それでも桃子は小説家になりたい

JUNK.O

第1話 桃子、ちょっと思い立つ

 ブルーライト混じりの光が彼女の顔を白く染める。

はて、どうしたものか。

まっさらな画面の15インチサイズノートPC。なにも思い付かない。


 テキストエディタを立ち上げたのが、お昼ごはんのすぐ後。

気付けばそろそろおやつどき。読んでない、書いてない。文章力もそりゃ落ちる。


 若者の活字離れが叫ばれる昨今。

活版印刷なんてものもありましたね、くらい文字から遠ざかって幾星霜。


 さて人生のハイライト。

中学時代の文集に、小説家になりたいなんて書いたっけ。

あの頃は若く自信に満ち溢れておりました。

何を根拠に大それた夢を?

お恥ずかしながら創作活動を少々。

恥ずかしや、ああ恥ずかしや。

実態はアニメのキャラのその後を描く、

小説と呼ぶもおこがましい何らかの何かでした。


 文体も文法も表現も乏しく、何らかの何かと呼ぶしかない。

ただし一定の評価は得られましたとも。

仲間内で。俗にいう駄サイクルというやつです。

気付けば20代も半分すぎて、目下の年輪だけが深くなる。


 ダメだネタ切れ。心の中で呟いた。

浮かんですらおりませんがね!心の中でツッコんだ。

書いては消してを繰り返し、コンピューターをふたつおり。

今日はこのくらいで勘弁しておいてやる!

今日は?今日も?いや、今日は。

だって「小説家になろう!」って思ったのがお昼すぎ。


 腹ばい、肘たて、首だけ上向き。

のそりのそりと起き上がり、メイクもそこそこ靴を履く。

ものぐさだ。何から何までやる気にならず。

もしや私は喪女ですか。


 姿見に映るは頭の先から爪先まで、なんとも合理的なファッション。

パーカー、よし!ジーンズ、よし!スニーカー、よし!

メッセンジャーバッグ、よし!ピアス、よし!髪飾り、なし!顔、平凡!


 外出する様な理由があったかしらん。

「外に出て刺激を受けろ」と、そんなことを言われた気がする。

インプットがなんかその、されるらしい。ポケットに手を突っ込んで歩く。

頭の中は悩みでいっぱい。長くなるからここでは割愛。


 べつになんてことない平々凡々とした住宅地を歩いて、

同じような民家が並んでるのを横目に考える。


 私、大橋桃子!実家を離れてなお仕送りで生活中の27歳無職!

遠隔操作型のスネかじり!特技は諦めること!


 内心クスっと笑いながら、見慣れた街を歩く。

27年生きてきて、自虐ばかり得意になったな。

27歳って多感な年頃なんだからね!

2回目の思春期真っ盛り。具体的には内心グチャグチャ。

心の中に獣を飼っている。

例えるなら、そうだな。

トリプルヘッドジョーズ。

首が三つある鮫?


 カナル型のイヤホンから流れる聴き心地の良い音色が、耳垢の奥の鼓膜を揺らす。

なんかのアニソンだったっけ。ま、どうでもいいか。

明るくも前向きとは言い難い詞がよく似合う。私はそういう人間だ。


 そんなことを考えているうちに駅前。

カフェに立ち入り喫煙室。まず一服。

次いで冷たいコーヒーひとくち。

ここでスマホを覗き込む。

ホーム画面にアプリがギッシリ。

整理するのもめんどくさい。

未読メールの通知が6件。

どうせ広告、通知を消去。


 さあ仕事をはじめよう。

桃子選手、テキストエディタを開いた!

おっと、ロックしてタバコに火をつけました。

書き出しに詰まっている!コーヒーを一口。

水分補給は大事ですからね。さあスマホを開いた!

ここは決めたい場面です。最初に目に飛び込む情報で観客が逃げます。

重い!プレッシャーが重い!……閉じた!

桃子選手、ここでまたギブアップ!


 逃げた。結果的に逃げた。

戦略的撤退だ。見果てぬ夢を追うよりも堅実に生きよう。

タバコに火をつける。主流煙を肺いっぱいに吸い込んでケムを吐く。

「外出すればインプットになる」

そう思っていた時期が私にもありました。


 聡明な読者の諸君なら気付けることだが、彼女は気付いていない。

桃子は頭の中の世界から出ていないのだ。外に出て、出たつもりでいる。

だけど、お脳の中は自分の世界に引きこもっている。

「何かを吸収しないと」という漠然とした使命感に追われているだけ。

彼女の瞳は映し出される景色の中から反射的な情報のみを取り入れ、

彼女の耳はオーディオテクニカ製カナル型イヤホンに塞がれている。

インもアウトもされていないのだ。

そうやって彼女は心の中の奇形鮫に餌を与え続ける。


 外は日も暮れ始めた頃。

季節はほんのりと温かみを帯びてきて、

街ではくしゃみの音が春の訪れを告げる。

さくらの咲く頃にはまた寒くなるでしょう。

そんな陽気からも桃子は目を背け、彼女の見ているものといえば、内面世界とSNS。


投稿日、3月18日。投稿者、タオツー。

書き出し思い浮かばず。

タオツーに知恵を。


返信1件。投稿者、縮れ毛。

本を読め。


返信1件。投稿者、タオツー。

仰る通りで。


 アイスコーヒーが黒から琥珀色に変わる頃、

氷の解けきったそれを飲み干すと桃子はブックオフへと向かう。

目的!インプット!曲目!シャッフル再生!

アース・ウインド・アンド・ファイアの宇宙のファンタジーが1曲終わる頃。

桃子・イン・ブックオフ。

漫画の売り場に立ち寄りたい気持ちをぐっと堪えて、文庫小説を買おうとしよう。


投稿日、3月18日。投稿者、タオツー。

オススメ小説教えてたも。


返信1件。投稿者、バッタモン@とら委託中。

タオは安部公房とか好きになれるかも?

最近のラノベならマシュさんが詳しい。


返信1件。投稿者、タオツー。

了解。マシュにも聞く。


 ああ、桃子よ。だからお前は桃子なのだ。

インプットしようとする前にSNS。

だが桃子よ。まだ読む意志があるだけマシだ。


 結局、安部公房を1冊買って帰る。

夕刻過ぎの3月半ばは、やや冷える。

桃子や、体調に気を付けるのだよ。

ほら、くしゃみが出た。典型的な花粉症。


 帰り道なぞ、特別描写するようなこともなく。

音楽を聴きながら反射的に車を避けて、頭の中には斜め向きのやる気を抱えて。

郵便受けを開けばガスと電気の領収書。入口で読んで回収されず。


 玄関をあけまして。まず回る換気扇の下で一服。

ゴミを避けながら部屋に入ると、ベッドと言う名の聖域に横たわる。

読書だ。本を読む。今日は安部公房を読んで何かを得たい。


 桃子は読書にふけった。砂の女を読んだ。

いいぞ、桃子。いまお前の中には安部公房の文章技術が入ってきているはずだ。

さあ、桃子よ。インプットほやほやの頭で何を書く?


「”砂の女 書評”……あーなるほどね」


 明日はいい日になるといいね、桃子。

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