5.

「何だこれは」


 幸か不幸か、僕はエイリアンに自分の猥褻図書を見られるという珍事を体験したことがなかった。母親に見られて「あんた、こんなのがいいの」なんて笑われたことならあるが。だから照れるべきか恥じるべきか迷ったが、やっぱり正直に答えることにした。何事も正直が一番だ。


「猥褻図書だよ」


 ポコペンはガタガタと震え始めた。


「まさか……チョペリンガに使うものか」


 さっきまでの偉そうな口調などもう影も形もない。何のことだかわからないけれど、とりあえず頷いておいた。チョペリンガって何だよ。なんだか声に出して言いたくなる響きだけども。チョペリンガ。


「ああ、そうとも言う」


「なんてこった。このままでは自爆するぞ」


「なんでだ」


 話に脈絡がなさすぎる。どうして猥褻図書で宇宙船が自爆するんだ。おかしいだろ。いくらなんでもチョペリンガだ。


「温玉は卑猥なものを見せると温度上昇を起こすのだ。お前だってチョペリンガするときは体温が上昇するだろう。そうなると温玉が茹で卵になり、温玉関数が適用できなくなる。エンジンが動かなければ船は浮かばない。あとは墜落するだけだ。常識だろう」


「なるほど常識だな!」


 僕は焦って叫んだ。今度は僕とポコペンの常識が一致したようだ。

 それに、チョペリンガが何を指すのかだいたいわかったような気がする。いや、しかし今はそれどころじゃない。得体の知れない金色ゼリーと宇宙船と爆発心中なんて絶対に嫌だ。


「それで一体どこに墜落するんだ」


「いや、宇宙船が墜落したら墜落地点の住民に多大なる被害が予想されるからな。墜落前に自爆するよう設定してある。具体的にはあと五秒」


「なるほど崇高な

「四」

 自己犠牲の精神

「三」

 だな。素晴らしすぎ

「二」

 て涙が出そうだ

「一」

 よまったく」


 こんなことなら古い卵なんてさっさと捨てておくべきだった。チョペリンガだ。僕は後悔したが、もう後の祭りである。


 宇宙空間には音を伝える空気が存在しないため、宇宙船『夢見る温泉玉号』は極めて静かにお行儀よく爆発した。


 漆黒の宇宙空間に、真っ白な光と熱と衝撃が広がった。それが僕の体に到達する直前、僕の体の前にあった卵が先に熱を浴びた。

 詳しいことはわからないが、一瞬にして生卵から半熟卵、茹で卵、そして炭へと移り変わる中で、どうやら一秒の何百分の一にも満たない短い時間だけ、それは温泉卵と化したようなのである。

 本来の製法とは絶対に異なるが、おそらく誰も温玉エンジンに使用する卵を宇宙船爆発の炎で加熱してみたことがなかったのだから仕方ない。発明や発見というのは、常に偶然の中から生まれるものだ。


 温泉卵を統御するエンジンはこの部屋の中にあり、エンジンの中の卵は猥褻図書によって使い物にならなくなっていたが、制御機構は生きていた。こうして宇宙船のコクピット自体がひとつの温玉エンジンとなって起動した。


 空間軸に時間軸を加えた四次元の移動、とポコペンは言っていた。

 その通りだった。温泉卵の保持者である僕の意志により、数百分の一秒だけ起動した温玉エンジンは、爆発の衝撃波が届いて木っ端微塵になる前に、時間と空間を超えて僕を然るべき時間と場所へ、すなわち今朝の自宅へと運んでいった。


 ずしん、という衝撃。瞼に広がる白光。そして静寂。


 うっすらと目を開けた僕の前で、今朝の僕があんぐりと口を開けて僕を見つめていた。どうやらちょうど朝食を作ろうとしていたところらしい。


 目の前で自分が阿呆面を晒しているのはあまりいい気分ではない。いつもの僕なら「また会えて嬉しいよ」なんて言いつつ握手でも求めるところだが、今は他にやることがある。僕は黙って冷蔵庫へと歩いていき、卵を取り出した。コケッコの条件を満たす卵が、僕の手の中でつやつやと輝いていた。

 そうだ、これがすべての元凶なのだ。


「悪いな。今日の温泉卵は諦めてくれ」


 黙って僕を目で追っている僕に向かってそう宣言すると、卵を思い切り握り潰した。


 この卵がなければ温玉エンジンも起動しなかったし、ポコペンに会うこともなかったし、そもそも高橋に声をかけられることもなかった。僕のこのろくでもない一日はこの卵の存在によって成り立っていたのだ。


 四十二年に一度しか生まれないというコケッコの条件を満たす卵は僕の手の中であっさりと壊れ、当然の帰結としてこの僕の存在も消失を始めた。


 消失しながらぼんやりとした頭で考えた。きっと今から僕は温泉卵なしの朝食をとるだろう。理想の『なんてことない休日』にはならない。何かしら不運なことが起こるだろう。犬に噛まれるかもしれない。財布を落とすかもしれない。

 だけど、少なくともこれでゼリーみたいな宇宙人と仲良く爆死することは避けられたわけだ。エアポートにだって行かずに済むに違いない。

 僕は消える前に僕自身を救ったわけだ。

 なんだ、なかなか悪くない休日だったじゃないか。


 僕は消える直前の親指をぴんと立てた。

 グッドラック、過去の僕。今度はうまくやれよ。


 じゃあな。

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