時の隙間にて
森の賊に加わったザハールら四人は、少しずつ人に会い、話をしている。入るときに渡した金は、ジーンの分も合わせたとしても暫くの間はアガーシャへの上納分として足りるほどのものであったから、時間的な余裕は僅かだがある。五百人からの人間が靡くほどの時間というのがどれくらいなのかは分からぬが、どちらにしろ短期間で片付くことはないだろう。だから、ペトロの言い出した、中期的、長期的な収入源の確保は有効であり、必ず実現しなければならないものであった。
まず、当座の収入源として、薬草を売る。これは、沼の近くや湿地帯で集めたものを売ればすぐ金になるし、まだ収穫の出来ぬ種類草を畑に移し、栽培すれば、種も取れる。湿地や森には春夏秋冬、様々な種類の植物が生えていて、季節を問わず金になるものが多い。
彼らは盗賊ではあるが、必ず奪わなければならないというわけではない。どのようにして金を稼いでも、アガーシャに定められた額さえ渡していれば、何をしても自由なのだ。
ただ、奪うのが、最も手っ取り早い。この森の中には、戦乱による国土の乱れなどにより、食う術を失ったり、親を亡くした子供などがいる。彼らは、一様に渇き、荒れていた。だから、今さら建設的にものを作ったり、栽培したりという前向きなことをする者は少ない。
少ないとは言っても、全くいないわけではない。たとえば四人の小屋を建てるのを手伝ってくれた大工達は、普段、村や街に出て、家や日用品の補修などの用事がないか聞いて回り、食料や金を得ている。また、薬草を探し回るうち、同じようにしている者何人かと知り合った。
そうして少しずつ、人と会い、話す。アガーシャに気取られてはならない。今、アガーシャに目を付けられ、それに抗い、倒したとしても、それはあくまでジーンを含めた五人の私闘となり、五百人全員の心を手に入れることにはならぬからだ。
既に、ヴィールヒが捕らえられた初夏から夏を跨ぎ、秋になろうとしている。サヴェフはヴィールヒが生きていると信じているらしいが、その期間が長くなればなるほど、その望みは薄くなるのだ。ゆえに急がなければならぬが、急ぐわけにもゆかぬという葛藤もある。どうしようもない。ここは、落ち着いて、大きな目標に向けて少しずつ進んでゆくしかないのだ。
この依って立つ地と、人を得ることが出来れば、彼らの大望が一気に近づく。星は瞬いても、墜ちはしていない。だから、信じるしかないのだ。
星を見上げている者が、ここにもいる。
いや、星だと思ったのは、やはり、土の天井の水滴。
ひとつ。
ひとつ。
その間隔はごく僅かなものであるようで、ヴィールヒにとっては永遠でもあった。
刹那と、永遠との境。そこに、彼はいる。
はじめこそ、壁に打ち込まれた鎖を引き抜かんばかりの力と激しい怒りを示し、ロッシの喉笛を鉄の格子越しに食い千切る勢いを見せていたが、今は疲労と精神的な衰弱により、ただ土の上に敷かれた
ひとつ。
ひとつ。
いつも、ひとつ墜ちる度に、何かが頭の中で明滅する。
それは、あの武術大会の夜の屈辱でもあったし、その以前の戦場の空気でもあった。ヴィールヒの家柄はグロードゥカの候(王に許され、地方を統治する者)に仕える士分ではあるがそれほど高くなく、だからこそ彼は戦場で先陣を切り、手柄を挙げることが出来た。
戦いとは、若い彼にとっては刺激的であった。自らの命に向けて刃を向けてくる敵を前に、勇敢であろうとした。人が、いつの間にか、自ら振るう槍を、精霊の槍と言うようになった。彼自身、それを喜んだ。
ひとつ敵を屠り、その屍を積む。
ひとつ敵を屠り、その血を泳ぐ。
その先に、自らが求める高みがあると信じていた。王に認められ、世に認められ、精霊に認められると信じていた。
だが、その先のことはなかった。
ひとつ。
ひとつ。
ヴィールヒの瞼に、星の滴が落ちた。知らぬ間に、横になって眠っていたらしい。
毎日、同じ質問を受ける。王を殺したのは、お前なのだな、と。毎日、違う、と答える。それが何度続いたのか、数えることも出来ない。
ひとつ。
ひとつ。
星を数えていたつもりが、いつの間にか、眼の前を舞う羽根を数えていた。
最近、多い。多いが、いつも、ひとつ。
彼の時間は、いつも、ひとつ。
また、そのひとつが、訪れた。
ひとつ。
ひとつ。
足音である。いや、いつもと少し違うと彼は認識した。
一つ。
一つ。
近付いてくる。
「ニコ様?」
獄吏の、驚いた声。
「ヴィールヒだな」
若い。はじめて聴く声である。それすら、ヴィールヒにとっては刺激になった。また、いつものように座り、薄暗い闇の中に眼を二つ光らせた。その眼が、男と、それに付き従う少年――と男の間の年頃――を映した。
「初めて会う。ニコだ」
若いが、物言いに無駄がない。ニコと言えば、この国の丞相だが、果たしてその人物か。
「憐れに思う。いっそ、殺してやれればよいものを」
「殺すなら、殺せ。
ははっ、とニコは清潔な笑い声を上げた。
「まだ死なぬらしい。ロッシめ、いいものを拾ったな」
「ロッシは、どこにいる」
「自らを守るために築き上げた大層な城の一番奥で、お前を待っているさ」
それが、何かの例えであることは分かった。しかし、何のことを言っているのかは分からない。
「お前は、奴に
「何を言っている」
もう、ヴィールヒは、このやり取りが面倒になってきている。いつもと違う者と、違う話をしているというのは、彼の時間の中では得難い刺激ではある。だが、意味がないなら、どうでもよい。
「早く、殺せ」
「そうだな、いずれ、殺す。今は、そのために、少し様子を伺っておきたかったのだ」
「丞相ニコ」
ニコが、変わった呼び方をする、と言いたげな表情を作った。
「お前の力なら、俺を引き出し、首を跳ねることくらい、容易いだろう。何故、それをせぬのだ」
「いろいろあるのさ、こちらにも」
何かを言いかけるヴィールヒに背を向けて、ニコはこの薄暗い空間から、光の方へと歩き出した。
「─—俺がお前を殺せるようになれるよう、祈っていろ」
土の壁の残響と共に、ヴィールヒの耳の穴にニコの声が入ってくる。
「精霊の加護を、ヴィールヒよ」
ニコは、ヴィールヒの牢でも従えていた少年を傍らに控えさせ、グロードゥカの役所に用意されている、王都からの賓客用の部屋の中、側近のザンチノという五十前の男と話していた。ザンチノは、ニコの父の代から仕える執事のような者で、戦場では副官としての役割を担う。病を得て引退したニコの父のあとを継いだ若い彼を一心に支えてきた、大柄な男である。
「なるほど、あれはロッシが目を付けるだけある」
「ニコ様。ロッシめは、何を企んでいるのでしょうか」
「この前、森の賊のことを引き合いに、釘を刺してみた」
「ええ」
「あいつめ、頭がどうかしているな」
「それは、今に始まったことではありません」
ザンチノの物言いは、率直である。
「おそらく、あいつは、反乱を起こさせる気だ」
「反乱を?何故です」
この国の実質上の最高権力者が、国への反乱を起こさせるとは、どうにもおかしな話である。
「決まっているだろう。己の地盤のためだ」
ロッシは、若い無能な王を立て、その下で思うがままに権力を振るっている。国内は、今、乱れに乱れている。互いが疑い合い、誰もが敵になり得た。
「あいつには、敵が要るのだ。敵こそが、あいつを救ってくれる」
このまま、乱れを治めることが出来なければ、それこそニコに、宰相として不適格、として各地の候を糾合して反乱を起こされる。それを防ぐためには、国内がまとまり、何かの目的に向かって走らせることだ。
「それに、あのヴィールヒという男を選んだのだろう」
ニコの眼が、光った。ザンチノは、その父譲りの眼が好きであった。真っ直ぐで、不正を憎み、国の正しい有り様を見透かす眼だ。
「つまらぬ男だよ、ロッシとは」
「ニコ様の方がお若いながら、遥かに優れた器量をお持ちです」
「どうかな。俺は、未だあいつの下風に立ち、あいつの専横を止めることは出来ていない」
「それも、時間がかかることです」
「急ぎはしないさ。しかし、早くしなければならない。反乱が起き、国が一つにまとまれば─—」
まとまれば、どうなるのか。
ザンチノは、大きな身体を針の穴に通すようにして若い主の言葉を待ったが、ニコはそれきり言葉を発することなく、ザンチノの好きな眼を空で一番輝く星よりも強く光らせながら、深い思考の中へと入っていった。
少年が、ニコの顔をじっと見ている。
「ルゥジョー。今夜は、剣の稽古は、付けてやれぬ。済まん」
ニコが少年の名を呼びながら、微笑んだ。少年は頷き、腰から剣を外し、それを抱えるようにして部屋を出、隣の部屋に入っていった。
「ルゥジョーは、少し表情が出てきましたな」
少年が去っていった扉の方に同情の視線を向けるザンチノであるが、ニコの表情はそれとは少し異なっていた。
「俺は、ひどい男さ。国のためなら、どんなことでも出来てしまう。俺は、どうやら、人ではないらしい」
「ニコ様。ご自分を、責めなさるな。この国では、よくあること。ルゥジョーだけが、特別なわけではありますまい」
「わかっている。言ってみただけだ」
ニコは、ザンチノとは異なる視線を、扉に向けた。
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