第3話
×××
「偶然」教室の窓から花瓶が落ちてきて、全身血だらけになったヤツがいる。
「偶然」自分の妹が不登校になり、虚空に向かって話し続ける存在になったやつがいる。
「偶然」「偶然」……ほかにも聞いたことがあるこの学校の不幸な事件。
しかし、そこに「カクタのお願いを拒否した」という事実だけが共通していれば話は違うだろう。
「なんで、お前が掃除やってんだよ」
放課後。
箒で教室の床を掃いていたら、新井が話しかけてきた。
「オガミ、時間がもったいないと思わないのか?」
「別に思いませんよ?」
「きっと後で後悔するぞ? 高校時代は二回も三回もできない貴重な時間なんだ。時間は戻らないんだぞ?」
床に溜まったほこりをちりとりにかき集めながら、俺は舌打ちした。新井は知らないのだ。この学校で、カクタの命令に逆らうことがどれだけ恐ろしいことなのか。
「いいんですよ。それじゃ、ゴミ捨てに行ってきます!」
ゴミ箱から溜まったゴミを袋ごと取り出し、袋の先端を縛る。そのまま両手にゴミ袋を持って教室を出た。
ブラスバンドの合奏、野球部の掛け声。放課後の音がそこかしこから聞こえてくる。第一校舎と第二校舎をつなぐ外の通路を歩きながら、俺はカクタマヒルという男の異常性について考える。
入学した時からおかしかった。
主席合格という時点で目を引いたが、しかし、それ以上に驚いたのはカクタの合格点数だ。カクタマヒルは入学試験からついこの間に行われた中間テストまで、全ての科目で「100点」以外の点数を取っていない。カクタマヒルという男は、テストと名の付くものであれば必ず「満点」を取る。今では慣れてしまったが「カクタマヒル」という名前の横に「500点」という五科目の合計得点が並んでいるのを初めて見たときの驚きったら、Twitterにその画像をアップしてやろうかと思うくらいだった。
しかし、それぐらいならまだいい。
同じクラスになった今年は、カクタの気持ち悪さをより思い知った。
今年の夏頃にあった話だ。カクタが明らかに授業に集中せずに、机の下でスマホをいじっていたことがあった。
数学の先生が注意のつもりで「今、お前スマホをいじっていただろ」と軽く指摘すると、カクタは無感情に「いじっていません」と返答。そっけない態度に先生はキレてしまい「お前、話を聞かないなら私の代わりに授業をやってみろ」と、カクタに促した。
普通の学生ならここで謝罪して終わるはずだ。
しかしカクタは立ち上がり、そのままスタスタと教壇まで歩いていった。
そうして先生の真横でチョークを持って一言。
「それでは、前回の授業が56ページの途中で終わっていたと思うので、本日はその続きから授業を始めたいと思います」
それまでの先生が行ってきた授業を、一字一句間違えずに完全コピーで披露してみせた。いや、板書に関しては字がきれいなカクタの方がむしろ見やすいくらいだったと記憶している。しかし、図の描き方から板書の構成、さらには先生が途中に挟んだクソつまらない冗談まで、メモ1つしていなかった男が全く同じにやってのける様子は気味が悪かった。
問題は次の日だ。
数学の先生が、事故で入院。
衝撃的だった。工事現場の鉄骨が、そりゃあ不幸なくらいの高さから落ちて先生に直撃したなんて、あまりにも出来過ぎた話だが事実なんだから仕方がない。
一年の頃からカクタと同じクラスだった奴らはこう言っていた。
『カクタを怒らせたからだ』、と。
カクタのことを昔から知っている人間からすれば、これは頻繁に発生することらしい。
なんでもカクタの中学には、カクタを怒らせて自殺してしまった生徒すらいるらしい。『カクタに話しかけてはいけない』という暗黙の了解は一年次から生徒間に共有されていた話らしく、『あの長い前髪の下に隠れた目で、睨まれたら終わりだ』、と影で噂されていた。
しかし、そんなカクタと絶対に関わらざるを得ないことがある。
それが「カクタからのお願い」。
毎週、クラスの誰かしらが犠牲になる。決まった時間や法則なんてない。完全ランダムな指名制。これに逆らえば、何かしら不幸なことに襲われる。
そして、それが今回、俺の番だったというわけだ。
「……でもまぁ割と楽な仕事で良かったな」
ゴミ捨てを終えた。こうして俺はお役目御免。緊張が解けたせいであくびが漏れる。腕を思いっきり上に伸ばし、解放感を味わう。何事もなくてよかった。
第一校舎に戻り、階段を上がる。第一校舎。階段を上がってすぐの踊り場に足を踏み入れると、上の方から聞き覚えのある声がした。
「お疲れ様」
階段を上がったところに、カクタが立っている。
「……ちゃんと、やったぞ。掃除当番」
俺はカクタの機嫌を損ねないように気をつけて、傍を通りすぎる。怖い。なんでコイツ学校にいるんだよ。俺が掃除を代わる意味あったのか。
カクタがおかしなことをしたらすぐにでも逃げる準備はできていた。大丈夫だ。落ち着け俺。こぶしを握りしめ、自然な振る舞いをしてるように意識を集中させる。
数秒間、周囲から発生する音が全くないように感じた。窓に当たる風の音とか、遠くから聞こえる女子バレー部のアタック練習の掛け声の方がよく聞こえたくらいだ。
そして、
「……単刀直入に聞くね。君、『分岐点』なんだろ」
耳元のすぐそばで急に声がして、鳥肌が立つ。カクタの声だ。
「……いま、なんて?」
答えにラグを生じさせてしまった。
振り返り、カクタの顔を見る。俺たちの距離は50cm。カクタは無表情を維持している。
「……言ってる意味が分からないんだけど?」
「『分岐点』かどうかの確認だよ」
「……『分岐点』って何だよ? 意味が分からない」
カクタは小さくうなずくだけで特に言葉の訂正をしなかった。
空っぽの数秒間が過ぎ去り、会話が再開する。話が嚙み合わない。
「この『繰り返しの世界』を作り出したのは君なんだろってことだよ」
「カクタ、何を言ってんだよ」
「何を言ってるの、はこっちが言いたいよ。分からないわけがない。双子がそう言ってたんだ……僕の残り時間は短いんだ、これが間違っていたら僕は」
様子が、おかしい。
カクタが早口で言葉を発し続ける。話す速度がどんどん上がる。声がだんだんと小さくなっていくので途中からカクタが何を言ってるかはうまく聞き取れなかった。しかし、顔の表情でなんとなく、これが普通ではないということが分かる。気味が悪い。カクタは直立不動でずっと繰り返し何かを僕に要求する。無表情で、それを何度も繰り返す。
不安になってきた。
「ごめんな! もう、疲れたわ! 話はまたにしてくれないかな」
俺がカクタに背中を向けようとし、教室に入ろうとしたその時だった。
「……そっか」
俺の言葉を聞いて、カクタはうつむいた。カクタが何かを言いはじめたことで、俺は立ち止まる。
「――また、間違えたんだ」
カクタの言葉は、自分に言い聞かせるようだった。言葉は明らかに、人に話すための用途で用いられてはいなかった。
「もう、僕には時間がないのに」
淡々とした声。真剣な表情で、まばたき一つなく。
「僕には時間がないのに」
同じセリフ。
焦っているようには見えなかった。けれど、落ち着いているとも言えない。
何かが変だ。
カクタはブレザーのポケットに手を突っ込み、ごそごそと何かを取り出す。
手慣れた作業のような動作に、違和感があった。
「……カク、タ?」
俺の問いかけにカクタは答えない。
音もなくポケットから取り出したそれが、さきほどまでの日常に終わりを告げる。
カクタが取り出したものはナイフだった。
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