第11話 竹 弥
十一、竹 弥
すみれと久美を街に送り出した日の後悔が胸の奥から消えずに、霧人は自責の念を強めていた。すみれが居なくては巻物の跡を追う事も容易ではなくなる。それに一景より任されて自分が守るべき大切な仲間の一人が襲われたのだ。強い怒りと復讐心が日々募っていった。
そんな霧人の痛々しい様子をみかねて、幽影は寺の仕事を手伝わせたり、話しかけたりしている。早朝の境内の掃除も今では霧人の仕事になっていた。霧人も周囲の見回りを兼ねて門の外も掃いて回るので、この頃では近所にも顔なじみになってきたようだ。
「おーい、霧人。外周りが終わったらちょっと枝払いも手伝ってくれんかな」
「わかりました。あ、高いとこは俺がやりますよ」
「すまんね。助かるよ」
そんなやりとりを少し離れた所から竹弥が見ていた。そしてその後まだ報告するような事は無さそうだと、いつもの車で市内にある店へと戻っていった。
竹弥のそのほんの少しの気の緩みから漏れ出た気に霧人が気づいた。ちょうど幽影を手伝って木に掛けたハシゴを昇り、寺の外を眺めた時、その車が走り去るのが見えた。
あれだ。あの車に乗っている。
そういえば何度か見かけたことがあるその車には、店の名前とロゴマークがあった。これで合点がいった。あの車から我々を見張っていたんだ。そのマークをしっかりと目に焼き付け、瑛太が予備校から戻るのを待った。
その日、万寿も瑛太もすみれの病室に顔を見せなかった。少し遅くなってやってきた久美によると、寺の方でも何かあったらしい。
「万寿君も霧人君も、瑛太の部屋に籠っちゃって出て来ないのよ。おかげで今日はバスだったのよ。遅くなってごめんなさいね」
「いいえ、毎日来ていただいてありがとうございます…」
何か言いたげなすみれの様子に、
「何か欲しいものがあったら何でも言ってね。遠慮なんかしなくていいのよ」
「いえ」
霧人と万寿に、あの幸昌の訪問をなんと言って切り出すか、まだ自分自身の気持ちにも整理がついていなかった。ただ、追われている側にも相当の苦労と覚悟があったらしいことは容易に想像出来た。
そんな環境の中でさえ、あの潔い素直さを持って育ってきた少年を見れば、雲之助が正しく、慈しんで育てていることが分かる。
簡単な片付けを終え、あれこれたわいもない話しを少しすると、久美は立ち上がり、
「今日は車じゃないからもう帰らないと。何かみんなに言付けがあるかしら?」
久美の優しい思いやりがとても嬉しかった。
「話したい事があるので、明日は来て欲しい、って。霧人にも。伝言、よろしくお願いします」
「わかったわ。必ず来るように言っておくわね」
「ありがとうございます」
じゃあ、と久美は病室を出て行った。
同じ頃、瑛太の部屋では三人が顔をつき合わせていた。
「多分これじゃないかな?」
「そうだ、それだ!間違いない」
パソコンの画面には日本刀と鎖がまをなんとも洒落たデザインにして、間にアルファベットのSの文字。霧人の見た車にあったロゴマークだ。
「街にある骨董屋だよ。いつ頃からあったのかなぁ?そう言えば最近、この近くで見かけたような気がする。この辺は古くからの家が多いから、骨董品も沢山あるんだろうな」
「その車にあいつらが乗っていたと、霧人は思うのか?」と、万寿。
「顔を見たわけじゃない。だが以前、一景様と追って入った庵から放たれていた気と同じだった。間違いないと思う」
「そうか。そうだな」
万寿も同意したようだ。
「で?これからどうする?」
「もちろん、探りに行く」
「うん。でも、まずは俺が行ってみてくるよ。霧人も万寿も戦国時代の殺気丸出しで、すぐにバレるだろ。すみれの敵討ち、とか言ってさ。顔も知られてるだろうし」
瑛太の提言には二人とも同意するしかなかった。
翌日、瑛太は予備校を休んで駅前でバスを降りた。ぶらぶらとウィンドウショッピングをするように街の繁華街を歩いて行く。例の骨董屋に向かっているのだ。駅前の中央通りを街の中心部に向かって歩き、大きなチェーン店の居酒屋が入るビルの角を右に折れて五分程歩いた細い小道の角にその店はあった。
外壁を白くして、蔵に似せて建てられた二階建てのビルだ。店の入り口も蔵のように、道路から二段程上がったところに、ぶ厚い観音開きの扉と、その内側にガラスの自動ドアが付いている。刀剣なども置いてあるので、防犯対策としても有効なのかもしれない。
格子窓から見える店内は洒落た和風の造りで、店内には三、四人の女性客がいる。高価そうな骨董品ばかりでなく、可愛らしい小物なども並べられており、人の興味を引くのだろう。
すでに客が何人か入っている、というのが瑛太の気持ちを楽にさせた。
「ちょっと入ってみようかな」
と独り言を呟きながら瑛太は店内に入って行った。
骨董屋とはいうものの、入ってすぐの中央に置かれたテーブルには手頃な値段の民芸品や籐製品などが並べられている。そして壁に沿ったガラスケースには古い根付けや印籠、茶碗など小さな物、また奥の方には鍵のついた戸棚があり、刀や手裏剣、小刀などの武具をはじめ、古い壺や木箱に入れられた茶碗、掛け軸、置き物などが所狭しと並んでいる。
「いらっしゃいませ」
女性客と話しをしていた店員らしい女の子が、可愛らしい笑顔を瑛太に向けた。
「どうぞゆっくりご覧ください」
「あ、はい。ありがとう」
思いもかけない可愛い女の子の店員にドキドキしながら瑛太はガラスケースを覗き込んだ。そう言えば最近は歴女ブームとかいって、こういう店は女性に人気があるんだろうな、などとぼんやり考えながら店内を見て回っていると、店の扉が開いて中年の男性が入ってきた。
「あ、社長、おかえりなさい」
「ただいま、咲ちゃん。ご苦労さま」
こいつか。こいつが本当の忍者なのか?
瑛太は自分が思った以上に緊張していることにびっくりした。チラッと見たかぎり、どこにでもいるようなくたびれた中年のおやじなのに、変な威圧感がある。この緊張を悟られないように、何気ないフリを装いながら店を出ようとした時、竹弥が声をかけてきた。
「お客様、何かご興味のある物がございましたらお出しいたしますよ」
一瞬、喉がカラカラになった。
「いえ、どうも…」
かすれてうわずった声が出た。そして逃げるように店を出てきてしまった。
「あ、ありがとうございました。またお越しください」
店の主人の声が聞こえた。
「社長、はじめてのお客様を驚かせちゃダメですよぅ。怖がってらしたじゃないですか」
「えー?俺、そんなに怖い顔してる?」
店員と店の主人のやりとりに、店内にいた他の客も笑っている。
逃げるように店を出てきてしまい、何か気取られなかったか不安だった。瑛太は脇にぐっしょり汗をかいているのに気がついた。早くその場を離れたかった。
「情けないなぁ、俺。もっとちゃんと偵察するつもりだったのに。でも、あそこに住んでるわけじゃなさそうだな」
瑛太は胸の動悸を鎮めようと一人ブツブツ言いながら駅に向かって行った。霧人、万寿とはすみれの病室で待ち合わせていたのだ。
瑛太がそこに着いた時、二人はすでにすみれのベッドの傍らの椅子に座っていた。
「おう、二人とも早かったな。すみれちゃん、具合はどう?」
「瑛太さん、ありがとう。もうすっかり治ったわ。もう平気です」
「そう、良かった。確かに顔色もいいね。でもまあ、父さんの許しが出るまではもう少しここでゆっくりしてなよ」
すみれは少し微笑んでみせた。
「で、店、見てきたよ」
瑛太は三人に切り出してみたが、霧人も万寿も瑛太の言葉が耳に入らない様子だった。
「どうしたの?なんかあった?」
しばらくの沈黙の後、すみれが口を開いた。
「実は私たちが追ってきた若様が、昨日、ここに来たんです」
「え? 若様って、五歳だったよね、確か?」
「ええ、でも実は…」
すみれは瑛太が到着する前に二人に話した事を、今度は瑛太に話し始めた。そのすみれの顔を万寿が見つめている。霧人は目をかたくつぶり、何か考えこんでいるようだった。
すみれが語り終えると、
「そういう事か」
少し間を置いて瑛太が続けた。
「で?これからどうするつもり?」
それを考えてるんじゃないかと言うように霧人は瑛太に目を向けた。
その時、すみれの病室の扉をノックする音が聞こえ、続いてドアが少し開いた。
顔を覗かせたのは幸昌だった。
「こんにちは」
小さな花束を持って入ってきた少年は、すみれの他に三人も居るのを見てびっくりし、そのままの状態で固まっている。
「いらっしゃい」
微笑んで声をかけてくれたすみれに安心したのか、幸昌は三人に向かって深々と礼をし、おずおずと部屋に入ってきた。
「あの、すみれさんのお仲間の方ですか?僕は真田幸昌といいます。えー…」
緊張で言葉が出てこないのだろう。
「あなたのことはもう皆んなに話してあります。また来てくれて良かったです」
「また来ます、って約束しましたから。でも、あの」
慎重に言葉を選ぶように幸昌は続けた。
「昨日お聞きした巻物の事なんですけど、実は、じいさんが昨日から業界の寄り合いで家に帰ってなくて、まだ聞けてないんです。今日はそれだけお伝えしたくて。本当にすみません」
坊主頭の少年が居心地悪そうに立ち尽くしている。
「そう。そのために今日も来てくれたんですね。おうちの、あの、他の方々にはお話ししたんですか?」
「いえ。誰にも話していません。父はまだ皆さんを狙っているのかもしれないし。あの時代、皆さんがいらした時代のことは僕、あんまり覚えていないんです。まだ幼かったので、本当にぼんやりとしか。でも、父や母なんかは、といっても仮の両親ですが、彼らにとっては今だにあの時代が続いているんです。帰れない懐かしさと、僕を守るという使命感で毎日生きているみたいな」
「雲之助、いえ、あなたのおじいさんも?」
すみれが口を挟んだ。
「じいさんはちょっと違うかもしれません。何かを悟って吹っ切ったような。僕から見ればの話ですけど。今回、父が仕出かした事も、じいさんが僕にきちんと話してくれたんです。だから、この事はまず、じいさんに話そうと思います」
「しっかりしてるね、きみ。中学生だよね?何かやってるの?」
それまでじっと話を聞いていた瑛太が幸昌に話しかけた。
「一応、剣道部の主将をやらせてもらってます。じいさん仕込みで、筋はいいみたいです」
今現在の事を尋ねてくれてホッとしたのか、幸昌ははにかんだ笑顔を見せた。
「やっぱりね。うん」
瑛太も笑顔を見せて、その場がすこし和んだようだった。
「じいさんも今晩には戻ると思います。だからお願いします。もう少し待っててください」
頭を下げる幸昌に霧人が口を開いた。
「お前を信じてもいいんだな?」
「はい?あの時代にいたのなら、僕が主人です」
幸昌の言葉には若者らしい決意が見て取れた。そのきっぱりとした姿を見て四人は顔を見合わせ軽く頷き合った。そしてすみれが代表するかのように、
「わかりました。明日また待っています。私たちも戦いたいわけじゃないもの」
「ありがとうございます。良かったです。皆さんにお会い出来て。じゃあ、明日また来ます」
さよならと、右手をちょっと上げかけてから、しまったという顔で今度は深々と頭を下げて部屋を出て行った。
立ち去る足音が遠くに離れていった。
「いい子じゃないか。まっすぐだな」
瑛太の感想を受けて、万寿も頷いた。ただ霧人だけは床の一点を見つめ続けている。
「おい、霧人」
万寿が霧人の肩に手をかけようとした時、突然、霧人が立ち上がりドアに向かっていった。
「何処に行くの?」
「何もしない。だけど、あいつらの居場所だけは知っておくべきだと思う」
「あの子を尾けるのか?」
万寿の問いかけには答えず、霧人は病室を出て行った。
「すみれ、俺も行ってくる。霧人だけだと心配だ。お前が刺されたことで一番悔やんで腹を立ててたのはあいつだからな」
霧人に続いて走りかけた万寿を瑛太が呼び止めた。
「おい、万寿。俺の携帯持って行けよ。そろそろ母さんも来る頃だし、母さんの携帯から連絡する。使い方、わかるな?」
瑛太の言葉に頷いてから、万寿も部屋を出て行った。
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