四八七年の政変
南では、ほとんど国の形が出来上がりつつある。もう、ウラガーンの南での役目は終わろうとしているということだ。
彼らの役目を、言葉に表すことは難しい。筆者はいつもそれを試みるわけであるが、なかなかに上手く、しっくりとくる表し方が出来ぬものである。
だが、今、にわかにそれが出来そうな気がしたので、勇気をもってそれをする。
彼らは、武力を保有する。それはこの戦乱の時代には無くてはならぬものであり、それ無くしては何もすることが出来ぬ。武力とは、彼らが彼らとして存在するのに必要不可欠であり、それこそが彼らをこの世に留め置いている。もし、それが無ければ、彼らはたちまちのうちに力によって封殺され、その声を発することすら出来なかったであろう。
声。彼らは、声を発する。それもまた、彼らの本質である。自らの不平不満のために憤り、国に背くならばただの反乱である。それは、たとえば我が国における一向一揆であったり、打ち壊しなどに置き換えられる。
だが、彼らが行うのは、そういう性質のものではない。彼らは、自らの不平不満や怒りや悲しみに原因を求め、それを追い、正そうとしている。そこには大義が必要になるし、人が賛同して集まってくるための象徴も必要になる。そしてそういうものを背景に起こす反乱を、歴史は革命と定義付ける。
彼らは、国から国を奪おうとしている。そのために、力を用いている。
そして、彼らは、国から国を奪うために、正面から立ち向かうことをしない。彼らが
増やそうと思えば、更に増やせる。だが、無闇やたらと人だけが増えても、どうしようもない。サヴェフは、そう考えているらしい。しかし、ただ単に国に不満を持っているだけではウラガーンたりえず、武器が使えるだけではその兵となることは出来ない。
このナシーヤ暦四八七年の段階でも、彼らの保有する拠点は、彼らの発足の地でありこの段階では焼き物を作る工場となっている森、街としてはノゴーリャ、軍事拠点としてはラハウェリとユジノヤルスク地方のダムスクであることに変わりはない。
四八六年九月の戦いで候を葬り、陥落させたユジノヤルスクの首府チャーリンは放置している。それにも、恐らく何かしらの理由があるのだろう。
軍を増やさぬのには、もう一つ理由がある。
ウラガーンの兵力は五千であるが、それらの拠点に暮らす人は、実に二万にも上る。無論、彼らは彼らの経済の中で生きているから、ウラガーンが直接彼らを養うことはない。
ただ、彼らがその地に拠ることになってから、野盗は寄り付かず不正は無くなり、民は大いに満足していて、ウラガーンへの支持は非常に厚い。
もし、国がウラガーンを攻めるとなれば、その二万の民は、間違いなくウラガーンを守ろうとし、それを打ち壊そうとする国に更に不満を募らせるだろう。
それを、国は恐れている。
宰相ロッシ。
彼は、それを特に恐れてはいない。むしろ、ウラガーンをあえて野放しにすることで、その勢力を増長させ、ニコがそれに手を焼くのを楽しみに眺めつつ、その失敗を待っている。
ウラガーンにとっても、王家の軍とは最大の仮想敵である。その動きを封殺することで、動き易くなる。ニコがもし失脚しでもすれば、その隙に一気に王家の軍を滅ぼしにかかるかもしれぬ。そのあと、いかにロッシがそれを封じようとしてきても、手遅れであることは間違いない。
王家の軍をも滅ぼしたという評判が上がれば、それこそ、もはや王家は頼むに足りずとして各地の候らは一気にウラガーンに靡くであろう。
ロッシは、そうなる前に、ウラガーンをどうにかするつもりらしい。
つまり、ニコを倒すというところまでは、ロッシとウラガーンの利害は一致するということになる。
「乱すだけ、乱せ」
ロッシは、ウラガーンの働きを、そう思いながら見ている。乱れが最も大きくなったとき、それを抑えることが出来ない王家を頼むに足らずとしてそれを廃し、自らが王になる。それを、彼は望んでいる。
彼がウラガーンの増長を恐れておらず、むしろ積極的にウラガーンを応援しているようなふしがあると述べたのはそこである。重ねて言うが、彼はウラガーンにとっての最大の支援者であった。ヴィールヒやサヴェフにあらぬ疑いをかけ、その誇りと、あるはずであった戦士としての生を奪った彼が、立ち上がったウラガーンをひっそりと応援するというのは妙な話であるが、もとより乱れを望んでいたわけであるから、その矛盾は成立する。
これが、ここまでの情勢についてのことである。
これほどにつらつらと書き連ねたのには、理由がある。
丞相ニコが、失脚した。
いや、正確には失脚ではなく、彼の地位は丞相のままである。だが、ユジノヤルスクの首府チャーリンにウラガーンが迫っていても、どうすることも出来なかったということについての責を問うというロッシによって再び王の前で査問にかけられ、その権力の中から王家の軍を引き剥がされたのだ。
そのことを、描いておく。
「若」
ザンチノが、血相を変えて飛び込んできた。ニコは目を通していた書類を卓に置き、驚いたような顔をしている。
「王より、お呼びがかかっております。至急、王城に出頭せよとのことです」
ニコは、それで、何が起こったのかを察した。だが、それほどの危惧は感じていないらしく、
「また、ロッシか」
と面倒そうに立ち上がり、身支度を始めた。
今目を通していた書類は、軍編成についてのものである。トゥルケンとの戦いによる消耗がようやく整ったため、対ウラガーンを想定した新たな軍編成を行っており、それが間もなく完成するところなのだ。
「今度は、どんな言いがかりをつけてくるのだろうな」
と苦笑しながら、王城へと向かった。
「今、何と」
王の前にはその側近や国政を取り仕切る様々な者のほか、案の定、そこにはロッシもいた。ただ、今回の査問は、これまでのものとは性質が違った。いつもはロッシを通じて王の憂いを聞き、それについてニコが弁解をするという具合であったが、今回の査問は、はじめから、王の言葉を書き留めた、いわゆる勅定のようなものを読み上げるというものであった。
それを読み上げる役目の者は、同じことをもう一度言った。
「丞相ニコは、王家の軍を私有化し、本来それを用いるべき国家の危機に、自らの失敗を恐れる保身のため、何もしなかった。それは将帥としての資質の問題である。よって、王家の軍の指揮権を取り上げるものとする」
ロッシが、皺の増えた顔にうっすらと笑みを浮かべながら、ニコを見ている。大精霊の名の刻まれた紙に書かれた王の言葉は、この国において絶対のものである。それに背くことは、すなわち反逆である。これを取り付けることが、ようやく出来た。そういう心情であったろう。
この勅定というものは、よほどのことでない限り、出ぬ。たとえば、国の乱れや、外敵への対応。これ以前にあった最も新しいものとしては、ニコが丞相となるきっかけになった、第一次トゥルケン侵攻の際である。そのときは、ナシーヤ全軍でもってこれを
各地の候などはこれより百年ほども前に出された、互いに争うことを禁ずるという勅定の効力が生きているにも関わらず、それを無視して互いに争っていたりするが、ニコにはそのようなことは出来ない。
秩序を守ることが、彼の使命であるからだ。いかにそれが謀られたものであったとしても、それに背けば、彼はウラガーンと同じということになるのだ。
どこまでも、高潔に。彼は、国家に対する忠誠心が深すぎた。
「しかしながら、丞相の位は置く。なお一層、国務に専心せよ」
という補足事項は、耳に入っていない。ニコにとってのたった一つの国務とは、この乱れを治め、人に救いをもたらすことである。それを為すためには、王家の軍は必要なものなのだ。それを奪われた彼に、何が残るというのか。
雨の軍は、そのままである。その存在すら正式にはなく、彼らは言わばニコの私兵のようなものであった。
アナスターシャを取り戻すために使っていたそれを、ニコは己の立場の回復にも使わなければならぬことになる。そうすれば、アナスターシャの奪還はより遠のくかもしれない。
アナスターシャ。
少しでも早く、会いたい。あの薄い色の髪に、触れたい。政治的立場など、どうでもよい。ニコは、彼女が側にいないときは精霊の巫女をも自らの志に取り込もうとする男であったが、彼女を目の前にしてしまえば、そのようなものは吹き飛んでしまう。
もう、三年になろうとしている。
今頃、どうしているのか。王家の軍という最大の後ろ盾を失った今、ニコはそれを思った。
全て、ルゥジョーに任せてある。彼なら、必ずアナスターシャを取り戻す。そう確信できるほどルゥジョーとは武も才もあり、そして目的のためならばどれだけ自分が汚れようとも、食らいついた蛇のようにそれに執着する。
そして、アナスターシャという存在は、ルゥジョーの中でもこの国家そのものと秤にかけてもなお余るほどに大きい。
今、どうしているのか、分からない。ただ、雨の軍はそのまま変わらず機能している。彼に任せると言ったからには、任せ切るのだ。これほどまでに時間がかかっているというのは、恐らくウラガーンそのものに手を入れなければ、彼の目的が果たせぬということなのだろう。それほどに、アナスターシャはウラガーンの奥深くに取り込まれたのかもしれぬ。
焦りと、苛立ちと、怒り。それでも、国家のために生き、正義を追い、人を導くと決めたのだ。ニコの立場が変わったとき、自然、その内に包容するものも変わる。
ザンチノなどは、ニコが王家の軍の指揮権を奪われたことについて、このナシーヤにおいて貴人の家にしか無い椅子を蹴り壊すほどに怒り狂ったという。彼は、ニコの側近のままである。だが、王家の軍の将としては、ロッシの部下ということになるのだ。
「まあ、落ち着け、ザンチノ」
人とは不思議なもので、何かに苛まれている人を前にすると、落ち着くものである。このときのニコも、そうであった。
「何を、呑気な。今すぐ。今すぐ、軍を発し、ロッシを討ちましょう」
「早まるな、ザンチノ」
ニコは、強い眼でそう言った。ザンチノが、言葉を止める。
「このようなときこそ、落ち着くのだ。落ち着いて、考えるのだ。お前が、いつも言っていることではないか」
ニコの言う通りである。彼がこれほどまでに沈思に耽りやすい正確になったのは、彼が元々持つ、ものに激しやすい正確を、ザンチノがずっと教育してきたためである。
ザンチノは、理不尽に対する怒りと、それをどうすることも出来ないことに対する悔しさに、ただ、泣いた。
「考えるのだ。どうすべきなのかを」
ニコはそう言って彼が最も信頼するこの老いかけた腹心の肩に手を置き、そして退室した。
これは、かなり大きな政変である。大精霊の加護を受けて生まれてきたとされ、民からの支持も厚いニコが、その最大の後ろ盾である王家の軍を失ったという報せは、瞬く間に世に広がった。
このノーミル暦四八七年という年は、史記の中においても様々なことが起こる年である。
そして、それは、そこに生きる者が向かうべき方向を、否が応にも曲げることとなる。
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