だろう」

 バシュトーも、騎射をよくする。その長たるサンラットはそれを空に向け、狙いを定めてみたりしながら持ち心地を確かめている。

「これに毒の矢を組み合わせてみても、よいかもしれぬな」

「――毒?」

 ベアトリーシャが、いきなり身を乗り出してきた。美しい髪が揺れながら近付いてきたから、サンラットはちょっと身を引いた。


「――そう。あなた達は、毒を使うのね。詳しく、教えてちょうだい」

 ベアトリーシャの創作意欲に、また火が点いたらしい。土の上にどかりと座り込み、サンラットの説明に耳を傾けている。

「あなた」

 近くにいた兵を、呼び止めた。その兵はベアトリーシャに呼ばれるのが嬉しいらしく、頬を染めながら直立した。

 これも、ベアトリーシャの隊の特徴である。兵は皆、何故か、冷たく厳しい彼女の視線に射抜かれながら叱責を受けることを、喜びとしているのだ。

 その兵も薄い色の金髪を風に揺らしながら、彼女の指示を待っている。

「今から、教わった毒の作り方を言う。その毒を塗った矢を、出来るだけ作って」

「出来るだけ、とは」

「とりあえず、十万本」

 途方もない数である。しかしこの連弩の弾倉一つに十本の矢が入っており、兵はそれを三つ携行している。これを使う者はザハールの騎馬隊だけであったが、そこにバシュトー軍を加えるとなると、その数は二千挺にもなる。その全てに毒矢を装填するとなれば、それだけで矢は六万本必要ということになるから、十万本でも少ないくらいなのだ。

 ベアトリーシャとは、そういう計算を瞬時にすることも出来た。


「ダムスクに、すぐに連絡をします」

 中央にあるダムスクは、かつてユジノヤルスクの軍事拠点であったが、今ではベアトリーシャ専用の工場のようになっている。中央よりもやや東に位置しているため、東の山から鉱石を運んだり、木材などの森林資源を利用するのに都合がよいのだ。

 このようなことが可能であるのも、ウラガーンの国力。資源の集まるダムスクには、ユジノヤルスクの統治下であった頃とは比べ物にならないほどの数の人が集まり、物作りを行っている。それは、また新たな経済を生む。


「それと、あなた」

 駆け去ろうとした兵が、立ち止まり、また直立した。

「頑張っているわね」

 薄い唇を吊り上げ、笑った。金髪の兵はそれだけで天に舞い上がるような心地であるのか、声を裏返すほどに大きな返事をして、全力で駆け去った。

「よく、兵の心を掴んでいるな」

 それを見たザハールが、苦笑と共に言った。

「べつに。ここは、変わり者の集まりなだけよ」

「皆、お前に見られていることが、嬉しいのだな。いいことだと思う」

「あなたのように、敵の真ん中に突っ込むような兵じゃないわ。だけど、彼らには、彼らの戦いがある」

 ベアトリーシャの兵の核になっているのは、森にいた頃に焼き物を作っていた者である。それが、それぞれ指揮官となり、多くの工兵の指導をしていた。力も弱いし、他の兵ほど長く駆けられもしない。しかし、ものを作るということに関しては誰にも負けない。そういう兵が集まっているのだ。

 そして、彼らは、自ら作り出した兵器を戦場で運用するため、身体を鍛え出した。少しでも早くそれを運び、組み立て、使用し、少しでも早く分解し、離脱するため、ベアトリーシャが何も言わずとも、彼らは自発的に自らの鍛錬を始めた。


 そういう動きが、彼女の周りにはある。いつも、彼女はそれを冷めた眼で見ながら、時折、

「やる気ある?」

 とか、

「なに、それ。使い物にならないわ」

 とか厳しい言葉をかけるのみである。それでも、兵は嬉しそうだった。だから、今回、兵の一人を褒めたというのは、珍しいことであった。そのことをザハールが言うと、

「どうしてかしらね。頼りない人間でも、たまらなく愛おしいということが、あるのかしらね」

 と遠い眼をした。


 彼女は、かつて雨の軍の一人を拷問にかけて以来、少し様子が変わった。苛烈な拷問というのは、受ける側のみならず加える側の心を壊すこともある。だが、彼女が心を病んだのではなく、むしろ、あれ以来、人間味が増してきたようにザハールは感じていた。

 無論、イリヤへの想いが彼女を変えたのであろうが、朴念仁のザハールには分からぬ。ただ、兵に慕われ、兵を気にかけるというのは良いことである。だから、あまり多くは言わない。



 先ほどの金髪の兵が、また戻ってきた。

「ベアトリーシャ様」

 す、と自然に片膝をついた。ウラガーンは同志の集団であり、隊長は兵の主君ではない。だから、その動作が不自然なようにザハールには見えた。しかし、ベアトリーシャ自身が気にしている様子がないから、きっと、隊の中で、女王のような扱いを受けているのだろう、と少し苦笑を漏らすのみに留め、特に気にしなかった。

「投石機の調整が、完了しました。燃える水ヴァダシーチ、石灰、どちらの弾も用意出来ています」

「――だそうよ」

 眠そうな眼を、ザハールに向けた。進発できる、という意味である。

「サンラット」

 名を呼ばれたサンラットが、愛用の鉄棒を手に、立ち上がる。

「進発」

 次なる拠点へ。あと幾つかを陥とせば、この国境地域は一気にウラガーンに靡くだろう。そうすれば、中央を目指せる。

 北でも、同じようにルスランとラーレが侵攻を続けているのだろう。

 このような兵器や毒矢などは、彼らは用いない。ただ、極限まで高められたラーレの騎馬隊の鋭い矛のような突撃と、なにものにも動じないルスランの重装歩兵団が、着実に拠点を陥とし続けている。

 同じものを目指し、戦っている者がいるであろう空を、ザハールは見上げた。




「押せ」

 静かに、ラーレが呟いた。

 今、彼らは、北の国境地帯の守備の要であるサンカラという都市を攻めており、ルスランの重装歩兵団が矢を跳ね返しながら粛々と進んで、城門を破ろうとしている。

「――押せ」

 さらに、低く呟いた。

 城門の周りに群がる重装歩兵団が、それを破った。

 双つの剣。それを、抜き放つ。

 率いる騎馬隊の兵が、一斉に馬の腹を腿で締め付けた。

「行け!」

 北の天に垂れ込める雲を斬るように、ラーレは剣を掲げた。一斉に喚声が上がり、騎馬隊が突撃を始める。


 城門を破った騎馬隊が、城内を進んでゆく。応戦のために出ようとする敵は、全てその大斧ヴァラシュカの前に砕け散った。

 ひときわ大きいそれを振り回すルスラン。中央に送った妻のライラと子のスヴェートに早く会いたい一心で、この国境地帯を進んできた。

 もう、あと一息なのだ。

 あと一息で、戻れる。

 一人、敵を肉塊に変える度、求めるものが近付いてくる。

 ずっと、戦いの中で、戦いのために戦ってきた。

 その自らの生に、意味があるのかと思わないでもなかった。もとより、戦いに意味などあるのか、とも。しかし、その答えを得る前に、ルスランは、自らが何者であるのかを知ることが出来た。

 ザハールやサヴェフなどは、まだ若い。しかし、もう彼は老いに差し掛かりつつある。それでも、生きている限り、求めることが出来た。

 今、彼ははっきりと言うことが出来る。自分が何のために産まれてきて、何のために戦うのかを。

 我が妻と子に、安寧を。愛するものから、何も奪わぬ国を。それを求め、ルスランは進んだ。


 後方から、ラーレの騎馬隊が殺到してくる。ザハールの騎馬隊とはまた違う美しさが、そこにはあった。先頭を駆けるラーレの振るう双つの剣は、風そのもののように吹き、敵を葬り去った。そうして開いた穴に、後続の者が次々と押し入り、広げてゆく。凄まじいまでの突進力である。

 そして、彼らは、弓も使うことが出来た。

 城内深くに入れまいとひしめき合う敵が沈黙した頃、ラーレは馬の鞍に結わえた弓を取り、構えた。

 そのまま矢を番え、引き絞りながら、なお馬を疾駆させた。

 その視線の先には、城塔。

 そこから、このサンカラの戦いを統括する指揮官が戦況を見下ろしている。

 豆粒ほどのそれは、慌てているようだった。周囲に怒鳴り付け、何とかしろと喚いているのかもしれない。


 ぽつり、と彼女の髪を雨が打った。

 続いて、頬を。

 しめやかに降り始めたそれの向こうにあるものを、彼女は見ている。

 疾駆する馬。その激しい振動を、尻で逃がす。

 あぶみの上に、立ち上がって。

 彼女の世界から、音が消えた。

 目指すもののみを残し、色も消えた。

 息を鋭く吸い、細く吐く。

 同時に、弦鳴り。

 放たれた矢は、遥か向こうの城塔の最上階に向かって吸い込まれるように飛翔した。

 弓を、ゆっくりと降ろす。

 彼女がなお見透かす先にある城塔、その最上階にあった指揮官の首が、堂から離れていた。

 その小さな人影が後ろに倒れ、城塔から消えた。


 雨に煙ってゆくそれを背にするように、彼女は馬を返した。

 その先には、自らの兵の喝采が待っている。

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