第12話 使命の果てに
十二、使命の果てに
「ただいま、母さん。ん?今日はサンマだね。お腹すいたよ」
幸昌はなるべく平静を装って帰宅した。
「おかえりなさい。今日は遅かったわね。すぐに晩御飯にするわ」
「ところで、じいさんはまだ?」
「今晩戻られるはずなんだけど、時間まではわからないわ」
幸昌と雪音の会話が聞こえて、奥の部屋から竹弥が出てきた。
「おう、おかえり。なんだ、もう外は真っ暗じゃないか」
と言いながらリビングのカーテンを閉めに窓に近づいた時だった。竹弥の表情が一変した。
次の瞬間、奥の部屋に駆け込んだかと思うと刀といくつかの得物を持ち出し、玄関の方に走り出て行った。
「ちょ、ちょっと、父さん!」
幸昌は口を開く間もなく、雪音に腕を掴まれて台所カウンターの下に押し込まれた。その力は予想外に強く、雪音の右手にはしっかりと小刀が握られている。
まさか、誰か病院から尾けて来てたのか、という疑問も口にすることが出来ず、外の音に耳をすませた。
それは万寿が家の場所を携帯電話で瑛太に知らせている最中の事だった。植え込みの隙間から中を伺っていた霧人めがけて手裏剣が飛んできたのだ。とっさに霧人は植木に身を隠し、手裏剣はその幹に深々と刺さった。
「ちっ!」
「待てっ、霧人!」
「もう遅い!」
万寿が止めるのも聞かず霧人は小刀を手に植木の間から庭に躍り出て行った。
「瑛太、まずいことになった。見つかったんだ」
それだけ言うと、万寿は携帯を切り自らも庭に潜り込んだ。そして身を伏せながら二人の男の戦いを見つめた。
「どうした万寿?何があった?」
突然、声を荒げて電話を置いた瑛太をすみれが問い詰めた。
「何があったの?瑛太さん」
「万寿の心配した通りになった。相手に見つかって戦ってるみたいだ。俺、行ってくる」
「待って、私も行くわ」
「え?でも…」
心配そうに傷のあたりを見つめる瑛太に、
「大丈夫よ。もう痛みもないわ。一緒に連れて行って」
顔色を変えて訴えるすみれに、瑛太も折れるしかなかった。
「わかった。じゃあ急いで着替えて」
血相を変えて二人が部屋から出ようとした時、花瓶の水を替えて久美が戻ってきた。
「え?すみれちゃん、何処に行くの?」
すみれの耳には届いていないようで、瑛太が代わりに答えた。
「母さん、ちょっとまずい事になってさ、わかるだろ?父さんにはうまく言っておいて」
それだけ言うと二人は見舞い客で混み合う正面玄関に向かい、客待ちのタクシーに乗り込んだ。
郊外とはいえ、現代の住宅地である。その中でも比較的大きな屋敷の庭から時折刃を斬り結ぶ高い音が聞こえる。人の声らしいものは全く聞こえてはこない。
竹弥と霧人は一言も声を発する事なく、睨み合ってはぶつかり、互いの出かたを探り合いながら闘い続けていた。
竹弥は久々の闘いにかなり疲れを感じ始めていた。しかし反面、遥か遠い故郷を思い起こすような懐かしい感覚にも酔っていたのだ。あの時代から来たばかりの若い者にはもう勝てないかもしれない。それで負けても悔いはない。ただ、痺れてきた腕が悔しかった。
二人の男の闘いに横やりを入れる事が、ためらわれ、万寿は全く動くことさえ出来なかった。
その時、ようやく雪音の腕を振り切って幸昌が戸口に出てきた。
「二人ともやめてよ。闘う必要なんてないじゃないか!」
「幸昌、家に入ってるんだ!」
一瞬竹弥の注意がそれた。その刹那、霧人の小刀が竹弥の刀を払い上げ宙に飛んだ。
「しまった!」
竹弥の刀は弧を描いて芝生の上に落ち、その刀の行き先を目で追っていた霧人が少し気を緩めた。万寿が叫んだ。
「霧人、まだだ!」
刀を失った竹弥は、ベルトに挿してあった最後の小刀を霧人に向け、放った。
「父さん、やめてー!」
幸昌の悲鳴にも似た叫び声と同時に何かが宙を飛び、放たれた小刀に当たって落ちた。
「あぁっ!」
その場にいた皆が声をあげ、動きが止まった。
雲之助だった。
誰もその場を動く事が出来なかった。
雲之助はゆっくりと、闘っていた二人の間に歩いて入ってきた。そして竹弥を制するように、下がれと手を上げ、それから霧人の前に膝をついた。
「すまなかった」
その一言で凍りついた皆の時間が再び動き始めた。
その時、屋敷の近くにタクシーの止まる音がして、瑛太とすみれが駆けつけて来た。
それに幸昌が気づき、
「すみれさん!病院を抜けて来たんですか?大丈夫ですか?」
心配そうな声を出した。
「大丈夫よ。でも、これは…」
すみれは今、一体どういう状況になっているのか把握出来ず、言葉を飲み込んだ。
そして雲之助がゆっくり立ち上がった。
「どうやら皆さん、お揃いのようですね。もしよろしければ屋敷の中にお入り下さらんか。わしらはここで生活しておるのでな。このままではご近所の目を引いてしまう。中で話をさせてくださらんか」
霧人が竹弥を睨むように見ているのに気づいて雲之助が、
「もう決して手出しはさせません。いいな、竹弥」
雲之助のうむを言わせぬ眼差しに、竹弥はハッと小さく返事をしてその前に膝をついた。
「ただし、あなた方が幸昌には手を出さぬと言ってくださればじゃがな」
雲之助の言葉には誰よりも闘いを経験して来た者の凄みがあり、誰も言い返す事など出来なかった。
一同は広々とした和室に通され、すみれ、瑛太、万寿、そして先ほどまで死闘を繰り広げていた霧人の四人が奥に一列に座った。四人の前には雲之助が正座しており、その後ろに竹弥と雪音が並んでいる。少し離れた所で全員を見守るように幸昌が正座している。
皆、雲之助が話を始めるのを待っていたが、雲之助はその前にと、一旦立ち上がり奥から大事そうに木箱を携えて戻ってきた。
「まずは、これをお返しいたします」
霧人らの前に差し出したのは、桐の箱に納められた三巻の巻物だった。
「あの時は追っ手から逃れ、若様を生かすために、この滝殿の秘伝書の事しか思い浮かばなかったのです。でもおかげで、今日までこのように生き延びてくることが出来ました」
雲之助はいとしい物を見るような目で木箱を見つめている。
すみれは巻物を一巻ずつ手に取り、両手で撫でるように確かめた。それらが確かに寺から盗まれた物であることは、すみれの中の血が告げていた。
「確かに、お返しいただきました。我ら滝家の物です」
巻物を追って、ここまで時を超えてきた若者三人と幸昌はホッと安堵の表情を浮かべていた。
その様子を見て、雲之助も微かに微笑んだようだった。
「私もようやく安堵いたしました。これをお返し出来たことと、皆さんとこうやって話が出来たのですから」
これまで一言も口を開くことがなかった万寿が雲之助に尋ねた。
「雲之助殿、あなた様は確か一景様よりもお若いと聞いてきたのですが」
幼子だった幸昌が経てきた年月からみて、七十を過ぎたような今の雲之助では歳が合わないと思ったのだろう。
雲之助は乾いた笑いを浮かべて答えた。
「時を渡るというのは思った以上に身にこたえるものでしてな。連れて飛ぶ私には特にそうでした。それを二度行い、私はすっかりこの様な身体になってしまった」
初めてこの平成の時代に渡ってきた時の疲労感を、三人は思い出していた。
それまで黙って聞いていた雪音が大粒の涙を流していた。今のような暮らしに至るまでの苦労が思い出されたのだろうか。
雲之助はゆっくりとこれまでの話を始めた。
それは若者たちの想像を超えた苦労と緊張の年月だった。
最後に、もし、霧人たち三人があの時代に戻るのなら、何かしら手伝うことができるかもしれないと、雲之助は伝えた。
病院に戻るタクシーの中、誰も、何も話さなかった。それぞれに思うことがあるのだろう。
勝手に外に出たすみれの傷は大事には至らず、二日後には抜糸、翌日には無事退院になった。
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