第八章 南天の陽

鉄が北より帰って来る

「もしかすると」

 ルゥジョーは、王都に戻り、丞相ニコに復命していた。

「もしかすると、森の軍ウラガーンは、鉄を流しているのかもしれません」

「どういうことだ、ルゥジョー」

 ニコの副官、ザンチノである。もう、五十を越えているはずであるから、髪は白く、顔にも皺が多くなっていた。確か、筆者がこの男をはじめて描いたときには、まだ彼はここまで老いてはいなかった。僅か数年で、人は老いるものである。


 かつて、この物語が始まる前、トゥルケンが攻め寄せてきたとき、当時まだ丞相の座にはなかったニコを守るようにして出陣した彼は、巨大なヴァラシュカを振り回しながら馬を駆る猛将として活躍した。今もそのときのように暴れ回ることが出来るのかどうかは分からぬが、その眼光は変わらない。

 その鋭く、深い光をまっすぐに見、ルゥジョーは答えた。

「このところ騒がれる、鉄の流通のことです」

 王都でも、さすがに鉄の流通量がこのところ妙であるということが話に上がっている。産出した量、製鉄を行う施設に運び込んだ量、出来上がった鉄製品の量は全て管理されているが、明らかに足りぬ。無論、鉄を含む石の質により、精錬後の鉄の量は大きく変わる。しかし、やはり、どう考えても足りぬのだ。一年ほど前から、明らかに産出量と製鉄所に持ち込まれた量、そして鉄製品の量が釣り合わない。すなわち、産出された石のままの鉄が、消えているのだ。はじめ、王都では、書類の不備であろうと考えていた。しかし、どうも違うらしい。各地を通行する鉄を検分する役所に問い合わせても、全く狂いはなかった。だが、明らかに、出来上がった鉄製品の量が少ない。

 巧妙に、誰かが、鉄をどこかに流している。そういう話が、囁かれ始めた。ザンチノがどういうことだ、と言ったのは、そういう状況のためである。


森の軍ウラガーンが、鉄を、流している」

 精霊の巫女の奪還を命じられてウラガーンを探っていたルゥジョーは、そう感じた。

 隊商に偽装した部隊があるということを突き止めた。その行動を観察すると、それは、道を確かめていた。東に、北に、その道は続いていた。ウラガーンは精霊の巫女を立て、グロードゥカ地域に勢力を求めてゆくものとばかり思っていたが、ユジノヤルスクに手を伸ばしたのが意外であった。その目的を、探る必要があったのだ。そこで、ジーンの隊のことを突き止めた。

 道。

 なんの道なのだろうと、当然ルゥジョーは思った。その部隊自体は戦闘は不得意らしく、雨の軍の襲撃を受け、大変な混乱をきたしたらしい。しかし、隊長らしき、一見冴えない風貌の気弱そうな男の剣技は凄まじいものであり、それ一人のために雨の軍は退却を余儀なくされた。それほどの使い手が率いている部隊であるからには、重要な任務を帯びていたのであろうと考えざるを得ない。

 道は、東へ。そして、北へ。ユジノヤルスクでウラガーンが手に入れたダムスクという砦は、古くは東と北を繋ぐ貿易の拠点であった。


 東には、かつて大精霊と龍が戦ったときに散った羽根と鱗が折り重なって出来上がったという伝説を持つ大山脈がある。そこでは、鉄、金、銀、銅など、あらゆる鉱物資源が採れた。

 北。そこには、長い歴史の中で度々領土を脅かしてきたトゥルケン王国がある。同じ大精霊を信仰し、同じ言語を用いるその国であるが、かつてナシーヤ建国の際に迫害され、追われた人々が集まり、建てた国である。数百年の時を経てそれは力を付け、帝国となり、領土を拡大している。

 今のトゥルケン王はわりあい保守的ではあるが、帝国主義復活の急先鋒を、装備も充実していて精強である精霊の家の軍が担っていて、それを抑えている状況である。数年前、ニコがそれを完膚なきまでに撃滅して以来、国内の揉め事にかかりきりになっているため、ナシーヤに手を伸ばしてくることはない。


 だが、それが復活を望んでいたならば、まず物資、資源を欲する。

 そして、ウラガーンは、もともとの森の軍の兵に続きノゴーリャ、ラハウェリ、ダムスクの三拠点の兵を抱えるようになっている。その数、既に三千五百を超えている。

 それらを、どうやって食わせているのだろうと思っていたのだ。焼き物を売ったり、薬草を育てたりするだけでは、とても賄いきれない人数である。

 つまり、トゥルケンにも、ウラガーンにも、欲するものがあるのだ。

 鉄。そして、かね。この二つの勢力は、その意味において十分に手を結び得る。


「つまり、ウラガーンが鉄を何らかの方法で、トゥルケンに横流ししているということなのか」

 ザンチノが、皺の刻まれた顔を青ざめさせた。

「その可能性は、十分にあります」

 ルゥジョーは、聡い。得た情報、見たもの、聴いたことから、そういう仮説を組み立てることの出来る頭脳を持っている。彼を雨の軍の総帥に任命したニコの眼は、確かである。

「北、か」

 ずっと黙ってルゥジョーとザンチノの会話に耳を傾けていたニコが、ぽつりと言った。

「思えば、あの戦いが、俺を丞相にしたのだ」

のお働きは、見ていて眼を洗われるようでした」

「あの戦いがなければ、俺は、巫女を妻にしようなどと考えることもなく、ただの軍人として、生涯を終えていたことであろう」

 本心であった。彼は、潔白すぎる。不正を一切せず、ただ国家のために尽くしている。だが、丞相という立場が、彼を変えた。それは国内の乱れを正すには十分な力を発揮できるだけの立場であったが、その分、あらたな敵が現れた。宰相ロッシである。目覚ましい出世を遂げたニコに勝手に恐怖を覚え、その足元を崩そうとしてきた。それに応じなければならなかった。

「敵が、俺を作った。そして得た立場により、また新たな敵が現れた。つくづく、敵というものは嫌なものだ」

「何を、気弱なことを」

「いや、許せ、ザンチノ。ただの愚痴だ」

 ニコは、剣を手に、立ち上がった。

「俺は、知ってしまったのだ。巫女を。そして、それを守ることが出来なかった。悔いている。何としてでも、救い出す」

 徐々に、その眼に、火が宿ってゆく。

「頼りにしているぞ、ルゥジョー」

「はっ」

「洗い出せ。全てを。そして巫女を連れ戻せ。あのサヴェフとヴィールヒを、その罪にかけ──」

 剣の鞘を、一度床に突き、

「──この俺の手で、裁く」

 ザンチノも、ルゥジョーも、頷いた。

「これは、王家の軍の戦いではない。俺の、そして、お前の戦いなのだ。分かるな、ルゥジョー」

 ルゥジョーには、その意味が、分かりすぎるほどに分かった。

「必ず」

「奴らさえ死ねば、あとは寄せ集めだ。王家の軍を使い、この地上から消し去ってやる」

 ああ、とニコは今さら気付いたように声を上げた。

「それでは、王家の軍を、俺のために使うことになるな」

「王家の軍は、国家の危機のためにあります。巫女が奪われ、国内にウラガーンなる得体の知れぬ勢力が生じていることを、見逃すわけにはゆきませぬ」

「よいのだ、ザンチノ。一度くらい、自分のために使っても。俺の守りたいものを、守るのだ。それは、国であり、そして巫女なのだ」

「何も、申しますまい」

 少し疲れた笑顔を見せ、ニコは退出しようとした。そこへ、急報。

「申し上げます」

「何事だ」


 トゥルケン精霊軍が、にわかに発し、国境のサンカラ管区に侵入。その数、わずか千。しかし国境守備軍を軽々と打ち破り、どんどん進んでいっているという。

 ニコは、一瞬、硬直した。

「トゥルケンの侵入は、一昨日の朝。当たる軍、当たる軍が、ことごとく破られております。そして、トゥルケン国内から、荷駄を引いた信者の列が続き、精霊軍に物資や兵糧などを届けております」

 ニコの思考が、目まぐるしく回転した。

「わずか、千だと」

 かつて、ニコが出戦したときは、トゥルケン軍は七千であった。少なすぎる。それに、ナシーヤ国境守備軍が破られているとは、どういうことか。

「敵の、これまでに見たことのないような分厚い鎧兜の歩兵に手を焼いています。そして、騎馬隊。あまりの勢いにどうすることも出来ぬまま、守備軍は破られております」

 分厚い鎧兜。

 鉄だ。

 ウラガーンが流した鉄が、武力となり、ナシーヤに帰って来たのだ。

「サヴェフめ」

 吐き捨てるように、その名を口にした。

「王家の軍を発する。明日の朝、国境へと向かう」

 やられた、と思った。鉄を流すこと自体が目的ではない。鉄を流すことにより、トゥルケンに力を与え、ナシーヤに攻め込ませることが目的だったのだ。それによりもたらされる利益は、あくまで副次的なもの。

 王家の軍を、北に引きずり出す。そうすれば、中央は空になる。その間にウラガーンがやりたい放題に暴れても、トゥルケンに背を向けてそちらに応じることは出来ないのだ。

 しかし、だからといって、トゥルケンを放置するわけにはゆかぬ。脅かすものがウラガーンであれ、トゥルケンであれ、打ち破らねばならないことに変わりはない。


 ザンチノも、立ち上がった。彼も王家の軍の一員である。すぐに兵に進発の指示を与えるため、駆け出していった。

 東の山から運び出された鉄が、北へ。そして、トゥルケンが、北から。がら空きになった中央には、ウラガーン。

 しかし、何かが足りない。なんとなく、ニコはそう思った。しかし、何が足りないのかは、分からない。

 北に応じている間、王家の軍をウラガーンに当てることが出来なくなった。

「お前が頼りだ。どんな手段を使っても構わん。お前のために、戦え。それでよい」

 ルゥジョーにそう言い、ニコもまた退室した。

 一人部屋に残ったルゥジョーは、じっと何かを考えていた。やはり、その眼にも、火が宿っていた。

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