孤独な女とその理解者

「吐いたか」

「いいえ、これからよ」

 ベアトリーシャは薄く笑い、また石牢の方へ消えていった。

「彼女、大丈夫なのか」

 はじめ、拷問を担当していたルスランが、心配そうにしている。

「問題ない。あの女なら、やる」

 サヴェフは、冷たい眼でその背を見送っている。

「彼女で、大丈夫かと言いたいのではない。彼女が、大丈夫なのかと言いたいのだ」

 それには、サヴェフは答えない。

 ルスランの屈強な肉体と精神をもってしても、崩すことの出来ない男。それに、何故ベアトリーシャを当てたのか。サヴェフのことだ。何か、考えがあるのであろう。


 ベアトリーシャは、石牢の中へ。男は徐々に元気がなくなっていっている。弱っているのだ。

 そろそろ吐かせなければ、死んでしまう。

「薄暗いのは、嫌でしょう」

 この日、彼女は、石牢に小さなかがりを持ち込んだ。その火が、闇を払った。男は、眼を細めた。

「眩しいじゃないか」

「いいじゃない。暗い方が好き?」

 奇妙なものである。ベアトリーシャとこの男は、互いに、親近感を覚えていた。毎日、顔を合わせ、その身体を責めるのである。そのために、こういう感情が生じるのは、自然であろう。人と人が存在すれば、何かしらの作用が生じるものだ。

 だが、アイザック・ニュートンが言う通り、全ての作用には、反作用が働く。

「今日は、特別な話をしましょう」

 ベアトリーシャの眼は、くらい。


 篝に差し込まれている、鉄の棒。

 自らの手に、革で作られた、分厚い手袋を付けて。

「火は、正直よ。触れれば燃え、そうでなければ熱くなる。あなたも、火になれば?」

「おい、待て。まさか、お前――」

 火から、鉄棒を取り出す。名残を惜しむようにそれに火の粉が付いてきて、やがて散った。

 おもむろに、それを、男の内腿に。男が、自由のきかぬ身体を激しく痙攣させながら、絶叫する。

「正直に。火のように」

 恍惚。そして、疼き。何度も、ベアトリーシャは同じ行為を繰り返した。肉の焼ける臭いが、狭い石牢に充満した。

 鉄が冷えてくると、ベアトリーシャはそれを放り出し、石牢を出た。


 それから数日、同じ行為を繰り返した。

 男は、ベアトリーシャがやってくる度、懇願するように、やめてくれ、と言うようになった。

「あなた、はじめの威勢はどうしたの?」

 ベアトリーシャは、うっすら笑いながら、悪臭を放つ男の身体に自らの白い手を当てた。それだけで、男の身体はびくりと動いた。

「あなたの、言う通りだったわ。わたしは、あなたを責め、満足している」

 男の呼吸が、荒い。恐怖だろうか。痛みへの恐怖ではない。目の前にあるベアトリーシャという美しい女への恐怖だ。

「あなたにしたことを思い返すと、夜、身体のあちこちが、熱くなる。あなたに当てた鉄の棒の熱が、わたしの身体で、蘇るの」

 そのまま、男の腹に、手を這わせた。

「今日は、もっと面白い遊びをしましょう」

 ベアトリーシャの手がそっと離れ、自らの懐から麻の小袋を取り出した。そこには、何かの粉のようなものがあった。

「これはね、硫黄」

 美しい黒髪を垂らしながら屈み込み、それを、縛られたままの男の足の指の間に詰めた。

「そして、これは、金属の粉」

 また別の袋から、別の粉を取り出し、同じようにした。あとは、硝石を混ぜた細い麻縄を、数本。それを、男の足の指に、小さな釘でもって打ちつけた。その度、男は絶叫した。

「じゃあね。明日、あなたがどんな顔をしているのか、今夜、想像しておくわ」

 去り際、部屋の端まで伸ばした麻縄に、火を点けた。そのまま、扉を閉じた。麻縄を蛇のように火花が這ってゆくのを、見ながら。

 閉じてしばらくしたあと、どん、という曇った音と微かな振動があった。

 翌朝、男の足の指は、吹き飛んでいた。

「今日は、あなたの手の指よ」

 また、男の絶叫。

 そして、ベアトリーシャは部屋を出た。


 その翌日。

「あなたは男で、わたしは女。だから、はじめ、わたしを辱めるようなことを言ったのね」

「やめてくれ。俺が、悪かった」

「あなたが、男でなければよかったのよ」

 男女というものに、ベアトリーシャはこだわる。森の賊に入る前、幼い頃から、その女を売り、生きてきたためかもしれない。

「あなたの男を、わたしに見せて」

 おもむろに、男の下衣を解き、脱がせた。

「やめろ、やめてくれ」

 萎縮しきったそれが、薄暗い闇の中に現れた。こんなもの、見たところでベアトリーシャは何も感じない。

 それを守るようにして生えている毛にも、同じように、二種類の粉を塗りつけた。そして、その男のものに縄を結わえ、釘で打ち付けた。




「あの男が、吐いたぞ」

 サヴェフが、主だった人員を集め、その内容を説明した。

「雨の軍。奴らは、そう自称している。丞相ニコの、直属だ。指揮官は、その従者であった、ルゥジョー」

 雨の軍は、アナスターシャを狙っている。そして、ウラガーンのことを探っている。今回、ジーンを狙ったのは、それを捕らえ、北や東で何をしようとしているのかを突き止めるためであったという。鉄のことは、まだ露見していないらしい。しかし、王家は、既にその流通量がおかしいことに気付いているだろう。

「兵の中にも、紛れ込んでいるらしい。厄介だ。少しでもおかしな挙動のある者がいれば、問いただせ。露見すれば、即、斬れ」

 間者のような組織なら、ウラガーンにもある。ジーンや、イリヤの隊がそうだ。しかし、雨の軍は、諜報組織と、戦闘組織の両方の顔を持っているらしい。今後、主要な人員への暗殺なども狙ってくる可能性が考えられる。王家の軍などより、よほどうるさい存在であるように思えた。

「これを、何とかしなければならん。ペトロ」

 サヴェフが、ペトロを見た。あらかじめ、打ち合わせを行っていたらしく、ペトロは頷き、一同の顔を見渡した。

「雨の軍に、集中して向かい合いたい。王家の軍と関わっている暇は、なくなった。だから、王家の軍にも、俺たちと関わる暇をなくしてもらう」

「どういうことだ」

「そう思うだろう、ザハール」

 ペトロは、いつも飄々としている。ザハールを見、得意げに言った。

「北だ。北の国が、ナシーヤにまた攻め込んでくるのさ」

「何だと」

「そりゃあ、そうだろう。あれだけの鉄をくれてやってるんだ。今ごろ、武器も装備も充実して、いつ攻め込もうかと足を踏み鳴らしている頃さ」

「まさか、はじめからそれを見越して、北に鉄を」

「そうだ。雨の軍のことは、想定外だったがな」

 サヴェフである。北の国に、戦いを仕掛けさせ、王家の軍を封殺する。いったい、この男はどういう頭をしているのであろうか。目的のためならば、手段を選ばぬとは、このことらしい。そもそも、戦いのために国が荒れ、そのことに対しての怒りがあるのだ。それを無くし、国をあるべき姿にするため、戦いを生もうとこの男は言うのである。やはり、常人とは心のありようが異なるらしい。だからこそ、彼は後の世でも英雄視されるわけであるが、筆者も、書いていて彼という男が恐ろしい。どうかしているとしか思えない。

「我らは、北から、金を得た。北は、鉄を得た。北の国は当たり前のようにナシーヤに再び攻め込み、王家の軍はそれに応じることだろう。そこで争っていてくれれば、我らは好きに動けるのだ」

「好きに、とは」

「かねてより計画をしていた、南だ」

 この場にいる全員が、息を飲んだ。南には、まだきちんとした国家はない。家畜を育て、旅をしながら暮らす騎馬民族の集団が、あちこちに点在しているのみである。しかしその馬の操る様は非常に上手く、なおかつその兵は勇敢で、ナシーヤでも国境地帯の村がしばしば襲われたりもしている。


 ザハールは、かつてペトロとイリヤと出会ったグロードゥカの戦いで、南の騎馬民族の出身であると思われる戦士と剣を交えたことがある。その者は、鉄の棒を振るっていたが、驚くほど強かった。そのことを、思い出した。

「南に、国を作る」

 ついに、サヴェフが、はっきりとそのことを口に出した。

「つまり、ナシーヤが、北のことに気を取られ、それに応じている間に、我らの手で、南にナシーヤの敵を作るというわけだ」

 ペトロが、補足する。

「北と、南」

「そうだ、ルスラン。そして、中央には――」

「――我ら、というわけか」

「ここで、あんたの騎馬隊が、駆け回る。手薄になったこの中央を、だ。ザハール」

 あまりのことに、皆、口数が少なくなっている。


 ほんとうに、やるのか。

 ヴィールヒは、何も言わない。ただ黙って聞いている。アナスターシャは、既に部屋で眠っている。それと、ベアトリーシャの姿もない。

「さすがに、疲れたのだろう。部屋で、休んでいる」

 どのような手段で、捕らえた男に情報を吐かせたのか、誰も知らない。ルスランがいくら殴っても、笑うのみであったのだ。よほどのことをしたのだろう。それだけ、彼女も消耗しているに違いない。


 これで、会議は散会である。イリヤは、ひっそりと、ベアトリーシャの居室を訪ねた。

「起きてるか」

「何?」

 扉の向こうから、声。

「俺だ。入るぞ」

 断って、扉を開いた。そこには、敷いた藁の上に座るベアトリーシャの背があった。

「――泣いているのか」

「用がないなら、出ていって」

「辛い思いを、したんだな」

「あなたに、何が分かるっていうの」

「分からないさ」

 イリヤは、室内にその身を滑り込ませ、扉を閉めた。

「どうして、出て行かないの」

「心配なんだ。大丈夫かと思って」

「放っておいて」

「放っておけないから、来た」

 ベアトリーシャは立ち上がり、イリヤに大股に歩み寄ると、その胸倉を掴んだ。ふわりと、女の香りに混じり、硫黄が臭った。

「お前たちは、いつもいつも、勝手ばかりだ」

 殴られると思ったイリヤであったが、ベアトリーシャはそれをせず、ぼろぼろと大粒の涙をこぼしている。

「なぜ、わたしなのだ」

「何のことだ」

 イリヤは、ベアトリーシャに押されるようにして、扉に背を打ち付けた。

「なぜ、お前なのだ」

「よ、よせ」

 そのまま、体勢を崩し、冷たい石床に。

「許さない。お前を」

「や、やめろ。落ち着け」

「絶対に、許さない」

 そのまま、首に手をかけてきた。イリヤは息が詰まりそうになり、手足を泳がせた。

「なぜ、お前なのだ。お前のような男は、一番嫌いだ」

「俺だって」

 イリヤが、渾身の力を振り絞り、身体の位置を入れ替えた。

「お前なんか、大嫌いだ。わがままで、気が強くて、自分勝手で。いつも石や鉄ばかりいじくり回して、どうかしてる」

 下に組み敷かれたまま、ベアトリーシャが、まっすぐにイリヤを見上げている。先程までの恐るべき力はそこにはなく、ただ弱い女が居た。

「イリヤ」

 その唇が、頼りない灯火を照り返している。

「ほんとうね」

 ベアトリーシャが、笑った。イリヤが、初めて見る笑い方だった。

「わたしは、ずっと、一人だった。父が、国に殺されて。森に辿り着いてからも、その恨みと怒りだけを支えに、生きてきた。人を拒み、自分にしか出来ぬことをすることで、自分を守っていた」

 イリヤは、答えない。捉えたままであったベアトリーシャの腕を、そっと放してやるのみである。まだ、身体の位置は入れ替わったままで、イリヤがベアトリーシャを組み敷いているような格好だったから、ベアトリーシャが可哀想だと思ったのだ。

「そのことを否定するのは、お前だけだ」

 そう言うベアトリーシャの声に、いつもの棘はない。戸惑った。口から、心臓が出そうになった。だから、それを紛らわせるため、別のことを言った。

「背中、冷たくないか」

「気にしたこと、ないわ」

 せっかく解放してやったはずのベアトリーシャの腕が、また伸びてきて、こんどはイリヤを縛りつけた。

 その腕には、さきほどまでとは、全く違う力が込められていた。

 あとは、大精霊が人をそのように作った通りの行動を、互いに取った。

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