第11話

第十一話 

飛澤タイガは間が悪い



七月に入ってすぐ始まった一週間余りの試験を終え、校内カフェは互いを労う生徒たちでにぎわっていた。

そしてタイガも、リュウ、マリエ、タツノリ、アスナと共に打ち上げをするためにカフェを訪れていた。


「あぁぁ……死ぬかと思ったぁぁ……」


席に着くなり、リュウは魂の抜けるような声を上げて机に突っ伏す。

試験の一週間前までその存在を忘れていた彼は、学年成績一位のタツノリと二位のアスナの指導を受けながらなんとかこの試験を乗り切ったのだ。

ちなみにマリエは寝そうになる彼を叩き起こす役を、タイガは駄菓子と励ましの言葉を提供する役をそれぞれ担当した。


「こちらこそ、あなたのお陰でとんだ手間でしたわ!」

「今度から気をつけなよ?」

「そうよ。私も流石にどうしようかと思ったわ」

「いやぁ、ほんとごめん。ありがとな」


注文したスイーツの盛り合わせ(リュウの奢り)を待ちながら、話題はテストの出来や夏の予定へと移っていく。

そんな四人を眺めながら、タイガは一人静かにもの思いにふけっていた。

正確には、四人ではなくリュウを眺めながら。


およそ一カ月前、戦略部の新設を祝おうとアスナやマリエと放送室を訪れたあの日。

約束の時間になっても中々現れないアスナとマリエを放送室前の廊下で待っている時、彼は信じられない会話を聞いてしまった。


『まさかあの天才経営者アンドリュー・カーネギーが戦略手法を知らなかったなんて思うと、おかしくって』


からかうようなタツノリの声は、日頃の放送の成果だろうか、放送室の扉をすり抜けタイガの元まで届いてしまった。

そして聞きなれない名前に、タイガは少し興味を持ってしまった。


『しょうがないだろ。

死んだ後に発表された戦略手法なんざ、オレが知るわけねっつの』

『それは、まあ、わかってるんだけど』


すませた耳が理解しがたい会話を拾う。

アンドリュー・カーネギーという名前には聞き覚えがなかったが、家に帰って調べてみればすぐにわかった。

世界二位の大富豪。鉄鋼王。天才実業家。

他にも様々な称賛とともに語られる彼の人生は、今から百年ほど前、一九一九年に幕を閉じている。

だがあの日聞いたリュウとタツノリの会話は、どう考えてもリュウがカーネギー氏であることを前提としたものだった。


(金城土だけならまだしも、栄があんな冗談を言うわけがない……)


タツノリと仲良くなったのは高校に入ってからだが、どういう人物かくらいは中学の頃から把握しているつもりだ。

学年一位を常に維持する頭脳と、それに対する周囲の羨望や反感を一切気に掛けない、むしろ寄せ付けることさえしない淡白な人柄。

そんな彼から、間違っても生まれ変わりだなんて冗談が飛び出るわけがない。


『大体さ、よくそんな話信じるよな。

生まれ変わりだのなんだの』

『生まれてこの方、日本はおろか本州すら出たことがない幼なじみが英語ペラペラだったら、そう考えるのが妥当だってだけさ』


栄タツノリが妥当と言うなら、結論はおのずと一つに絞られる。


(金城土は本当にあのアンドリュー・カーネギーの……)

「お~い、飛澤?」

「タイガってば」


自分を呼ぶ声に我に返ったタイガの目の前には、彼を覗き込むリュウとアスナの顔が迫っていた。


「どうしたんだ?

難しい顔して」

「タイガも早くケーキ選んで」


どうやら頼んでいた品が到着したようだ。

そうだな、と適当にごまかしてタイガは盛り付けられた甘味の中から一番クリームの少なそうなものを選ぶ。


「では私はこちらをいただきますわ」

「ああ!

それはオレが狙ってたフルーツタルト!!」

「な……こ、これはあなたのテストを手伝ったお礼なのですから私が優先されて当然ではなくって?!」

「ぐ……こ、後輩ならそう言わずに先輩に譲れよ!」

「そう言うことはもう少し先輩らしいことをしてから言ってくださいまし!」


相変わらず言い合いを繰り広げる二人を尻目にケーキを突きながら、タイガは再びリュウの正体に想いを馳せる。

あれから一カ月、何か機会があれば彼を観察するようにしているが、特にこれと言った決め手はない。

強いて言うなら、英語のテストだけは勉強をしなくてもほぼ全問正解だと言うことだろうか(テスト返却前にもかかわらず正答率がわかるのはタツノリに聞いたからである)。

英語ができるという事実は、カーネギー氏が英語を用いていたこと、さらには一カ月前の放送室でタツノリが言っていたこととも合致するが、決定的とまでは言えない。


そこでタイガは今日、一大決心をした。


「お嬢、よく聞け!

オレはパーを出すからな!」

「ふん!

そんな言葉には惑わされませんでしてよ、私はチョキを出しますけど」

「じゃあオレはグーだ!」

「……なんでもいいから早くじゃんけんしなよ」


リュウとマリエがくだらない言い合いを繰り広げてもアスナが焦って止めることはない。

今はテスト後、時間はいくらでもある。

そしてその時間を使ってタイガは今日、意を決してリュウの身辺調査をする予定なのである。


***************************


カフェ部を後にしたリュウは不機嫌そうに帰り道を歩いていた。


「ちぇ、チョキだすって言ったじゃん、お嬢のやつ」


じゃんけん対決で宣言通りグーを出し、宣言に反してパーを出したマリエに負けたリュウは、フルーツタルトが彼女の口に運ばれていくのを恨めし気に見つめながらプリン・ア・ラ・モードを平らげたのだった。


「あぁ……オレのフルーツタルトぉ」


往生際が悪いにもほどがあるリュウがそう嘆く数メートル後ろを、タイガは電柱に隠れながらこっそりと追跡していた。

時折気づかれそうな場面にも出くわしたが、今のところばれている様子はない。

これと言った尻尾をつかめていないのが歯がゆいが、今日こそは何か決定的な証拠を見つけたい。


もちろん、こんなことはせずに本人に聞けばすぐに解決することはわかり切っている。

だが万万が一にもあのやり取りが何かの冗談だった場合、リュウの事だ「なんだ~飛澤、生まれ変わりなんて信じてるのかよ~メルヘン過ぎるよ~メルヘンタイガくんだよ~プクク~」と想像しただけでも腹立たしい反応をするに決まっている。

さらに悪いことにその話は明日には学校中に言いふらされ、最悪の場合、以前の放送ジャックのように全校放送でからかわれるかもしれない。

タツノリがいる限りそこまで大事になる可能性は低いが、逆に言うと彼というストッパーがなければそれくらいの行動は平気でする人物だ。


(……考えるだけでも恐ろしい)


頬を伝う冷や汗に背中を震わせながら、タイガはリュウの歩みに合わせて次の電信柱に身を隠す。

そしてそんな彼の動きに合わせて、タイガが隠れた電柱から数メートル後方の塀に姿を隠す影があった。


(タ、タイガ様……なぜ金城土リュウなんかを……?!)


日課のストーキングに勤しもうとタイガの跡をつけていたマリエは、憧れの王子様が友人Aの尾行をしているという衝撃的な場面に出くわしてしまったのだ。


(あ、あり得ませんわ……まさかタイガ様が……あぁ!!

マリエ、これ以上はとても……とても口には出せませんわ……!!)


“尾行する=好意”と認識されているマリエの脳内では受け入れがたい三角関係が組み立てられていく。

泣きそうになるのを何とか堪え、マリエは首をぶんぶんと振って祈るような目でタイガを見る。


(そ、それでも…それでもマリエはタイガ様をお慕い申し上げていますわ……!!)


そしてその彼女のさらに後方に違法駐車されたバイクの影で、マリエのモンスターペアレントであり演劇部衣装リーダーでもある鷲条ツグハが戸惑いの目でマリエの様子を覗っているのだ。


(ま、マリエちゃん……?!

いつの間に男の尻を追いかけるような子になってしまったの……?!)


ツグハは何も最初から彼女の跡をつけようと思っていたわけではない。

ただ、先日の戦略部との話し合いで怒ったまま別れてしまったことを謝り、ついでにあの金城土リュウと言う人間とは縁を切るよう進言しようとしたら、こんな場面に出くわしてしまったのである。


(マリエちゃんの人生を狂わせたその男はどこのどいつかしら……?)


変な虫が付かないようツグハなりに気を付けていたはずだが、どうやら甘かったようだ。

こうなれば実力行使あるのみ……とツグハは怪しげな笑みで先を行くタイガを見つめる。


そしてその後ろで、ツグハに話があって校門から彼女を追いかけてきた演劇部部長・柳瀬ショウマは悟ったような笑顔で一連のストーキング連鎖を眺めていた。


(…………話はまた今度にしよう)


君子危うきに近寄らず。

ショウマはツグハに背を向け、今見たものは忘れよう、と笑みを崩さずに学園へと戻っていった。


そして彼とすれ違うようにして、小さな人影が道を走っていく。


「あそこの角でビリだったやつ荷物持ちだかんな!」

「えぇ~~」

「そんなの聞いてない!」


重たげなランドセルをガチャガチャと鳴らしながら駆けていくのは、下校途中の小学生たちだ。

バイクに隠れたツグハを追い越し、塀の後ろのマリエを過ぎ去り、電信柱の影のタイガの横をすり抜けていく。

そして――


「いった……!

おいチビども!

人に当たるような走り方するなよ」


その中でも一番活発に駆けていた一人が、前を行くリュウの背中に激突した


「うっせぇジジイ!」

「はぁ?!

ジジイじゃねぇし!」


謝りもせずに暴言を吐く小学生に、リュウは目を吊り上げて言い返す。

だが逆効果だったようだ。


「ぎゃー!

ジジイがキレたー!」

「殺されるー」

「ジジイ!」

「「ジジイ!」」

「「「ジジイ! ジジイ!」」」

「うるせぇ!

お前らもいつかはジジイになるんだから黙ってろ!」


それを見てタイガは考えを巡らせる。


(ジジイと言う言葉にかなり反応するな。

確かカーネギー氏はかなり高齢まで生きていたが……

まだ決定打とは言えないな)


そんなタイガを見てマリエは首を振りながら流れそうな涙をこらえる。


(タイガ様……マリエはたとえタイガ様がジジイでもお慕い申し上げますわ……)


そしてツグハは嫉妬の炎を燃やす。


(こんなくだらない場面でさえ見入るほどにその方が好きなの?!

そして誰なの?!)


そしてその十メートルほど先で、小学生たちは更に調子に乗ってリュウをはやし立てていた。


「「「ハーゲ!! ハーゲ!!」」」

「禿げてねぇ!

今のオレはふっさふさだ!」

「…………………え?」

「今のオレはって言った?」

「兄ちゃん、昔ハゲだったの?」

「リアルハゲ?」

「こ……言葉の綾だ!

オレは今も昔もふっさふさだわ!!」

「「「ホントに~?」」」

(確かカーネギー氏は額がかなり広かったが……)

(タイガ様……マリエはたとえタイガ様がつるっぱげでも……)

(マリエちゃん、誰なの?! その男は誰なの?!)

「「「チービ! チービ!」」」

「うるせぇ!

四捨五入したら一六〇あるわ!」

(だからそれをチビと言うんだろ、金城土)


ほんの十メートルほどの距離の間で終わらない連鎖が繰り広げられる。

小学生はリュウを煽り、それにキレるリュウをタイガが観察し、マリエが邪推を、ツグハは恨みを膨らませる。


夏の路上で永遠に続くかと思われたその連鎖を断ち切ったのは――


「ワンワン! ワワワン!」

「待ちなさ~い!!」


――リードをはためかせながらリュウに飛びついた大型犬だった。


「うわ! なんだこいつ!」


大きな舌でべろべろと顔を舐めるその犬に、リュウは抵抗できずになされるがままである。


「ごめんなさい!!

うちの子がいきなり……!」

「いや、オレ、犬好きなんでいいですけど……」

「でっけぇ犬!」

「「ふかふか!」」

「うわ、ちょ、乗るな! 重い! てか舐めすぎ!」


子どもと大型犬の重さに悲鳴を上げるリュウを前におろおろしながら、飼い主は気まずそうにリュウに問いかけた。


「あの……つかぬことをお聞きしますが、プリンか何か召し上がりました……?」

「え? あ、そう言えば、食ったかも!」

「やっぱり……うちの子、バニラの匂いがすごく好きで、こうやって時々暴れ出しちゃって」

「あぁ、なるほど」


お前変な犬だな、とリュウが大型犬の頭を撫でていると、その犬は嬉しそうに鳴いた。

そうしているうちにも、騒ぎを聞きつけた住民たちや帰り途中の常新学園の生徒たちが一人また一人と集まってくる。


マリエは日頃の勘でそれをいち早く察知し、野次馬に紛れて塀の後ろからそそくさと姿を消した。

気づかれないことがストーキングの鉄則。

何より今日は、あまりにショッキングな出来事にこれ以上尾行を続ける気力が残っていない。


(タイガ様……どんなあなた様でもマリエは……)


マリエの脱落を確認したツグハも野次馬に乗じてバイクの影から姿を消す。

もちろん、マリエの視線の先にいたタイガの顔はしっかりと記憶に刻み付けて。


(どんな殿方なのか、お手並み拝見しないとね)


そして最後まで残っていたタイガは、尾行をごまかすのに苦労しながらなんとか野次馬に紛れ込むことに成功した。

野次馬をきょろきょろと見回して、知り合いの顔がないか確認する。


(ま、まさか誰かにバレてなんていないだろうな……?)


どんな事情であれ、他人に尾行を見られるのはまずい。

それも「友人が偉人の生まれ変わりか確かめるため」なんて理由なのだ。

誰かに知られるわけにはいかない。


軽く見た限り、見知った顔や彼を怪しむ人物はいなかった。

思わずため息が零れて、肩から力が抜ける。


(……慣れないことはするもんじゃないな)


結局何もわからなかったな、と苦笑交じりにその場を後にしたタイガは気づいていなかった。

今まさしく、彼の求めていた“決定打”が露わになっていることに。


飼い主がリードを引っ張ると、大型犬は素直にリュウの上から立ち上がった。


「この度はすみませんでした……」

「いや、全然、気にしないでください!」

「ありがとうございます。

さ、行くよアンドリュー」

「!!!」


条件反射で変化したリュウの表情は、彼をあまり知らない人物なら見逃していたかもしれない。

だがもしタイガが見ていたなら、その表情の意味に気づいたであろう。


(……いまだに反応しちまうよな、アンドリューって言われると)


何年前のクセだよ、と自分で自分にツッコミを入れて、リュウは鞄を担いで帰路に着くのだった。

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