第4話
ナイフ?
カクタは、右手を振りあげる。
握りしめた銀色の刃が反射して輝く。
思考、停止。半歩後ろに下がる。
ナイフが、振り下ろされる。
ズザザッ。
「……は?」
布が切れる音がした。右肩から腹にかけて、ブレザーが裂けている。切れたワイシャツに血が滲む。
「……う、ああああああああああ!」
事態を理解した。足が、ようやく動き出す。
走る、走る。走る走る走る走る……
昔から走るのだけは得意だった。特に運動していないのに体育祭のリレー選手に選ばれたり、遅刻ギリギリの時間帯でも足さえ動けばいつだって間に合わせられた。たとえナイフを持ったカクタに追いかけられても、俺なら逃げ切れると思った。
ビリビリという何かを破るような音がした。
閃光のようなものが俺の真横を通りすぎる。
俺の目の前にカクタが急に出現する。
嘘だろ。
自分の足が、止まらない。
「うがっ!」
思いっきり衝突し、反動で後ろに倒れる。
着地に失敗し、ケツを廊下に打った。いってえ……
コツン、コツン。
カクタが近づいてくる。あんなに勢いよくぶつかったのにカクタは倒れない。痩せこけた体なのにどうして……
「今度は、仕留める」
カクタが俺に声をかける。背筋が凍る。地面に尻をつけたまま、俺は吠える。
「お前、頭おかしいだろ!? いきなりナイフなんて取り出しやがって!」
「……仕留める。仕留める。仕留める仕留める仕留め」
俺の声には、耳を傾けず、カクタは口を動かす。こいつ、ヤバい。いや、分かってはいたけどこんな度を超えてヤベーやつが、どうしてこれまで普通に生活してこれたんだよ?
カクタが、俺に向かって再びナイフを振りおろす。ナイフよりも、ナイフを振り回すことに躊躇のないカクタが怖かった。人を殺すことに慣れた動き。必死で、転がって、俺は避ける。まばたきもせずに、カクタはナイフを振り下ろし続ける。
「あぶねえよ! あぶねえ!」
「このっ、君はしぶといな!」
カクタが大きくナイフを振り上げる。
そこで生まれる、わずか一秒間の余白――
本能が、体を動かした。
ナイフを奪うしかない。
飛び上がり、俺はカクタの腕をつかんだ。カクタがぎょっとして、一瞬ナイフから手を放す。窮鼠猫を噛む。宙に浮いたナイフを、俺が掴む。
取り返そうとしたカクタが乱暴に体当たりしてきた。廊下の壁に俺が背中からぶつかる。
腹に何か違和感を感じた。
嫌な予感がして、自分の腹部に目線をやる。
自分でつかんだナイフで、自分を刺してしまっている。
俺はナイフを抜いた。
大量の血がドクドクと腹から漏れる。
「……うっうわああああああああああああ」
カクタが、よろよろと近づいてくる。俺の腹を見て、目を見開く。
「……マズい。ナイフの所有権が」
また、わけわかんねえこと言ってやがる。ていうか、ヤバい。死ぬ。絶対死ぬ。え、血がヤバい。
こういうとき、どうすりゃいいんだ? 保健室? 救急車? いや分からない。え、何? どうしたらいいのこれ? えっ?
訳も分からず、俺は走った。とりあえず、保健室。第一校舎の保健室だ俺。走るのは得意だろ。間に合うだろ。生きるしかねえだろ俺!
「待て!」
この状況でも追ってくるカクタ。逃げる。全速力で階段を駆け下りる。
ナイフを持ったまんま、まわりなんて気にするまもなく、最短距離で。
一階に降りた、その瞬間。
「あっ」
物陰から急に現れた誰かをよけることなんてできなかった。ぶつかる。倒れこむ。俺が持ってるナイフがぶつかった相手に刺さる。顔を見る。新井だった。新井がうめき声をあげる。でも、えっ? 頭が、動かない。新井にナイフが刺さっている。誰が刺した? 俺が刺したのか?
人を、刺しちまった。
視界に入る映像が白黒に見える。音は聞こえない。後悔と焦りと、腹の熱さで、脳がいっぱいになる。ナイフが人の肉の内側に入る嫌な感触が、やけに手に残っていた。
こんなのあり得ない。俺は新井を刺したくなんてなかった。
瞬間、手に握るナイフが熱くなる。
「面白いことになったね」
「楽しいことになったね」
二人の女の子の声が聞こえた気がする。
新井の真後ろに、前髪で目が隠した双子の女の子が見えた。
何だ、この感覚。
頭が重くなり、目の前が暗くなる。そして――
気づけば、教室の中に立っていた。
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