第六章 龍巻く朝

たった一人の理解者

「久しいな」

「顔色が、良くなった」

 男が、二人。一人はヴィールヒ。

「私はてっきり、その槍でこの身を一突きにしに来たものとばかり思ったぞ」

「いいや、違う」

 獣の油を燃やす灯火が一つのみの、薄暗い部屋である。その中ならば、ヴィールヒは眼を細めることなく話すことが出来た。牢から出てからのヴィールヒしか知らぬ者が見れば、別の人間のようにも見えることであろう。そのヴィールヒの薄い唇が、動く。

「実際、お前を殺してやりたいとは思う。今すぐにでも」

 もう一人の男は、答えず、曖昧に笑った。

「お前が、俺を壊したのだ。あの闇の中で」


 部屋の外には、三人の男が倒れている。死んではいない。気を失っているだけだ。いつも側に置いている手練れの三人を一瞬にして打ち倒して乱入してきたヴィールヒに対して、もう一人の男は大変な恐怖を示した。しかし、

「騒ぐな。話を、しに来たのだ。サヴェフから、伝言がある」

 と静かにヴィールヒが言ったものだから、もう一人の男はやや落ち着き、全身を駆け回る恐怖をどうにか抑えようとすることが出来た。


「それで、伝言とは」

 もう一人の男は、自らの動揺を隠しながら、あえて鷹揚おうように言った。

「俺は、今夜、ここに来た。そして、これから、事が起こる。その意味を、考えろ」

「サヴェフが、そう言えと?」

 ヴィールヒは答えず、これだけの短いやり取りだけをし、立ち去った。

 部屋の外で倒れている三人以外にも、多くの兵や使用人がこの館にはいる。その誰も、ヴィールヒの姿を見てはいなかった。



 その、同じ夜の間。騒ぎが起きた。

 ヴィールヒが立ち去った後、眠ることが出来ずにいた男は、寝台から身を起こした。

「何事だ」

 部屋を出て、この夜更けに慌ただしく動いている館の者を呼び止めた。

「は。なにやら、騒ぎが起きたようで」

 もう一人の男は、立ち止まってそう言った者のかざす灯火に、その顔を照らされた。

 それは、宰相ロッシであった。ヴィールヒが、何のために接触をしてきたのかは、分からない。だが、その宣言通り、何事かが起きた。

 はじめ、何が起きたのか分からなかった。それほど、騒ぎは大きかった。時間が経つにつれて詳細が徐々に明らかになってきて、その度ごとにロッシは驚いた。

 騒ぎはまず、精霊の家近くで起きたらしい。


 夜更けのため閉ざされた門扉に詰める番人に、声をかける者があった。それは、やや濃い金色の髪をした男で、槍を一つ持っていたという。男はその門番のうち二人を即座に殺し、一人に瀕死の重傷を負わせた。男の人体は、その者が証言したものである。そのまま男はふらふらと精霊の家の中に入り、突然の乱入に手向かった者二十人あまりを殺し、祈りのために夜更けながら大聖堂に出ていた精霊の巫女をさらい、出た。

 自衛のために置かれた、精霊の館の兵らが馬を発し、追った。追った先にいた別の男が振るう片刃の槍により、それらは全滅した。その場所には、鎧ごと両断されたり、頭が弾けたようになっている人の死骸のほかに、胴から飛んだ馬の首まで転がっていたという。

 騒ぎは、その頃には大変なものとなっていた。すぐに、駐屯兵──これは王家の軍とは別の軍である──が出動したが、あちこちで原因の分からぬ爆発が起きて混乱をきたし、結局取り逃がしたという。

 金髪の男も、片刃槍の男も、そして精霊の巫女も、この王都から消えた。西門の門番が殺され、開かれていた。そこから出たものであろうと思われる。街の入り口に停められた馬車に繋がれていた馬が、居なくなっていた。

 精霊の家の中には、多くの死者を出し、巫女を奪われた悲しみと怒りが満ちているという。

 その大聖堂の中に安置されている、石でもって掘られた精霊の像の首が、落とされていた。


 ロッシは、ヴィールヒに言われた通り、その意味を考えた。

 サヴェフとロッシは、利が合うらしい。

 この騒ぎを、自らのために利用せよということだろう。だが、何故、わざわざそれを知らせたのか。

 分からぬが、この騒ぎは、森の軍が起こしたものであるということを、知らせたかった。そういうことであろう。

 ロッシにしてみれば、森の軍が何をしようが、自らにその害が及ばぬ限り、どうでもよい。

「ありがたく、利用させてもらうぞ、サヴェフ」

 そう一人呟くと、早速、この混乱についての問い合わせを発するため、王家の軍の本営へと人をやった。


「見たのです、私は」

 使者の応対をしたのは、ルゥジョーという、丞相ニコの側近であった。ロッシは、その名と顔くらいは記憶している、ただの世話役くらいにしか思っていない。

「精霊の巫女が、さらわれてゆくのを」

「それで、何故、貴殿はすぐに丞相に復命し、王家の軍を発しなかったのか」

「私は、そのとき、巫女の言葉を、直々に聴きました」

「巫女の言葉を?」

「巫女は、仰せでした。決して、追うなと。私は、人としての意思で、ここを出ると。そうしなければならぬと」

「ほんとうに?」

「偽りを申し上げて、何になりましょう。それゆえ、守護不入の精霊の家のことに、王家の軍が関わることは出来ぬと思い、丞相も王家の軍を発することはありませんでした」

 なるほど、それが本当ならば、道理は通っている。ただし、その精霊の巫女の言葉を聞いたのが、このルゥジョー一人であるというのが、問題であった。

 確かめようにも、その言葉を発したという本人は、すでにいない。

「ニコめ。守護不入を盾にしおったわ」

 それを聞いたロッシは、にかわを噛んだような顔をし、吐き捨てた。

「どのように計らいましょう」

 副官が、これを機に一気にニコの足場を崩してしまってはどうかと言ったが、ロッシは首を横に振った。

「まだだ。これは、契機なのだ。奴を今責めても、王家の軍はあくまで大規模な内乱、あるいは外敵への対応のためにあり、王都の治安維持は王都の軍に責があると言い逃れるであろう」

 この頃の軍組織というのは、地方軍と王家の軍に大きく分かれる。王都の守備軍も所属は地方軍であり、その最高責任者はロッシである。だから、下手に王家の軍の責を問えば、逆にロッシにとって不利になる。

 とりあえず、その最高責任者としての権限を駆使し、ロッシは王都守備軍の指揮官の首を跳ね、王都の中央の広場に晒した。

「ニコの奴が、どう出るかだ」

 混乱がやや落ち着いた頃、ロッシは側近に漏らした。

「しかし、口惜しくありますな。この騒ぎの中、何もしなかった王家の軍を責めることで、丞相の立場を崩し、宰相により有利な状況を作れそうであったものを」

「お前は、分かっていないな」

 ロッシの顔が、歪んだ。

「そんなことよりも、もっと、今回の騒ぎは、私にとって利のあることになるぞ」

 乱れ。それこそが、私の望むところである、とこの実質上の施政者は言ったという。

 それを聞き、手記に残した側近の一人は、やはりその真意まではわからない、と綴っている。


 国をまとめ上げるには、まず、共通の敵が存在する状態に陥ることが最も簡単である。一つ一つの乱れを正し、善政を敷くことでも国はまとまるが、それには莫大な労力と時間を要する。既に、このナシーヤはそういう段階ではないところまで来ている。長年に渡る戦乱とそれがもたらす腐敗は、もうこの国の根まで腐らせていた。

 そんな時代に生まれたロッシが、自らの力を欲したというのもまた、歴史が激しく旋回していることを示すのであろう。

 最も簡単に、国内をまとめ上げること。

 それは、このナシーヤ全ての人の共通の敵を作ることである。

「乱せ。もっと」

 ロッシは、サヴェフやヴィールヒを、人の敵にしていた。彼ら自身が、勝手にそうしているのである。ロッシにとっては、願ってもないことである。

 これで、彼らが国に対し、叛乱を起こせば。

 ニコが、それを治めることが出来なければ。

 ニコを失脚させ、地方軍も王家の軍も全てを手に入れ、あらゆる政を自らの意思のみで行えるようになれば。

 サヴェフらが叛乱を起こすことで、このナシーヤに暮らす全ての民は、になることが出来る。

 あとは、その総力を結集し、森の軍を潰してしまえばいい。

 それで、乱れは治まる。ロッシは、このナシーヤの歴史においてはじめて、乱れを治めた王となり、名を残すのだ。


 ヴィールヒが現れたこと。

 その意味を、また考えた。

 サヴェフにはサヴェフで、その意思があり、目論見がある。それが何なのか判然とはしないが、どうでもいいことであった。彼らが、彼ら自身の行動によって作り出した全ナシーヤ人を敵に回し、勝てるはずがないのだ。

 ロッシは、やはり、あのときグロードゥカとユジノヤルスクとの間に戦いを生じさせ、国内の二大勢力同士の力を削るという策のもと、ヴィールヒを捕えておいて良かったと思った。

 彼がその人物を見立てた通り、ヴィールヒは、十分に叛乱の核となり得る人間であった。自らの慧眼けいがんを人に誇りたい気分であったが、それを聞き、理解を示してくれる人間は彼の周囲にはいない。


 いるとすれば、せいぜい、サヴェフくらいのものであろう。

 彼の、ナシーヤにおけるたった一人の理解者は、彼自身が作り出した敵そのものであった。

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