3.

 家の前に立っていたのは一人の男である。

 無精髭を生やしており、浮浪者のように汚らしい身なりをしている。


「やあ」


 その男はにやにやと笑いながら僕に話しかけてきた。


「俺は高橋という者だ」


 差し出された名刺には『高橋事務所 〜惑星間移動に関するトラブル、解決します〜』と書いてある。僕は思い切り顔をしかめた。精神異常者のたぐいであろう。

 朝っぱらから面倒なことになったが、どうせ温泉卵の欠如が原因である。なんてことない朝食をとることが出来なかった時点で、遅かれ早かれこうなることはわかっていた。僕はまた溜息を吐いた。


「その袋の中に卵が入っているだろう。それを必要としている人がいるのだ。いや、正確には人じゃないんだが、とにかく俺に付いてきてくれないか」


 僕は驚いた。どうして卵のことを知っているのか。

 男の声にはどこか切羽詰まったような、有無を言わさぬ調子があったので、僕はとりあえず頷いた。どうして卵のことを知っているのか、人じゃないというのはどういうことか、疑問は山ほどあったが、それは後に回すことにする。

 どうせ、ろくでもない休日になることは決まっているのだ。


「ありがたい。ではこっちへ」


 男は僕を先導してしばらく歩くと、傍にあるマンホールの蓋をぐいと持ち上げた。


「さあ入ってくれ」


「嘘だろう」


 どうして下水道に入らなければならないのだ。慌てて後ずさって逃げ出そうとしたが、男に襟首を掴まれて引き戻されてしまった。


「いいから早く。人に見られるとまずい」


 おそるおそるマンホールの中を覗き込むと、意外にも中は清潔である。悪臭もしない。銀色に光る内壁に梯子が立てかけられていて、下へと通じている。

 仕方なく梯子を降りていくと、そこは広い地下道になっていた。巨大なパイプの内部のような通路である。清潔な銀色をした壁と床を、等間隔に並ぶ照明がぎらぎらと照らしている。


「驚いただろう」


 男が降りてきた。


「ここはマンホールに見せかけたエアポートへの入り口だ。入り口は他にもある。そこらじゅうにある。電話ボックスやらタバコ屋の地下やら、うまいこと隠されているんだ」


「エアポート?」


「そうだ」


 男は頷いた。


「惑星間航行船の発着所。エアポートは通称だ。話すより一目見たほうが早いさ」


 そのとき一人の男が通路の向こう側から歩いてきた。やけに上等なスーツを着た外国人である。


「ヘイ高橋、久しぶりだな。そちらは愛人二十八号かい。いひひひひひひひひ」


 男は自分のジョークでげらげら笑い、笑いすぎて屈んだ拍子に首がぽろりと落ちた。

 男の首の断面からミミズのような生物が顔を出し、うねうねと蠢いた。


「おっといけない」


 首のない体が首を拾い上げてくっつけたが、それは明らかに正面から三十度ほど傾いており、右目が体の正中線上にあった。首は不安定にぐらぐらと揺れていた。


「やあスミス。いつも言ってるが、君はもう少しアース・ジョークの練習をするべきだ。今のはまったくおもしろくなかった」


「今のはいけると思ったんだがなあ。努力するよ、じゃあまたな」


 スミスは三十度回転した首のまま歩み去った。

 眼前の光景をどう解釈するべきか迷っているうちに喧騒が近づいてきた。どうやら出口である。通路の向こうに白く切り取られた出口がぼんやりと浮かび上がっている。


「さあ、ここがエアポートだ」


 高橋に続いて足を踏み入れると、想像を絶する光景が僕の前に広がった。

 大小様々な、生物か無生物かもわからぬようなものたちがひしめき合っている。目の前を黄緑色のガスの塊が通り過ぎていったかと思えば、紫色の蟻の行列が行く手を遮って行進していく。


 目を擦ってみたが景色が少しぼやけるだけである。頬をつねれば痛い。どうやら夢を見ているわけでもなさそうだった。


 人間を見つけて近づこうとしたら目玉が五個あったので、僕は危うく悲鳴をあげるところであった。その人間モドキは水槽を載せた台車をゴロゴロと押していて、その水槽の中では鰓のある人間のようなものが二匹組んず解れつ、どう見ても交尾にしか見えない行為の真っ最中である。


「あれはロンフィッツ星人だ。普段海の中で生活していて、陸に上がると息ができない。そのくせ地球に旅行に来たがるから困ったものだ。おまけに四六時中交尾するし」


 男が困ったような口調で解説する。

 やはりあれは交尾であったのだ。僕がぼんやりと眺めている間にもロンフィッツ星人は水槽内を縦横無尽に動き回り、その行為があまりにも激しすぎたせいか、とうとう水槽が割れて水が流れ出した。


「おっとそれは水じゃないぞ。ロンフィッツ星の海の化学組成はほぼ硫酸だからな。触らないよう気をつけることだ」


 僕は慌てて飛びのいた。硫酸はじわじわと広がっていき、ちょうど横を通りかかった巨大ナメクジと接触した。


「ぽげえええ」


 硫酸に触れたナメクジは悲鳴を上げながら蛍光グリーンの粘液を噴き出してのたうちまわり、僕の後ろにいた女性がそれを顔一面に浴びた。

 顔の七割が醜悪な緑に染まってテカテカと輝き、女性はOH猛烈と叫んでトイレへ駆け込んでいった。やけに走るのが速いと思ったら、足が三本生えていた。


「お客様。お客様。ここでの排泄は禁じられております」


 叫びながら係員が飛んできた。ナメクジを保安室へ引っ張っていこうとしたが、体表がずるずる滑るので掴むことさえできないようだった。僕が眺めていると、係員は仕方なく応援を呼び、数人がかりでナメクジをドラム缶のように転がしていった。


「この野郎」


 額に汗を浮かべながら、粘液まみれになった係員の一人がどさくさに紛れてナメクジを蹴飛ばした。


「ぽげえ」


 ナメクジは再び粘液を吐き出した。

 今度の粘液は水槽から転がり落ちたロンフィッツ星人に降りかかった。驚いたことに一向に気付く様子がない。苦しげに口をぱくぱくさせながら、なおも交尾を続けているのである。


「おい、こいつどうする」


 ナメクジを運んでから戻ってきた係員たちは、ロンフィッツ星人を遠巻きに指さして嫌そうな顔をするばかり。係員だって硫酸に触りたくはないから当然である。


「も、わし、知らんもんね。けけ、けけけけけ」


「ま、ええか。誰かがどうにかするだろ」


 係員たちは一人また一人と足早に去っていった。後には絡み合って腰を振り続けるロンフィッツ星人だけが残った。


「すごいだろう」


 呆然としている僕の肩を男が叩いた。


「まったく夢でも見てるみたいだ」


「兄さん、この天地の間にはあんたが夢にも思わないことがいくつもあるんだぜ。無論、普通の人間なら一生知らないままで終わるだろうがね」


 男はニヤリと笑い、僕の後ろを指し示した。僕は振り返る。


「ところでこちらが依頼主だ」


 僕の眼の前で風呂桶二杯分はありそうな金色のゼリーがぶるぶると震えていた。ゼリーのあちこちからは触手らしきものが伸びていて、絶えずぐねぐねと動いている。一本の触手の先にはぎょろりとした大きめの目玉があり、その目玉が僕をじいっと見つめていた。


「どうも」


 僕は挨拶して、それから卒倒した。

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