4.
僕は頭をさすりながら起き上がった。何もかも銀色の小さな部屋。壁はなんだか曲線的で、窓も扉も見当たらなかった。さっきまでエアポートにいたはずだが。
「ここは……」
「ここは宇宙船『夢見る温泉玉号』の中だ」
目の前の壁が四角く切り取られ、溶けるように消失した。
そこから姿を現したのは、例の金色ゼリーであった。それはずるずるとこちらに向かってきた。通ったあとには金色に輝く粘液で跡ができている。
「私はドンブリモナコ星のポコペンだ」
金色ゼリーは触手の先の目玉で僕をしっかりと見つめながらそう名乗った。
よく見ると目玉とは別の触手に正面に少しだけ銀色がかった部分があり、そこに小さな穴が空いていた。声はそこから出てきたもののように思われた。
「話は聞いていると思うが、お前が持っているその卵を貰い受けたい」
僕は陸に上がったロンフィッツ星人のようにしばらく口をパクパクさせたあと、やっとのことで「なぜ?」とだけ答えた。どうやら拉致されてしまったらしい。
「タカハシめ、理由の説明までしておけと言ったのに。まあいい、手短に話すからよく聞け。いいか、この宇宙は少し歪んだ球体をしている。一番外側は外殻と呼ばれる凝縮した暗黒物質、その内側に希薄化し拡散した暗黒物質、その中に我々が宇宙と呼ぶ空間が浮いているわけだが、この構造と酷似しているのが――」
ポコペンはついて来いと一本の触手――おそらくは人間の手と同等の働きをする触手――で指し示した。どうやら触手の一本一本がそれぞれ目や口や手の働きをしているらしかった。
金色の粘液を踏まないように苦心しながら歩いていくと、コックピットのような場所に出た。
「これがエンジンだ」
エンジンは透明な球体であり、その中にいくつもの透明なパイプや基盤が配置されていた。その中央、球体の中心にはぷかぷかと白いものが浮かんでいた。それはどう見ても卵だった。
「卵じゃないか」
「卵じゃない、温泉卵だ」
ポコペンはぴしゃりと言った。
「いいか、この温泉卵は縮小した宇宙そのものの模型であり、温泉卵と宇宙の相似が成り立つ以上この温泉卵に成り立つ法則は適切な変換を施してやれば宇宙全体に成り立つ。温泉卵の各栄養素を変数とおいてこの世界全体を四次元の関数化し、この宇宙空間における全事象の計算を理論上可能にしたのが、あの有名な『温玉関数』だ。どうだわかったか」
「わかったよ、一切わからないということだけは」
ポコペンは頭と思しき部分を手と思しき触手で掻き毟ると思しき仕草をした。
「これだから地球人は頭が悪くて困る。いまだ大宇宙会議に出席する程度の技術レベルさえ確立できていない痴的生命体のくせに……まあいい、話を戻そう。それでお前が捨てようとしていたその卵についてだが、その卵は、温玉関数の成立条件――これはコケッコの条件と呼ばれているが――を満たす特殊な卵なのだ。外殻の形、内部成分の比率、すべて本物の宇宙と一致する必要がある。当然わずかの誤差も許されない。宇宙と卵の体積差を考えれば、少しの誤差がどれほど増幅されるかわかるはずだ。ともかく、それを温泉卵に加工すればこの温玉エンジンができる。これはものすごく貴重で、お前の暮らす国には一年に四千億個以上の卵が流通するそうだが、その場合は……ええと……四十二年に一つだな。四十二年に一つだけ、コケッコの条件を満たす卵がどこかで生まれる。これがどれほど希少なのかは地球人の頭でも理解できるだろう」
「なるほど、つまりその……なんだっけ、コケコッコの条件が……」
「コケコッコじゃない! この
*ドンブリモナコ星の十三代前の指導者ドンブリモナコ・グロータント七世は銀河史でも例を見ないほど無能なことで有名であったが、大宇宙会議に出席した際、こともあろうに銀河帝王ホッツェンプロッツ・コッペパン・ヒリドリリリーリリスの名前を三回もホッツェンプロッツ・コッペパン・ヒリリドリリリーリスと呼んでしまった。ヒリリドリリリーリスとは銀河共通語で『地位に中身が伴っていないこと。また、そのような人物』の意であり、また、この単語が銀河帝王を非常に正しく形容していたため、会議終了後、ドンブリモナコ星に向けて「帝王の手が滑った」ことによりアンチDNAミサイルが発射された。その爆発によりドンブリモナコ星人の遺伝子配列は気でも狂ったようにでたらめな配置に置き換えられ、結果として全住民が金色のゼリーと化してしまったのである。したがって、ドンブリモナコ星の言葉で「グロータント」は『救いようがないほど愚かなこと。また、そのような人物』の意である。
「コケッコの条件だ。コケコッコ……じゃない、コケッコとは歯ブラシ型軌道計算エンジンの開発で一世を風靡した科学者の名前だ。この程度、銀河史の一般常識だというのに」
「一般常識というものの定義について僕は君と意見を異にするようだな」
「やかましい。いいか、その条件を満たす卵が誕生したらそれを回収する必要があるんだ。なにしろ貴重だからな。温玉エンジンは空間軸に時間軸を加えた四次元移動が可能だが使用可能距離があり、それを超えると温玉が茹で卵になってしまって使い物にならなくなる。これはだいたいドンブリモナコ星から地球までの距離と同じだから、この宇宙船のエンジンもそろそろ交換せねばならん。世知辛い話だ」
「コケッコの卵一つ手に入れるのに温玉エンジンを二つも消費するなら、わざわざ回収に来るのは卵の無駄なんじゃないか?」
僕は頭に浮かんだ疑問をそのままぶつけた。
ポコペンはしばらく黙っていたが、やがて触手をうねうねと動かして感嘆の意を表明した。
「なるほど……その通りだ。地球人の頭が悪いといったことは取り消そう」
なんだか余計に馬鹿にされているような気がしたが、僕は鷹揚に頷いた。
「まあそういうことなら卵ぐらい差し上げよう。ちょうど捨てたいと思っていたところだし」
僕が卵を袋から出した拍子に、同じ袋に入っていた猥褻図書がバサバサと転がり落ちた。
「あっ」
ポコペンの触手の先で瞬きを繰り返していた目が、ぎょっとしたように見開かれた。
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