大精霊の前で

 戦後処理が、思いのほか長引いた。ニコは流石に若くして一国の丞相を務めるだけあり、やり手であった。戦いは森の軍が王家の軍に損害を与えて押したにも関わらず、結んだ約定の内容は、圧倒的に王家の軍に有利なもので落ち着いた。

 それでよかった。

 ニコはやり手であるし、サヴェフにしてみれば、その結果で満足である。

 森の賊と呼ばれ、人から恐れられるだけであった集団が、あろうことか王家の軍と渡り合い、丞相ニコと交渉をするところまで持って行けたのである。これにより、彼らは、となった。

 かつての首領アガーシャを粛清していたことも大きかった。それで森の軍は略奪を目的としたものではなく、この荒れた世に何事かを為さんと志をもって集まった高潔な集団であるとサヴェフは言うことが出来たし、ニコは内向きにもそのことを発信することが出来た。

 王家の軍が出向き、森の賊四百をその威でもって従え、彼らはそれに服し、これまでの行いを改めた。そうニコが言えるような状況を、サヴェフらが時間をかけて作ったという見方も出来る。そもそもは、彼らはそれぞれ一人であった。それは四人になり、五人になり、十人になり、そして四百人になった。

 はじめ、森の賊は五百いた。減った分は、サヴェフらの自立のため、その命を散らした。当人らにその自覚はなく、恐らく訳も分からぬまま熱に浮かされたように戦いに参加し、気付いたときには王家の兵の刃が目の前に迫っていたであろうが。

 その百人と、王家の軍の三百の血を吸った土の上に、サヴェフらは立った。

 王家の軍に従っても、服したわけではない。今、そういう立場を得たのだ。

 それが成ったことには、ニコが抱える事情もある。



「まったく。とんだことになったものです」

 いつものように、ニコは王都にある精霊の家で祈りを捧げ、そのに精霊の巫女と話をした。この時間が、彼は好きであった。

「そのサヴェフという男、とても面白い人ですね。きっと、頭がいいのですね」

 精霊の巫女は、無邪気なものである。

「彼らの目的が、分からない。私にしてみれば、国に背く意思はなく王家の軍に従い、今後一切略奪をせぬと言い、その証拠に略奪を指揮していたかつての首領を斬り、今は自活の手段として器や薬を売り、それで集団を維持しているということが、おかしなことであると思えるのです」

「まあ」

 外界との接触がなく、情報に触れることが極めて少ないアナスターシャは、この手の話をとても喜ぶ。口元に手を当ててくすくすと笑う姿は、大精霊というよりは西の国の神話に出てくる女神のようであった。

「いきなり攻めた我らも、やり方が悪かったところはあります」

「ニコ様は、どうして彼らを攻めたの?」

「ヴィールヒという男がいます」

 ニコは、王を殺した疑いをかけられ、二年もの間牢に投じられていたヴィールヒのことを話した。

「それを、ある男が、自らのためにあえて飼い、それを餌に反乱を煽ることを考えていたがあるのです」

 紛れもない、宰相ロッシのことであろう。ニコの論によると、ロッシは、ヴィールヒに疑いをかけ、サヴェフは解き放ち、彼らに反乱を起こさせようとしているというのである。はじめ、ロッシは王が死んだのをグロードゥカ候とユジノヤルスク候が結託し、王家を覆さんとしたためとした。しかし、当の候同士はそれを全力で否定し、互いに、王の死は自分のせいではない、隣国が仕組んだことであると主張を始め、遂には戦いを勝手に初めてしまった。それに便乗するかのように、他の地域でも一斉に紛争が激化した。それぞれが奪い、あるいは奪われぬために隣国を攻め、この三年でどれほどの血が流れたのか分からぬ。

 ニコは、ロッシが王にならんとしているものと見ていた。今の王はロッシが立てたの若い王で、国内のこの騒ぎに右往左往するばかりである。ロッシはそれを無能として排し、自ら争いを治め、王にならんとしているのではないか。

 それには、共通の敵が要る。


 敵とは、時代や情勢により、簡単に現れたり消えたりする。裏を返せば、その条件さえ整えてやれば、敵とは勝手にその姿を現してくれるのだ。

 グロードゥカの敵がユジノヤルスクといったような、そういう小さな敵ではない。むしろ、ナシーヤの存在そのものを否定するような敵。そういうものがあれば、ナシーヤ人達は一つになり、事に当たることであろう。

 例えば、外敵。異国の侵略などがあれば、国家としてまとまってそれに向かわざるを得ない。しかし、後の世でバシュトーと呼ばれる南の地域にはこの時代においてはまだ国家は存在せず、騎馬民族がそれぞれ群れているに過ぎない。それらが稀に国境を侵し、ナシーヤ南部の乾燥地帯に点在する村や街を襲ったりするが、国家ぐるみで向かい合う外敵と呼ぶには余りにも小さい。

 北には、やや大きく強い国があり、ナシーヤは幾度となくその侵略を受け、北の国境線は常に前進したり後退したりしている。しかし北の国は今王位継承のための内紛状態にあり、ナシーヤのことを忘れたようになっている。

 そういう情勢だから、ロッシは、国の中に敵を作ろうとしたのだろう。

 たとえば、ヴィールヒ。彼は、その武勇で有名である。それを悲劇の主人公に仕立て上げ、それに続く人を集める。二年もの間牢に閉じ込めて不当な扱いを受ければ、誰でも権力を、国家を恨むようになる。あとは、サヴェフなり誰なりにそれを担がせ、反乱軍を組織させればよい。

 そうニコは確証のない確信をもって、ロッシの頭の中を覗いている。そう思っているなら、ニコにとってヴィールヒは野に放ってはいけない獣であるということになる。それでもヴィールヒを解放せよというサヴェフの要求を呑んだのは、一つには森の賊の、いや、そこに居た名もなき将どもの武力や計略が想像を絶するものであったこと、そしてロッシが自らの足場を固くするため、ニコを失脚させようとしていることがある。

 森の軍が手に負えなくなる前に潰す、という案を出したのはニコである。こういう場合の慣例に従い、地方軍を用いて力押しに押し、殲滅するつもりであったのだ。今まで何度か討伐を試みたが、賊と侮って数百程度しか軍を発することがなく、ことごとく森の中に仕掛けられた罠にかかって自滅したり、丘、森林、沼沢、湿地と複雑な地形をもって天然の要害とする賊を攻めあぐね、理由をつけてすぐに退却したりで上手くいかなかった。

 賊を討伐する戦意が上がらぬのには、賊と軍が裏で通じていたからである。そこまではニコも掴んでいるが、それをロッシが手引きしていたかどうかまでは突き止められていない。だから、問答無用で大規模作戦を発し、グロードゥカ地方軍の多くを割き、森の賊を討伐しようとしたのである。

 だが、ロッシの方がここは上手であった。

「内乱を避けるため賊を討伐するのは結構であるが、丞相は、今の情勢を分かっていない」

 と彼は言う。

「グロードゥカ軍は割けぬ。軍を割けば、ユジノヤルスクがグロードゥカになだれ込み、それを滅ぼしてしまうではないか。今、国内の地方軍で強いと言えば、まずその二国。その均衡を崩せば、どうなるか分かったものではないぞ」

 青二才め、とロッシが眼で笑うのが、ニコには分かった。

「では、森の賊は放置することになりますが、よろしいか」

 とニコが食い下がると、

「動かせる軍で、討伐すれば良いではないか」

 とロッシは嫌な笑顔を浮かべた。

「動かせる軍など、どこにも」

「貴殿の軍が、ある」

 重ねて言うが、王家の軍は外敵の侵入もしくはよほど大きな反乱に対抗するためのもので、賊の討伐ごときに出動した前例などない。だが、

「今は、火急のときだ。貴殿が言う通り、内乱の芽は、摘んでおくべきである。しかしながら、本来出るべきの地方軍が、出ぬ。ならば、それほどの危機に国が曝されているということで、王家の軍を動かせば良かろう」

 とロッシは言う。その日、ニコは即答はしなかったが、翌日には王の印が押された出動命令が下ってしまった。

 グロードゥカとユジノヤルスクを互いに争わせたのも、ニコの足元をこういうところで掬うためであったのではないかとすら思える。ロッシとは、そういうやり方をして、今の地位に立った者なのだ。

「共通の敵があれば人がそれに向かい、国内が一つになると言うのなら、あの男こそが万民の共通の敵ではないか」

 とニコはこのとき、アナスターシャに向かって漏らした。

 そして、ニコは王家の軍の一部を発し、そして敗けた。形としては森の賊を従えたということになっているが、ニコは若いながら戦場での経験も豊富である。だから、あれは完全に王家の軍が負けたのだということが分かっていた。

 その上で、約定を結んだ。

 何度も、サヴェフと秘密裏に会談を重ね、互いの落ち所を探り合った。その過程で、ニコは、サヴェフをひとかどの士であると認めた。すなわち、

「これは、危ない」

 と思ったということである。向かい合う金髪に髭を生やした背の低い優男が秀でた者であればあるほど、ロッシの計画は現実に近づいてゆくのだ。断固としてこの戦いを勝ちに持っていき、サヴェフを封殺するか、もしくはほんとうに殺してしまうかのどちらかしかないと思った。

 ニコは、王家の軍を率いている。それが敗けたとなれば、国内での彼の立場は一夜にして無くなる。そうなれば、ロッシが国を乱すのを止める者は誰も居なくなる。ニコは国家を愛していた。それを乱すロッシを許せなかった。そして、それを排し、正しい姿に国を導くのは自分なのだと思い定めていた。

 だから、サヴェフを野放しにすることも出来ないし、自らの敗けを国内に知られるわけにも行かなかった。それを、サヴェフに正直に打ち明けたのだ。


「分かる」

 とこの若い首領は言ったのだ。

「丞相の仰せ、このサヴェフ、確かに承った。もとより、我らが国に対して要求することなど、何一つとしてない。そちらが攻めてきて、我らが退けたことを、かまびすしく世に言うつもりもない。ただ、いわれなくして囚われる我が友を解き放って頂ければ、我らは、むしろが国を脅かすとき、さきがけとなり、それを討ちましょう」

 そこまでのことを話して、ニコはため息を一つついた。目の前のアナスターシャを、その背後に安置される石造りの偶像のようにしか見ず、自分のことばかりを話すのが嫌になったのだ。

「それで?」

 とニコのため息を飛び越え、アナスターシャは好奇に眼を輝かせている。

「良かったですね。そのサヴェフとやらが、話の分かる男で」

 アナスターシャは、何も分かっていない。

 ニコは、心底、サヴェフを恐れた。

 が国を脅かす、というのは、あの場においてはロッシのことを言外に指す。ニコの立場に寄り添ったことをサヴェフが言ったように思える。しかし、たとえば、この国自体が敵であると彼が見た場合、彼はニコにも刃を向けるということである。

「それだけが、我らの意思。あとは、我らを退け、従えたと喧伝するなり、丞相のお気のままに」

 と、清潔すぎる笑顔を漏らしたあの男こそ、ニコは国家の害であると見た。そして、それでもニコはそれを呑まざるを得ないことを、あの男は見透かしていた。

 ―─ロッシめ、自ら育てた犬に喉笛を噛み切られるがよい。

 そう思うしかない。犬なら、飼いならせばニコのために働く。そういう風に持って行くしかないのだ。

 それはアナスターシャには言わず、

「この話は、今のところ、ここまでです」

 と困ったように笑った。

「ニコ。いつも、お話を聞かせてくれて、ありがとう」

 と無垢な巫女は混じり気のない笑顔を返した。

 そうだ。これこそが、この国にとって必要なもの。

 自らが盾となり、守らねばならぬもの。

 ニコはそう思いながらアナスターシャの髪に思わず手を伸ばしそうになる衝動を抑え、ただ黙って胸の前で手を組んだ。

「あなたに会えるのが、とても楽しみ。会えない日は、すごく寂しい」

 人として限りなく純真なアナスターシャの言葉が、胸に刺さる。

「勿体なきお言葉。大精霊の加護のもと、このニコ、更に国家のために尽力致します」

 垂れたこうべに、くすくすと笑い声が降りかかってくる。

「次は、大精霊ではなく、わたしに会いに来て下さいね、ニコ」

 そう言ってアナスターシャは自ら壇より降り、組まれたニコの手に自らのそれを重ねた。

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