龍が言うには

 ラーレのことについて、続けて一息に述べてゆきたい。彼女がどのようにしてラハーンのもとで暮らすようになったのかは史記の原典には記されていないから、筆者の想像でもって、彼女がこの先取ってゆく行動の動機とする。


 彼女はヴィールヒに乞われ、鉄をトゥルケンの領土に運んでからの護衛の話をするつもりで、彼を広大な敷地を持つ精霊の家の中の、客が宿泊するときのための建物へと案内した。だが、その一室に入っても、ヴィールヒはいっこうにその話をせず、ただ黙って果実で作られた酒を飲んでいる。

「ラーレさんは、お幾つになられるのです?」

 場が保たなくなったことに耐えきれなくなったアナスターシャが、意味のない問いを投げかけた。

「十六になります」

 アナスターシャは、正直、女性という生き物がどのようなものであるのかよく知らない。精霊の家にいた頃の彼女と言葉を交わす人間というのは、丞相ニコくらいのものであり、あとは必要最小限の受け答えしかせず、特に女性というのはただ黙って彼女の身の回りのことをするだけの存在であった。ウラガーンに来てからも、彼女が知っている女性といえばいつも気怠けだるげな顔をしていながら気性はめっぽう激しいという歳上のベアトリーシャくらいのものだから、少し下であっても歳の近いラーレに興味を持ったのかもしれない。しかし、ラーレは、アナスターシャとの関わりを持とうとはしない。

「何故、あなたは言葉を用いようとしないのです」

 それを、ちょっと困ったような表情で素直に投げかけた。

「精霊の家に仕える身ではありながら、わたしは卑しき身。ナシーヤの巫女と交わすような言葉を、持ちません」

「そんな。言葉というのは、人と人が分かり合うためには、無くてはならぬものです」

「その必要が無い、とこの女は言っているんだ、アナスターシャ」

 やっと、ヴィールヒが口を開いた。

「どういうことでしょう、ヴィールヒ」

「お前のことが、好きではないそうだ」

 ラーレは、無表情のまま、彫像のように突っ立っている。

「わたしが嫌いですか、ラーレさん?」

「好きも嫌いもありません。あなたは、精霊の巫女なのですから」

「わたしは、もう精霊の家の者ではありません。従って、あなたの前にいるのは、アナスターシャという一人の旅人です」

 アナスターシャは、悲しい気持ちになってきた。自分が精霊の巫女というだけで、人は自分を人と見なかった。そして、その立場を失ってなお、そうだと言うのかと泣きたい気分であろう。

「こいつのことは、放っておけ」

 と言うヴィールヒは、アナスターシャを一個の人間として見ていることになるかもしれない。もともと、彼は精霊の巫女という地位など、屁ほどにも気にしていなかったが。

「だが、この女の言う通りだ。お前のことだ。ええと」

「ラーレです」

 不思議なものである。関わりを持ちたくないと思っているはずなのに、何故かラーレはヴィールヒが自分の名を記憶していないことに腹を立てた。

「そう、ラーレ。お前、いい腕をしている」

「女の身ではありますが、剣を磨き、幾度となく戦場に立ってきました」

 そうか、とヴィールヒは興なげな返事を放り投げ、また杯を手にした。

「それで、あなたは、わたしに鉄の護衛について話をしたいのではなかったのですか」

「鉄がトゥルケンに入ったら、それを守れ。それだけだ」

「それならば、ラハーン様の居館で既に聞きました」

「あの男は、俺達がわざわざ何をしに来たのか計りかねているらしいな。俺は、お前を、見に来たのだ」

「わたしを」

「俺の知り合いで、お前を、いや、お前の力を大層欲している者がいてな」

 サヴェフのことだろう。鉄のことでトゥルケンを色々調べるうちにラーレの噂を聞きつけ、是非引き抜きたいと思ったに違いない。彼が思うのは、いつもその根源の動機である。ラーレが欲しい。だから、ヴィールヒ、会ってきてくれとだけを言い、ヴィールヒは頷いた。あとは、ヴィールヒ自身の思考と行動により、サヴェフの意思を実行に移すのだ。


 ヴィールヒは、当人にはその自覚はないが、わりあいこういう役が得意であった。彼はこの世のどの位置にもおらず、誰とも違う目で世界を見ているような節がある。もしかしたら、彼の心はあの土牢に置き去りにされていて、その目は未だに光を避けるように細められているのかもしれない。それゆえ、彼の吐く短い言葉の数々は、人の耳に届くことのない、人の内なるものの声に近いのだろう。アナスターシャとはじめて言葉を交わしたときも、このときも、そうであると言える。

「その者が、お前に会えと言った。正直、面倒な話だ。俺は、国を壊す。あいつが、お前がそのために必要だと考えるなら、そうなのだろう」


 実際、ヴィールヒ自身、ラーレのことをその程度にしか見ていない。どうでもいいのだ。だが、彼も馬鹿ではないから、国が人一人の力で倒せるほど生易しいものではないということくらいは分かる。そういうことはサヴェフに任せておくのが一番手っ取り早いと思っているから、その言うことに文句を付けたりすることはない。

 ウラガーンの兵の間では、ヴィールヒはやはり別格のものとして扱われている。実際の形の上ではサヴェフが運営を行なっているとはいえ、兵にとってのヴィールヒはウラガーンの象徴なのだ。それにアナスターシャが加わることにより、兵らは自らの歩む道に確かな裏打ちを得たような気がしているらしく、自発的に国のありようや、人の道について論じるような向きが出ている。

 彼らは、ノゴーリャの街の者にも礼儀正しく、決して暴力や不正を働くことはない。王家に苦しみを与えられたヴィールヒを筆頭とした我々を、大精霊が支えている。そんな感覚であったのであろう。


 話が逸れた。ラーレのことである。

「わたしが、欲しい」

 癖なのだろうか。ヴィールヒの言うことを、鸚鵡おうむのように返す。

「お前次第だ。俺達に加わる理由がなければ、強制はしない。ここで、上手くやって来たんだ。それをわざわざ捨ててまで、俺たちの為そうとしていることを手伝うということは、普通はしない」

 であるにも関わらず、ヴィールヒは彼女にその話を持ちかけている。

「わたしとて、何もかもが上手くいっているというわけではない」

 つい、自分のことを話してしまった。ヴィールヒには、こういう不思議な力のようなものがある。

「まあ、それも、どうでもいいことだ」

「お前は、わたしを見て来いと言われたのだろう」

「そうだ」

「お前から見たわたしは、どう映った」

 ヴィールヒは、小さく喉を鳴らして酒を飲み下した。

「べつに。どこにでもいる、ただの人だ。他の大勢と変わらず、俺には関わりがない」

 その前提を、述べた。ラーレは、自分に対する評として、これほど斬新なものはないと感じただろう。精霊の化身。戦乙女。馬上の聖女。これまで、世の人が彼女を評してきたいかなる言葉も、彼女を表すことにはならなかったからだ。

「考えることだな。自らを縛るものが、何なのかを。自らが、この世から何を奪われたのかを」

「このこと、ラハーン様に話す」

 ラーレが、ヴィールヒの横顔をめ付けた。

「好きにしろ。俺が見に来たのは、お前だけなのだから。あの男にも、それが持つ軍にも、興味はない」


「巫女」

 ラーレの顔が、アナスターシャの方を見た。

「あなたは、何故このような者と共にあるのです」

 言われて、アナスターシャはちょっと困ったような顔をし、やがて、

「ひとつには、仕方がなかったということがあります。守りたいもののために。もうひとつには、この人達が、心から世を憂い、自らを投げ出してまで戦おうとしているからかもしれません。わたしは、この人達に触れてはじめて、人の姿を見たのかもしれません」

 ニコのことを思い出しながら言った。もう、久しく会っていない。このままウラガーンと共にいては、もう会えぬかもしれない。下手をすれば、王家の軍と戦うようなことになるかもしれない。そのことは大層気がかりではあるが、それ以前に、奪い、奪われるという当たり前過ぎる人の営みに対して疑問を持ち、憤る彼らが、アナスターシャの眼にはとても鮮やかに映っているのだ。その意味で言えば、彼女もまた、ウラガーンにニコを奪われているのだ。その責はヴィールヒやサヴェフのような個人ではなく、彼らのような人間を産んだ国や世にこそあるとも考えられる。


「大精霊の守護を捨て、龍と共にある巫女、か」

 ラーレは、小さく呟いた。

「わたしは、ただの人。あらゆる人の中で、今なお、精霊と龍は戦っているのです」

 聴こえていたらしく、アナスターシャはラーレの呟きを拾い上げた。

「この人たちは、戦う術を。わたしは、龍と精霊が、共に生きる術を求めているのかもしれません」

 悲しげににっこりと笑うアナスターシャに、ラーレは頭を下げた。ナシーヤの精霊の巫女から直々に言葉を受けているのだから、当然の動作であった。その頭を上げ、再びヴィールヒの横顔に眼をやった。

「お前がわたしに言ったことは、聞かなかったことにする。鉄がトゥルケンに入れば、わたしはラハーン様の命により、それを守る。それだけだ」

 ヴィールヒが何も言わないので、そのまま退室した。

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