第12話
第十二話
テスト返却日の終礼を終え、日直の号令で着席したマリエはそのままばたりと机に突っ伏した。
「はぁぁぁぁ…………」
魂が抜けるようなため息が口からこぼれる。
いつもの勝気な彼女からは想像もつかない落ち込みに、周りのクラスメイトたちは心配半分、驚き半分といった様子だ。
ここ数日似たような調子のマリエをこれ以上見ていれず、サキは帰りの準備もそこそこにバッグをつかみ。てマリエの元へと向かった。
「マリエちゃん、大丈夫?」
少しかがんで顔を覗き込むと、サキに気付いたマリエはハッと体を起こした。
ごまかすように笑って見せるが、その笑顔もいつもより頼りない。
「テスト終わってからだよねぇ……点数、悪かった?」
「そ、そんなことありませんわ!
テストも気分も好調でしてよ!」
「それならいいけどぉ……」
胸を張るマリエにひとまず引き下がったが、サキの心配は余計膨らむばかりだ。
マリエがカラ元気でサキを安心させようとしていることは、付き合いの短い彼女でも十分にわかる。
「もし何かあるんだったら、なんでも言ってね」
その程度の言葉しか掛けられないことが少しもどかしい。
だが大丈夫と言うのなら無理に聞き出すのも失礼だろうと、サキはただ微笑んで引き下がったのだった。
一方、マリエはサキの優しい言葉と柔らかい笑顔に「いっそ打ち明けてしまおうか」と誘惑されていた。
本音を言うなら、打ち明けてしまいたい。
タイガに想いを寄せるあまりストーキングをしていたら、実はタイガはリュウに想いを寄せているのだと――
(そんなこと言えるわけがありましてぇぇ?!)
無理に決まっている、とマリエは心の中で叫んだ。
ただの恋愛話ならまだいい。
好きな人が他の人を好きになってしまった。
その程度なら、多少恥ずかしくはあれ、こんなに悩む前にサキに一言相談することもできた。
だがマリエの場合、好意が過ぎてストーキングが常習化している。
それだけでも十分パンチが効いているのに、更にタイガが好きになってしまった“他の人”と言うのが――
(なぜよりによってあの金城土リュウなんですのぉぉぉ?!)
「ま、マリエちゃん?!
頭抱えてどうしたの?!」
心配そうに見守るサキの瞳がマリエの良心に突き刺さる。
こんな純粋で優しい人に、あんな話ができるわけがない。
「な、何でもありませんでしてよ!
その、少し、ね、寝不足で、頭痛が!」
隠し事をするのは悪い気もするが、悩みのせいでここ数日寝不足気味なのは確かだ。
友人の心の平和を守るため、マリエは良心が痛むのを我慢する。
「じゃあ、今日はすぐ帰って寝なよ?」
「そ、そうしたいのは山々なのですが……。
今日は戦略部の用事がありまして……」
来週末の心落村合宿に向けて、終礼が終わったら放送室に集合することになっているのだ。
こんな状態で好きな人の好きな人であるリュウに会わなければならないなんて、とんだ災難だ。
リュウに対する恨み言がいくつも思い浮かぶが、サキがいる手前、マリエはグッとこらえてなんでもない顔をする。
「合宿の準備や下調べをするそうです」
「心落村まで現地調査しにいく奴だよね!
私も行きたかったなぁ」
「何か気になることがあれば見てきますわよ」
「本当?!
じゃあ、美味しいものがあったら教えてほしいです!」
「わかりましたわ。
日持ちがするならお土産も買ってきますわよ」
「やったぁ!
ありがとう、マリエちゃん」
どういたしまして、とマリエが言いながら席を立ったその時、不意にマリエの鞄からメールの着信音が響いた。
サキとの他愛もない会話を続けながら、マリエは鞄から端末を取り出して着信を確認する。
(メールなんて珍しいですわね)
マリエが校内端末の宛先を教えている相手は数えるほどしかいない。
時哉とサキ、担任と副担任、そして――
『From:金城土リュウ
お嬢、悪い!
テストほとんど赤点だったから今から補習!
今日の集まりはなしで!』
急いで打ったのだろう、簡潔な文章が画面に映し出される。
「……用事が無くなりましたわ」
「え、そうなのぉ?」
「金城土リュウから、赤点で今から補習ですって」
マリエが端末をふってからかうように言うと、サキも納得半分、呆れ半分と言った様子で眉を下げた。
「まぁ、あれは仕方ないかもねぇ」
「一週間前にあれでは、ね?」
そう言って二人が思い返すのは、テスト一週間前になって初めて対策を始めた哀れな男子高校生の勉強風景である。
場所はある程度うるさくしても邪魔にならないカフェ部が定番で、指導役は一番余裕のあるタツノリにまわってくることが多かったのだが……
「蛙の身体構造について。
背中側に左右一つずつある赤い臓器の名前は?」
「背中……赤……わかった、背筋!」
「背筋が臓器だって発想はどこから来るのかな……」
正解は腎臓である。
「ロシア革命の指導者は?」
「ゴルバチョフ!」
「レーニン。
では彼の後任は?」
「ゴルバチョフ!」
「スターリン。
……韓国の有名な調味料は?」
「コチュジャン!」
「じゃあソ連の正式名称は?」
「ゴルバチョフ!」
「ソビエト社会主義共和国連邦。
ではその最後の指導者は?」
「ゴル……じゃない気がする……」
「これがゴルバチョフね」
リュウの隣に座っていたタイガはコチュジャンの辺りで吹き出し、その後しばらくは小刻みに震えて勉強が手につかない様子だった。
「次、演習その三。
点Pは辺BC上を秒速二センチメートルで動き……」
「あーもう!
ややこしいから動くな!
撃つぞ、手を挙げる!」
「……と言われて僕が挙げた腕が通る領域の面積を求めなさい」
「チッ……じゃあタツノリの腕の長さは秒速二センチメートルで縮むので」
「約一分で腕がなくなり、これ以上勉強は教えられなくなります。
さて、帰ろうかな」
「あぁぁぁ!
うそうそうそ、見捨てないで!」
終始このような調子で勉強は進まず、最終的にはカフェの片隅で開かれる漫才大会のようになってしまったのだから、赤点になるのも当然の事である。
「ホント、呆れたものですわ」
「栄先輩はあれに付き合ったのにまた一位でしょ?」
「足して二で割ればちょうどいいかもしれませんわね」
「でも、おかげで今日はゆっくりできるじゃん」
「えぇ、ゆっくり休みますわ」
カフェ部に向かうサキと下駄箱で別れ、マリエは思い切って大きく伸びをする。
上履きを履き替えながら、マリエは別れ際のサキの言葉を思い出していた。
「合宿頑張ってね!
美味しいお土産まってるから」
なんだかんだと悩ましいことが多いが、それはそれ。
今集中すべきは合宿である。
(美味しいお土産、見つけますわよ!)
そのためにも今日は全てを忘れてゆっくり休もうと、マリエは家路につくのだった。
***************************
天才コーンは非常に不機嫌だった。
(なんでワイが学校なんか……)
久々の制服がどうにもしっくり来ず、居心地の悪さから余計に機嫌が悪くなる。
不登校で出席日数の足りない彼が補習に呼ばれるのは、言ってみれば当然の事であり、それは本人もわかっているのだが、だからといって喜んで登校できるわけではない。
(大体、今までは補習なんて受けんでも単位もらえてたやん)
ふん、と苛立たし気に鼻を鳴らしながら、コーンは校舎の階段を上がっていく。
対応の変化は、理事長が交代したことが原因である。
以前は理事長がコーンの親戚だったため、不登校にして単位を取得するという無理が通っていた。
だがその親戚も数年前に引退してしまい、今は別の理事長がこの学園のトップである。
(ノリオのおっちゃんが引退してから、風当たりが強いのなんの……)
やってられへんわ、と溜息を吐き、階段を上がり終えたコーンは左右に伸びた廊下を右に行く。
廊下の一番奥の教室が補習場所として指定されている教室なのだが――
「おい、押すなよ!」
「どいてよ、見えないじゃん!」
「補習に関係ない生徒は帰りなさーい」
――なぜかその教室には廊下に溢れかえるほどの生徒が詰めかけていた。
(……なにごとや?)
教師の注意も聞かずに騒ぐ生徒たちの後ろから、コーンは長い首を伸ばして教室の中をのぞいた。
背が高いとこういう時に便利である。
「握手してください!」
「サインほしいのに…ペンがない…」
「やばい、超かわいい~!」
押し掛けた生徒たちが思い思いの事を口走る中心で、その人物は晴れやかな笑顔を振りまいていた。
「みんなありがとう!
アンナちゃん、とぉ~ってもうれしぃよ!」
そのまま両手の人差し指を頬に当てて「にっこりんごぉ」と小首をかしげるのは、元生徒会会計の蛇神アンナである。
二年A組の情報通で、現生徒会書記のコウタに絶賛片思い中。
会計の仕事を一年生の乾アツシに引き継いだ後も、何かと理由を作っては生徒会室に出没している。
そんな彼女がなぜこうして生徒たちに囲まれているのかというと、話は半年ほど前に遡る。
アンナはいわゆる「子供タレント」であった。
彼女を溺愛する母親によって小学校入学前からタレント活動を続けていたアンナだったが、半年前の年明けの頃、大きなチャンスが舞い込んだ。
とあるアイドルグループに欠員がと言うことで一時的な助っ人としてライブに参加したのだ。
それがあるプロデューサーの目に留まり、一気にレギュラーメンバーに昇格。
電撃出世としてバラエティで取り上げられた後はあれよあれよと言う間にお茶の間の人気を獲得し、今では芸能に疎いコーンでさえ顔を知っているほどの有名人である。
(蛇神アンナってうちの生徒やったんかぁ……)
「みんな来てくれて、アンナ、とぉ~っても嬉しい!
でもぉ、補習の邪魔したらアンナちゃん怒っちゃうよぉ?」
ぷんぷん、とアンナが両手を頭にあてて頬を膨らますと、教師の注意は聞き入れなかった生徒たちも慌てて教室を去って行く。
コーンは生徒たちが一通り立ち去るまでしばらく待ってから、人がまばらになった教室に入った。
教室に残った補習参加生はアンナとコーン以外には数名で、そのうちの一人、ツンツン頭の小柄な男子生徒がアンナの前の席に座って彼女に話しかけていた。
「お前、超有名人じゃん!」
「そうだよ、アンナちゃんアイドルだから!」
「すっげぇ……やっぱ忙しくて勉強大変だろ?」
「そうなんだよねぇ……補習は頑張って予定空けたの。
アンナちゃんえらいでしょ?」
「うん、すげぇ偉いと思う!」
補習の席はどうやら自由席のようで、コーンは少し迷ってから、アンナに話しかける男子生徒の隣に座ることにした。
折角だからアンナに声を掛けてみたい反面、すぐ隣に座るのはなんだか格好が悪い。
リュックを椅子の背中にかけ、コーンは二人の会話に加わる。
「ワイも入れてくれや」
「おう、お前も補習?」
「そ、出席日数足りへんねん」
「アンナちゃんと一緒だね!」
「あ、じゃあもしかしてお前もアイドル?」
「せやねん、もう毎日引っ張りだこで……ってんなわけあるか~い!」
ネオがにゃははと笑うと、ツンツン頭の男子生徒が「そうだ」と口を開いた。
「名前言ってなかったよな。
オレ、金城土リュウ」
「アンナちゃんは、蛇神アンナっていぃます!」
それは誰でも知ってるやろ、とツッコミを入れてからコーンは胸を張って名乗った。
「ワイは巳紋ネオ。
特技はプログラミングやから、パソコンとかで困った事あったら何でも相談してえぇで」
コーン、もといネオはそう言いながら、こういうのも悪くないなと思い直していた。
こうして楽しいことがあるなら、たまに補習があるのも悪くはないかもしれない、と。
***************************
常新学園の補習には教師は参加しない。
では誰が補習生を指導するのか。
それは補習を受けている彼らと同じ、生徒である。
生徒の手による補習は数十年前から続く常新学園の伝統であり、数年前までは補習の度に教師役を募集していたのだが、いつも同じようなメンバーが集まるのは、少し考えれば想像できることである。
そんな彼らが集まり出来上がったのが、全国的に見ても常新学園にしか存在しないであろう、学習支援部なのである。
「以上で世界史の補習を終わります。
続いて数学の補習が始まりますので、次の担当者が来るまで休憩していてください」
学習支援部の生徒がそう言い残して教室を去ると、リュウは魂の抜けたような顔で机に突っ伏した。
「はぁ……あと何個あるんだ……」
「ホンマ、勘弁してくれぇ……」
リュウの隣に座ったネオも、リュウと同じ消し炭のような顔で愚痴をこぼす。
たまには補習があるのも悪くないと思ったのは、既に全力で撤回されている。
リュウが窓の外に目を向けると、夏の長い日もそろそろ暮れ始めている頃だった。
夕焼け空が目に染みる。
放心状態の彼の脳内で、先ほどまでの世界史の補習内容がぐるぐるとめぐる。
「……ゴルバチョフが一匹……ゴルバチョフが二匹……」
「ちょっといい、ですか?」
控えめな声と共にリュウの視界が陰る。
いつの間にか薄く閉じかけていた目を開くと、見知らぬ男子生徒がリュウを覗き込んでいた。
「なんだ?」
体を起こしたリュウは男子生徒を観察する。
気弱そうな目に、色素の薄い髪。
肌も透き通るように白く、細い体格と相まって弱々しい印象の人物である。
「さっきから少し体調が悪くて……しばらく席を外すから、次の担当の人に伝えておいてくれますか?」
言われてみれば、顔が白を通り越して青っぽいかもしれない。
わかった、と頷いてから、リュウは少し心配になって眉を寄せて男子生徒を見上げた。
「一人で大丈夫か?」
「うん、ありがとう、金城土くん」
少しだけ微笑んでフラフラと教室を去って行く彼を見送ってから、リュウはふと目を見開いた。
(……名前、言ったっけ?)
言ってないはずだから、知り合いかもしれない。
心当たりを思い出そうと数秒首をひねってから、リュウは「ハッ」と顔を上げる。
(…………オレってもしかして有名人?)
リュウの頬がニヤニヤとだらしなく垂れる。
と、教室の扉がガラリと開いた。
「数学の補習を行います。
参加者は席に着いてください」
(げ……あいつは……!)
教壇の上から教室を見下ろすのは、生徒会書記のコウタである。
リュウにとっては、活動報告会で二度にわたって口論になった、非常にいけ好かない相手である。
「……参加者が一人足りないようですが、何か事情を聴いている人はいますか?」
ざっと教室を見渡したコウタが言うのを聞いて、リュウは慌てて手を挙げる。
「何ですか、金城土リュウ」
「白くて細い奴が体調不良で席外すって言ってた」
白くて細い、という表現にコウタは目を細めた。
リュウも自分で言ってから、個人を特定するには情報が足りないと思った。
だが名前を聞いていないのだから仕方がない。
「……わかりました」
それだけ言って補習を開始したコウタに、リュウは唇を尖らせる。
(ありがとうくらい言えねぇのかよ)
そしてリュウの不満げな目線を無視して黒板に向かったコウタは、他の生徒に見えないようにもう一度目を細めるのだった。
(逃げるのか、風早エル……)
しばらく席を外すと言った細身の生徒は結局戻らず、そのまま補習は終了した。
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