第十一章 曇天と闇
雨の中から見る
ルゥジョー。
あるいっときから、彼は姿を消している。
ニコに直接連絡を取ることもなく、自ら率いる僅かな腹心だけを連れ、彼は各地を歩いていた。情報を集め、ウラガーンの保有する、鉄や貿易の品を流す経路をどうにか掴もうとしていたのか、もっと別の目的があったのか。
彼が姿を消す前、妙な隊商を追って南へ向かったとき、ウラガーンに接触した。ルスランという将は、人知を超えた武を持っていた。あのような者とまともに向き合えば、ルゥジョーは恐らく瞬きひとつする間に身体を粉砕されるだろう。ザハールも、あり得ぬほどの武を持っていると言う。そして、工兵部隊があることも確認したし、雨の軍のような、戦闘力を保有した間諜組織を持っていることも突き止めた。
そして、ウラガーンは、全てを巧みに隠しており、容易にその全容を掴ませようとしない。
これだと思って追ったものが偽装であり、その間に本当の道が消えているという具合に、水面下での血を流さぬ戦いは続いている。
そうしながら、ひたすら国内を自らの足で回った。
「お前は、どう思う。国を巡って」
四八七年が明けてすぐの頃、火を囲みながら、そのうちの一人に向けて問うた。
「国は、乱れきっております」
「それは、今に始まったことではない」
「はい。それでも、私はそう感じます。ウラガーンを追ううち、この国の形というものが、何となく見えてきたような気がするのです」
「話してみろ」
その者は、語り出した。
「ウラガーンだけが、悪なのでしょうか」
と、まず言った。
「ウラガーンは、なかなかその本当の姿を現しません。しかし、ウラガーンとは、初めからこの国に存在した組織ではありません」
当たり前のことである。ウラガーンという組織の前身になるものが発足したのは、ほんの数年前のことである。
「言い換えれば、ウラガーンとは、この国の歪みが生んだものであるのかもしれません」
「国が乱れていなければ、あれが力を持つようなことは無かったであろうな」
「はい。そう思います」
続きを、その者は語り始めた。
「このようなことを言えば叱りを受けるかもしれませんが、ウラガーンを討つことで、この国の乱れは正されるのでしょうか」
「それは、分からん。我らが行うのは、国の乱れを正すことそのものではない。精霊の巫女を取り戻し、王家の軍を助けることが、我らの為すべきことだ。その先に、あるべき国の姿がもたらされる」
それは、雨の軍が存在する目的である。それは、ルゥジョー自身も、今言葉を発している者も、当たり前のこととして認識している。
「はい。その通りだと思います。ですが、私は、この国を回って感じたことを述べています」
冷たい風がひとつ吹き、火を揺らした。
「私は、中央にいた頃、王家の軍の一員として、国の乱れを知っていました。しかし、それは、あくまで伝わってくる話として。実際このようにして自らの足で歩き、自らの目で見れば、同じものであっても捉え方は変わります」
「それは、何となく分かる」
ルゥジョーは、アナスターシャと接触を持ってから、ずっと考えていた。
彼女が、何を見ているのか。それを自分が知ることで、拒絶の理由を知ろうとした。
「では、お前は実際に国を回り、何を見た」
「我々が中央で聞くよりも、遥かにひどい乱れを見ました」
その通りである。一部の都市圏などでも貧富の差は激しく、持つものは余り過ぎるほどのものを持つが、持たざるものは路地裏で飢えている。
そしてそれは地方に行けば行くほどひどくなり、地方においては、持つものは辛うじて生きてゆくことが出来、持たざるものは生きることが出来ずに死んでいた。
地方の村の裏には、大抵、そのような者の屍が積み上げられていて、大きな穴を掘って一度に埋めていた。一人一人の墓を掘ることが間に合わぬのだ。そしてそこには、女も子供もいた。
死んだ骸を暫くそのようにして放置し、埋めるものだから、それを扱う者から伝染病が広がったりもしている。そうして、更に多くの者が死ぬ。
王家はそのために火葬を勧めているから、このところは大勢の骸が一度に穴に放り込まれる光景を見ることは減った。その代わりに、積み上げられた屍に火を放ち、一度に焼くという光景が現れるようになった。その煙は天にまで上り、臭いは村中にたちこめた。
「ルゥジョー様」
その者は、その光景を思い出しながら言った。
「この国は、もはや、既に滅んでいるのでないでしょうか」
ルゥジョーも、感じていたことである。
民は飢えて死に、役人は地域の安寧よりも己の保身と潤いのために政務を行い、軍は力を背にして美味い汁を吸うことに専心している。
その中で、王家の軍だけが、高潔であった。この掃き溜めのような世界の中、ひとつだけ光り輝くものが王家の軍であり、丞相ニコであった。
だが、ルゥジョーは思った。
掃き溜めの中で、ニコだけが高潔であって、どうするのだと。もしかしたら、アナスターシャも同じことを考えたのかもしれぬ、とも。
だから、アナスターシャは、この国を導くべきものとして、王家ではなく、ウラガーンを選んだのかもしれぬ。
どのみち、この兵の言う通り、この国を導くのは、今の王家では無理であるのかもしれない。
それを思い、立ち上がった。
「中央へ向かう」
引き連れている者に、そう宣言した。
雨の軍の行動には、昼も夜も北も南もない。
焚いていた火に土をかけて消し、彼らはそのまま闇の中に消えた。
ただ、姉のために。
ルゥジョーにしてみれば、アナスターシャこそ、最も多くのものを国から奪われた者であった。そして、最も、誰からも何も奪われてはならぬものであった。
そして、ウラガーンは、それをルゥジョーから奪った。今口を開いていた者が言うことが本当であるなら、ウラガーンを生んだ国が、それをしたという見方も出来る。
だからどうということはない。雨の軍は、王家に忠誠を誓うニコに忠誠を誓っており、それに背くような真似は出来ぬ。あくまで、雨の軍は、ニコのために存在する組織であるべきであった。
自分の戦いを、しろ。
そう、ニコはルゥジョーに言った。
その意味を、再び考えた。
アナスターシャを取り戻す。
どうしても、彼女が心までウラガーンに染まっていて、いかにそれを拒んだとしても、無理やりにでも取り戻す。
姉のおらぬこの世界に、存続すべき理由が見当たらぬ。それが、ルゥジョーにとっての、ただ一つの真実。国家も、王家も、政治も、おまけのようなものである。
それゆえ、ニコはルゥジョーに、この役目を任せたのかもしれぬ。ルゥジョーならば、どのような手段を用いたとしても、それを実行するであろうと思ったのかもしれない。
自らに名と生を与えたニコに、報いる。
この世でただ一つ、守られるべき姉を、救う。そのために、戦う。
そして、それを阻むものを、打ち砕く。
それが、彼の戦い。
まず、中央を目指した。
そこにあるものを、打ち砕くのだ。
もっと、情報が欲しい。
もっと、多くのものを見たい。そうすれば、己に足りぬものが、この国に足りぬものが、見えてくるかもしれぬのだ。
ウラガーンというものが一体何であるのか、知る必要がある。
姉が見たものを、もっと見る必要がある。
短絡的に姉を連れ戻すだけでは、ことは解決しないだろう。
ニコが、それをするのだ。
そのために、邪魔なもの。
そのために、不要なもの。
それら全てを取り去ってはじめて、姉は、自分のもとに帰ってくるのだ。
そう思った。
あの愛しい声を。不思議な色を持つ髪を。聴いているだけで幸福と安堵をもたらす声を。
それが無い世界に、意味などないのだ。
ルゥジョーは、己の無力を知っている。自分がどれだけ姉を求めようとも、自分が姉を求めるようには、姉は自分を求めはしないということも。
だから、ニコなのだ。
ニコだけが、それをすることが出来るのだ。
この世に、存在する理由。
この世が、存在する理由。
それを
雨である。
その中から、彼は、雨を見ている。
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