第4話 時渡り
四、時渡り
深夜、突然の地震に瑛太は飛び起き、ベッドから飛び出した。
「母さん、じいちゃん、大丈夫か?」
階下で寝ているはずの母と祖父に声をかけながら瑛太は階段を駆け下りてきた。二人はすでにリビングで倒れたり壊れたりしたものがないか確認をしていたが、あわてて大声を出しながら階段を転がり下りてくる瑛太に少し吹き出しているようだった。
「こっちは大丈夫よ。瑛太こそ階段を踏み外さないようにね」
と母が羽織ったカーディガンに手を通しながら答えた。初夏とはいえ、まだ夜は冷える。特にこの辺りは裏山から吹き下ろす風の通り道にもなっていて、夏にクーラーをつけることもあまりない。
「久美さん、ここは大丈夫そうじゃから、ちょっと寺の方を見てくるよ」
と、寝間着の上に薄手の半纏を羽織り、祖父の
瑛太のうちは地元では由緒ある寺で、檀家も多く、地域の信仰を集めていた。今のところは寺は祖父の幽影が住職を務めているが、瑛太は祖父の後を継いで坊主になるか、または父と同じ医者になって市内にある父の病院で働くかまだ決めかねている。もっとも今の瑛太は一応医学部志望の浪人生で、予備校と家を往復する毎日を送っている。そして勉強の合間には祖父の手伝い兼アルバイトと称して寺の雑用を買って出ている。幽影も孫が寺の手伝いをしてくれるのが嬉しいらしく何かにつけ寺の仕事を教え込もうとしているようだ。
戦後建て替えられた家もすでにかなり古い方に入る日本家屋だが、寺の方は江戸時代初期に建立されており、今のような地震があるたびにひやっとさせられてきた。
家の勝手口から20メートルほどの所にある寺の裏口に一歩足を踏み入れた時、幽影は中に人の気配を感じて反射的に身をかがめた。
コソ泥でも入ったのだろうか、本堂には特に金目のものなど無いはずだが…。それとも今流行りの仏像泥棒かもしれない、などと思いながら音をたてないように暗闇の中を本堂に近づいていった。
厚い障子を通して庭の外灯の灯りがほの暗く差し込んだ本堂に、三つの人影があるようだ。入り口の柱の後ろに身を隠し、目を細くして三人の様子を観察していたが、彼らは何かを盗ろうとして物色している様子もなく、二人は中腰になり、残る一人も身を低くして周りを伺っているようだった。中腰の二人は手に何かナイフのような物を持っているらしい。幽影がぎょっとしたのはそのナイフにではなく、その姿形だった。
中腰の男と思われる二人は小袖の着物に短い袴をはき、足には長足袋をはいているらしい。もう一人、床に腰を浮かせて座っていたのは女のようで、彼女もまた小袖の着物を旅支度のようにして短めに着ているようなのだ。
男のうちの一人と女は、長い髪を後ろに一つに纏めている。もう一人の男は幽影と同じような坊主頭だ。
夜中の薄明かりの中なので、着物の色まではわからなかったが、それでも地味な目立たない色には違いなかった。
「なにか時代物のイベントでもあったかな?それにしてもこんな夜中に…」
そう考えたとき、幽影には思い当たる事があって「はっ!」と声を出してしまった。
とたんに、三人はそれまで以上に身をかがめ幽影のほうに振り向いた。
「驚かないでください。私はこの寺の主です」
幽影は三人にそう声をかけてからゆっくり立ち上がって電灯のスイッチを入れた。
彼らはちょうど瑛太くらいの年頃の若者たちであったが、暗闇だった本堂が一瞬で昼のように明るくなったのにひどく驚いたようだった。その様子を見て幽影は確信した。
「あなた方はもしや我が祖先、滝一景様の御用で参られたのではないですかな?」
幽影が尋ねた。
三人は一景の名を耳にして一瞬顔を見合わせた。それから本堂の中を見回し、古く年を経てはいるが見慣れた仏像や造りに納得したようだった。
やがて細身の若者が口を開いた。
「いかにも、我らは一景様の命にて遣わされた者ですが、今、あなた様は一景様をご先祖と言われましたか?」
「そうです。私で十一代目になります。ではあなた方は四百年もの昔からおいでなさったのですね。本当に遥か昔から…」
にわかには信じられないような状況に幽影はしばらく次の言葉を探していた。
三人はじっとその様子を見つめ、一景の面影を幽影の中に見て取ろうとしているようだった。そしてようやく何を話すべきか言葉を見つけた幽影が続けた。
「実はこの寺の住職に代々受け継がれてきた手紙があるのです。滝一景様からのものです。それにはこのような事が書かれております。いづれ、いつかの世に三人の若者を送るゆえ、よろしく頼む。その時代の事を教えてやってほしい、というような内容なのですが、私も先代の住職もこの手紙の内容をどうとっていいものかわからずにいたのです。ただあまりに不思議な内容なので、今までの代々の住職たちもこれを無視したり、ましてや公にすることも出来ず、ただ次の住職に伝え継いできたようです。
でも今、皆さん方を見てようやく納得いたしました。まさか、手紙の言葉通り本当に一景様の時代からやって来られようとは思ってもいませんでしたので。いったい、どうやって…」
坊主頭の若者がここで口をはさんだ。
「一景様からの文ですか。我らにしてみれば、つい先ほどお別れしたばかりなのですが、その文は遥かな時を超えて届けられていたのですね」
三人は一景の先を読んだ深い配慮に驚きつつ、畏敬と懐かしさの入り交じった感情を抑えきれない様子だった。ただ、リーダーらしい細身の若者だけはその使命感からか、唇を噛みしめ幽影を見つめていた。
幽影が再び口を開こうとしたとき、裏口から瑛太の声がした。
「じいちゃん、大丈夫か?なんか倒れたりしてたの?なかなか戻って来ないからさ…」
そう言いながら本堂に入ってきた瑛太は祖父の前に見たこともない若者達が立っているのを見て、その場に固まってしまったようだった。
「誰だ、お前たちは?」
瑛太の声が少し上ずっているようだ。
三人は新たな登場人物に再び身構えたが、幽影が間に入って遮った。
「瑛太、大丈夫だよ。彼らは泥棒なんかじゃないから」
祖父の様子と言葉に少しは安心した瑛太だったが、三人の普通ではない様子と服装を見て、どう反応していいのかわからないようだった。
「この若いのは私の孫ですじゃ」
幽影が三人に話し、次に瑛太の方に向き、
「まあ、いずれ話すつもりだったんじゃが、この寺には先祖代々、受け継がれてきた手紙があってな」
「手紙?」
祖父の顔と、見慣れない三人を交互に見比べながら尋ねた。
「そう、手紙だよ。この寺を建てた滝一景様というお方が書いたものでね、それによると、どの時代かは特定されていなかったんだが、一景様の時代から三人の若者が時を超えてやって来るから、助けてやってくれというような内容なんだよ。それがここにいる三人というわけだ」
「時を超えてって…。つまりタイムトラベルってこと?」
「うむ、にわかには信じがたい事だが、実際この三人がここにいる。これは否定出来ないだろう?」
「じいちゃん、からかわれてない?この人たち、本当に過去から来たのかどうか確かめたの?」
あとから入ってきた若者と老人の話しを黙って聞いていた三人だったが、今置かれている立場がだんだんわかってきて、どのように口を挟んだものか、戸惑っているようだった。
「ご老人、一景様の文の話、信じてもよろしいのですね?」
ようやく心を定めたように細身の若者が口を開いた。
幽影がまだ不信感を顔に出している瑛太をよそに、三人の前に座った。
「私はあなた方の主人、滝一景様を先祖に持つ者で、この
着物姿の若者三人も幽影の前にあらたまって座っている。瑛太もそれに合わせて座り込み、まずは話しを聞くことにしたようだ。
「お察しの通り、我らは一景様の命を受けて、一景様ご自身による時渡りの術にてこちらに送られて参りました。私の名は
と、傍らの坊主頭の若者に目配せした。それを受けて、その若者はがっしりとした身体を折り曲げるように幽影に礼をすると、
「私は
そして、最後にすみれが緊張した面持ちで名前を告げた。
霧人が続いて話し始めた。
「その文には我らが送られた理由については書かれておりませんでしたか?我らの役目については?」
幽影が首を横に振り、
「いや、それについては何も書かれてはいません」
「そうですか…」
霧人は任務の内容について話して良いのかどうか迷っているようで、万寿とすみれに交互に目をやった。すると万寿が穏やかな口調で諭すように霧人に話しかけた。
「我らの役目、目的を伏せたまま、ただ幽影様に助けを求めることなど出来ようか。霧人、こちらの幽影様が今、この時の滝家の御当主様なんだよ。それに、一景様によって時を超えてはきたが、場所までは移ってはいない。つまりここは我ら一族の土地、こちらの方々は我らが身内だ。すべて包み隠さずお話しし、お力を借りなければ此度の事はやり遂げられぬよ」
万寿の話に納得し、霧人も軽く頷くと再び幽影たちに向かって話し始めた。
「我らが参りました訳をお話しいたします」
霧人が当時の滝家の役目から話し始め、寺に入った根津雲之助の一件とここに至った事情を全て話し終わる頃には瑛太もすっかり話しに引き込まれ、彼らが盗人かもしれないなどという疑いは消えていた。話をする霧人の傍らでピクリとも動かず正座をしているすみれを見ても、今の若者に出来ることではない。
「…これが我らの此度の役目でございます」
と、全てを話し終えた霧人は一度大きく息を吐き、幽影を見つめた。
その後しばらく沈黙が続き、それがずいぶん長い時間に感じられた。
霧人の話を聞き終えた幽影は天井の一点をじっと見つめて考えているようだった。そしてやっと、
「そうですか。事情はわかりました」
と言うとまた沈黙し、さらに数分が過ぎた。
「じいちゃん…」
沈黙に耐えかねた瑛太が声を出すのと同時に、万寿も幽影に向け言葉を発した。
「幽影様、我らに力をお貸し願えますでしょうか?それとも何か不都合などございますか?」
「いやいや、不都合などはあろうはずがない。私たちにできることは何でもして差し上げようと思う。ただ…」
幽影が言いよどむのを見て三人の若者は眉をひそめた。幽影は説教を聞きに寺にやってきた子供たちに話すように笑顔を作り、ゆっくりと言葉を選んで話し始めた。
「ただ、今はあなた方が来られた時代とはずいぶん変わりました。一景様がお仕えになられていた徳川家の世とは全く違うのです。この日本という国の中ではもう戦はありません。雲之助でしたか、彼らが守っているという若君のお家もとうに再興され、今ではごく普通に暮らしておられるでしょう。彼らがこの時代でしてのけようと企てていたことはもう叶えられておるのですから、彼らに今更何が出来るのでしょうか」
それまでじっと聞いていたすみれが両手を床につき、頭を低く下げたまま懇願するように口を開いた。
「幽影様がご案じなさいますように、我らには世の中がどれほど変わってしまっているのかわかりません。ですが、たとえ雲之助達が村の片隅で息を潜めるように静かに暮らしているとしても、奴らが我らより奪いし巻物は取り返さねばなりません。それが私たちの主人、一景様の命なのですから。どうかそのためにお力をお貸しください」
すみれを始め、霧人、万寿も同じように手をつき、頭を下げている。
「あれ、いやいや、皆さん、頭を上げてください」
幽影はそんなつもりもなく、過去から来た若者達を責めてしまったような自分の物言いを恥じた。そしてすかさず、今度は瑛太が口をだした。
「なんだか皆んな普通に話しているけど、これってすごいことだよ。時間を超えて来たなんて。それにご先祖様が忍者だなんて。今じゃテレビかマンガの中にしかいないよ。もっと話を聞かせてもらいたいけど、母さんも心配してるだろうし、まずは一休みしたらどう?」
たしかに三人は疲れていた。時渡りというのは身体にかなりの負荷をかけるものらしく、若い彼らにしても姿勢を保っているのがやっとの様子であった。
「瑛太の言う通りだな。母屋には瑛太の母もおりますので、茶など飲んで、まずは座敷でゆっくりと休んでください。これからどうするかはそれから考えましょう」
「かたじけなく存じます」
霧人は幽影に続いて立ち上がろうとしたが、思わず片膝をついてしまうほど疲労していた。三人の中では万寿が一番元気そうに見えたが、額には汗が滲んでいるようだった。それでもすみれを気遣い、手を貸して支えている。彼らが来た時代でも万寿は彼女をさりげなく、自然に気遣ってきたに違いないと瑛太は思っていた。
「まあ、まあ!」
母屋に戻った時の母、久美の反応は当然だったが、それでも幽影に言われたとおりお茶を出したり、おにぎりを用意したりしながら三人の様子を観察していた。だが三人はお茶を飲むのもそこそこに礼を言いながら座敷の一角に寄り添い着物のまま眠りに落ちていった。
「よほど疲れていたに違いない。それにしても心細かろうな」
幽影は呟いて座敷のふすまをそっと閉めた。
「あいつら、どうやってその雲之助とやらを探すつもりなんだろう。そのタイムトラベルが本当なら、雲之助たちがこの同じ時代にいるってわかって来たのかな?それと、自分も一緒に時渡りをした雲之助も凄いけど、その滝一景っていうご先祖様は自分は来ないで、あの三人だけをここに飛ばしたんだろう?凄いよね。本当にそんな事が出来るのかな?聞きたい事がたくさんあるよ」
「うむ、そうだな。それにこの寺には確かに寺らしからぬ仕掛けや小部屋がいくつかあって、わしも子供の頃には忍者寺のようだと思っていたものだよ。ご先祖様が忍者だったなんてなぁ」
久美は二人の話を興味深く聞いていたが、
「明日の夜にはパパも病院から一旦戻って来るはずなんですけど、どうしましょう。打ち明けて協力してもらいましょうか?」
「いやいや、まだ話さない方がいいよ。父さんって本当に学者気質だから、江戸時代の人間なんて聞いたら頭のてっぺんからつま先まで調べ尽くさないと離してくれなくなるさ。まず、タイムトラベルなんて信じないかもしれないけどね」
幽影も瑛太に同意したようだ。
「そうじゃな。あいつには瑛太の友達がしばらく泊まる事になったとでも言っておこう。そうなると、まず彼らの服やら何やら揃えてやらんとな。それに雲之助たちを探すにしても、今の世の中の事をまず教えてやる必要がある。それは瑛太、お前が教えてやってくれよ。まあ、年も近いだろうし」
「わかった。あいつらの時代って、電気も水道も車も…、何にもなかったんだよな。SFの世界だろうな、今は」
「まあ、若いんだし、覚えるのも慣れるのも早いさ。まずは簡単な歴史はわしから話すよ」
久美も少し楽しそうに手を挙げた。
「私は明日の朝、女の子の服を買ってくるわ。男の子達には瑛太のを貸してあげてね。女の子の服を選べるなんて嬉しい。可愛い娘だったわよね」
瑛太も幽影も久美のこのありえない状況を無邪気に楽しんでいる様子に思わず飲んでいた茶を吹き出しそうになった。
その夜、雲之助はある気配を感じ目を覚ました。傍らの時計は深夜三時半をさしている。久しく感じることのなかった懐かしい感覚が老いた肉体のどこかから沸き起こり、眠っていた神経を逆撫でしていくようだと思った。五十にはまだ数年あるはずの肉体だが、外見は七十をとうに超えた老人に見える。
「とうとう…、とうとうやって来たか」
それは、ずっと予想していたような恐れでも、緊張でもなく、ただただ懐かしい、恋しいような感覚であった。自分でも驚いてしまうようなこの感覚に思わずふっと笑みがこぼれている。
「さてもさても、どうしようかのう」
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