第7話
あらゆる欲求の吐き出し先を備えた悪魔の超大型モール、ナコア。ここに未与子さんのマボロシを呼び起こすエピソードはない。というか僕自身初めて来た。なにしろ商店街の敵、そんな所をデート先に選ぶとは想像されないはずだ。
「よし、ここなら素の依央さんを強化できるぞ」
狙いが当たっていることは依央さんの反応から充分わかった。
シャトルバスから降りてナコアに着いた今になっても足を踏ん張って嫌がっている。
「未与ねえさんとの思い出がない所なら学校でもよろしかろうと!」
「折角の日曜になんで学校行くの。それじゃデートっていう感じしないし、休みの学校だといつも通りにはいかないと思うよ?」
「堪忍して! ここは堪忍してつかーさい! 梵士くんだってライバルを儲けさせるのは嫌なはずなので!」
依央さんにも商店街ラブの精神が根付いているようで嬉しい。けれど、それはそれだ。
「商店街の未来より僕らふたりの未来のほうが大切だから。店はそりゃ必死で守るけど、なくなったらなくなったでどうにかして生きてくよ。でもこの先依央さん(台本アリ)がいなくなるなんて考えられない」
「嬉しいこと言われてるのにそれどころじゃなくて悔しい!」
依央さんを連れてバス停からモールへのアプローチを進む。ものすごく嫌がってジタバタして見えるのに、手を引くとすんなりついて来るから不思議だ。指示には従う特性がこんな時でも活きている。
歩くうち広大な駐車場からモール正面の広場に切り替わった。たくさんの出店が並んでいて、小ぶりなステージが用意されている。
「なんかイベントやってるみたいだよ。寄って行こうか。ふたりで素敵な思い出を作ろう」
「お祭りの台本はもらってないからこういうのは困るので! 顏を隠したいのでお面をください!」
「そういう夏祭り的な感じはしないなあ」
依央さんは混乱の極みにある。とても恋人とデート中の雰囲気にはならない。
(これは僕も不本意だなあ。どうしたらいいんだろ)
未与子さんは生活が不規則に違いないので今頃はきっと寝ている。きちんと役割を果たした彼女をわざわざ起こして相談するのは可哀想だ。
「……依央さんは台本だけじゃなくて、指示でもその通りにできるんだよね?」
「命令してもらえたらなんでもハイ!」
落ち着きのなさを興奮に切り替え、目を輝かせている。本当に自発的な行動でなければなんでもいいらしい。
「恋人に〝命令〟するっていうのはなんかいかがわしくって嫌だから、僕から〝提案〟させてもらうよ。ここは学校でこれは文化祭、そう思って過ごしたらいいんじゃないかな?」
それなら依央さんのフィールドに引き込んで考えられる。いいアイディアだと思ったのに、依央さんの表情は曇った。
「お、応用……? いえあの、もうちょっと具体的にですね……」
なんて融通が利かない役者だ。
「じゃあ――気を付け」
号令をかけると、依央さんはそれまでの「モンスターが襲いかかってきた」みたいなポーズから踵を揃えてピシッと腿の横へ手を添えた。背筋も指先もピンと伸びて美しい。
「僕と手を繋ごう」
差し出した掌にサッと重なる。瞬間、顔が真っ赤になった。
(なるほど、全体の演技プランがある台本と違って、その都度その都度の指示だと素のリアクションになるのか。……これを面白がるのはひどいかな?)
でもやっぱり面白い。
「じゃあふたりで露店を回ろう。僕がたくさん話しかけるから無難な感じで返事してね。でも『はい』とか『いいえ』だと寂しいから、そこは工夫してくれると嬉しいな」
「うん。うぅっ……がんばる」
そこで「がんばる」となってしまうのが早速寂しい。
露店を回ろうとしたところ、いきなり一店舗目で引っかかった。喫茶店で食べて来たので商品の焼きそばに胃袋を刺激されたということじゃなく、店主が顔見知りだったからだ。
「あれ、木村さん? なんでカメラ屋がヤキソバ焼いてるの? ――貴様、裏切ったなぁっ⁉ 恩敵ナコアの従業員に成り下がるとは、見下げ果てた奴!」
怒りで煮えたぎって組み付こうとしたら、現実的な熱気に阻まれた。ソース臭を放つ鉄板が邪魔だ。
「こんな出店、ぶち壊してやる!」
「おっ、落ち着いて梵士くん! アレ見て、アレ!」
騒ぐ依央さんが指差すのは仮設ステージ、その上部にある看板だ。「朝霧町商店街フェア」と書かれている。
見渡せば、どの店も知った顔ばかりだった。
「あー……商店街がいつもより寂しく見えたわけだよ。人通りは普段と同じだったけど、店員のほうが少なかったんだな」
商店街のイベントなら各店主が駆り出されて専門外の出店を担当することは珍しくない。実際小手を操ってヤキソバを焼く木村さんの手つきはこなれている。
その木村さんが苦笑いまじりに説明してくれた。
「商店街PRイベントなんだよ。ナコアさんは地元商店との共存共栄を
「なるほど、なんてありがたいんだ。……そういうことならヤキソバひとつください」
「あいよっ」
「けどそんな建前には騙されないし、もし本音だとしても商店街の敵を赦すことはできない。そうだ、ここに居座って前線基地にしよう。ナコアがこの町から消滅するその日まで」
「君の商店街愛は常軌を逸していて、だいぶ怖いよねえ」
「いやそんな、えへへ」
ヤキソバを受け取って依央さんを見ると、困ったような複雑な顔で笑っていた。
「大丈夫。お腹空いてないのはわかってるから、心配しなくてもコレは僕が食べるよ。ホラ、一旦そこに座ろう」
ステージ前にはたくさん長椅子が並んでいて、まだ何も催しが始まっていないのでガランと空いている。BGMが流れるだけのステージを向いて、「ヤキソバだな!」という以外に特に感想はない味を飲み込んでいたら、依央さんに期待満々で話しかけられた。
「えっと、梵士くんはイベント手伝わないんですか?」
頬に合わせた手を添えて「手伝いましょうよ、ねえ」と言いたげに何度も瞬きをする。ノープランでデートをするよりも、体験済みの店番なら近い台本を憶えているからだろう。
もちろんここでデートを降りるつもりはない。
「人手が欲しいならもう捕まってるよ。っていうか朝から参加させられてる。僕に報せが来てないイベントってことは多分――ホラ、あれ」
首を回して見つけた案内板を指差す。そこには「商店街のアイドルもやってくる」とイベントスケジュールが書かれていた。
「ニーナがメインになるイベントは呼ばれないんだよね。最初の時僕が応援しなかったせいでケンカしたから、気を遣われてるんだ。今はもう平気なんだけど」
看板の案内では午後1時開始となっている。あと30分もない。
(あ、やっべ。久しぶりにライブで見ちゃうのか。……でも、良い機会かもな)
ニーナが商店街の為にがんばるアイドルとしての一面とはずっと距離を置いていた。いい加減にこの後ろめたさとはオサラバしたい。
「よーし、ここはいっちょ応援してやるか。ねぇ、依央さん――依央さん?」
どういうわけか、看板を見つめる依央さんの顔つきはもう、絶望そのものだった。
「ひぃっ! どうしよう困る! 困ることになってしまう!」
「ニーナが来ると、どうして依央さんが困るんだ。あ、正しい応援をする台本がないから?」
その点なら心配はない。ニーナのファンこそ一糸乱れぬ見事な動きを見せるものの、どちらかと言えばニーナにとっては商店街の面々が繰り出すズレた手拍子やダミ声のカオスこそが馴染んだ空気だ。観客席に影響されて調子を崩すようなことはない。
でも、依央さんの不安は違うところにあった。
「だって困るじゃないですか! あんな可愛い人がアイドルの衣装を着て歌って踊ったりするんでしょう?」
ニーナもアイドルであるからには確かに「歌って踊って」はあって、なんとオリジナルソングまで持っている。今流れているBGMがそうだ。
「たちまちのうちに梵士くんの心はメロメロになることでしょう! 『昔から知ってて異性とは意識してなかったけど、ステージの上で輝く幼馴染は全然知らない魅力的な女の子で、なんだろうこの胸の高鳴りは?』みたいな感じで!」
「ハハハ……なに言ってるんだろうね……」
依央さんの不安が呼んだ妄想がチクチク刺さる。
「梵士くんも水流添さんのこと可愛いと思ってるんでしょう? いーえ、答えなくてもわかってます。あの人を可愛いと認めないなんてムリがありますもん。幼馴染でオマケにアイドルだなんて、そんな人と0.5の私が張り合えるわけないので! 捨てられてしまう!」
「いや、大丈夫だよ。だって僕ニーナのステージならもう観たことあるから」
「なら私はもう……捨てられていた……?」
「一回落ち着こうか。ヤキソバ食べる?」
ベンチの下に潜り込まんばかりに小さく屈んでしまった依央さんの背中を撫でていたら、ステージ横から知った顔が走ってきた。もちろん商店街の店主のひとりだ。
「大鍋さんとこの、ちょうどよかった!」
「なんですか? 今ちょっと痴話喧嘩からイチャイチャする流れで忙しいんですけど」
依央さんは足元で「ここから遠くに離れて梵士くんとふたりで暮らそう。大きな白い犬を飼おう」などとブツブツ呟いている。現実逃避はともかく心意気は嬉しい。犬は最近トラウマになったのでやめてほしい。
「それより、ニーナちゃんはどこか知らないか?」
ニヒルな笑顔が奥様方に人気の豆腐屋のシンイチさんが焦っている。珍しい。
「そんな風に『いつも一緒にいるから』みたいに聞かれるとマズい状況なんですけど。なにかあったんですか?」
「それがどうも、来てないみたいなんだよ! ニーナちゃんがここに!」
こっちはこっちで泣き出しそうな訴えを聞いて、看板に目をやる。商店街のアイドル登場まであと20分。
「……ヤバいじゃないですか」
時間が差し迫っているとあって観客が集まって来ている。記録用の映像で見たことがあるニーナのファン一同だ。チェックのシャツにデカいリュックで示し合わせたように統一されたいかにもといった集団が、揉めることもなく自然に前列を埋めていく。
「ああ、ヤバいんだよ……。現地集合でもう来てると思ってたら、連絡も付かなくて」
ステージがあって、客がいて、なのにアイドルがいない。これでナコアの評判が落ちるだけなら良い気味だけれど、でかでかと「朝霧町商店街フェア」と掲げてあるからどうしようもない。
「なにやってんだアイツ――」
スマホを取り出してコールすると、少しの間があって繋がった。
『んん~……なぁに、ボンジー』
こいつ、寝てやがった。
「お前なにやってんだよ! みんな待ってんだぞ!」
怒鳴ると足元から「梵士くんの連絡には出るんだ」と聞こえた。それどころじゃないのでここは無視する。
『……はぁ? なにが……あっ、営業』
受話口の向こうから血の気が引ける音が聞こえた気がした。
『どうしようボンジー、あと20分ない! 急いで行くから開始を遅らせといて!』
「そんなコトできるわけないだろ? こういうイベントは他所との絡みもなんだかんだあるから、スケジュールはズラせないんだ!」
隣でシンイチさんが「察しが良い」と感心している。なんだそののんきさは。ニーナは商店街イベントの目玉であって、それが欠けたお粗末な出し物をすればナコアにナメられるっていうのに。
「なんでこんな日に寝坊するんだよ」
悪態をつくと、受話口から刺々しい反論が聞こえた。
『昨日の夜すっごく落ち込むことがあってね、朝まで寝付けなかったから』
「お、おう……そうですか」
それを言われると弱い。
「と、とにかくだな、お前は支度して家の前で待っててくれ。すぐ車を迎えに出すから」
シンイチさんに目配せすると大きく頷いて大声で出店に向かって声をかけた。
これでとりあえずニーナは来る。問題は開始から空いてしまう時間をどうするかだ。ここから商店街の往復は車で飛ばしても30分はかかる。遅刻は確定している。
『ねえねえボンジー』
手を尽くしてこれ以上なにもできなくなったところで、受話口はまだ喋ることがあるらしい。なにやら声が嬉しそうだ。こんな時に。
『それじゃボンジー、今ナコアにいるの? ……もしかしてアタシの応援しに?』
「あ? 違う違う。依央さんとのデートだよ。ちょっと台本にない行動をしなくちゃいけなくて。あ、ついでだし応援はするぞ?」
『へぇ……副島さんとは行くんだ、ナコア。オープンした時アタシが誘ったら断ったくせに』
華やいだ声が、ちょっと聞いたことがないくらい暗く沈んだ。幼馴染の知らない一面に触れてドキドキする。ロマンチックな意味じゃなく。
怯えていたら、横からスマホを奪われた。依央さんだ。
「わ、私負けませんからね! 勝てませんけど、諦めませんから!」
要らない戦意表明。もうニーナとの話は済んだのでしたいようにさせておいて、シンイチさんと顔を突き合わせる。
「で、どうしましょう。商店街の持ち時間の中で調整できます?」
「進行がニーナちゃんありきだから難しいな……。代役を立てるとして、歌の時間がぽっかり空くのが一番苦しい。……そうだ! 最近君のお父さん落語に凝ってるって話だけど」
「まだ入院してますよ。『商店街のアイドル』って触れ込みで腰痛のおっさんが出てきたら暴動が起きます」
必要なのはここに集まっている観客を納得させるアイドル。
「そう言えば前に『商店街の王子』って企画があったような」
「忘れてください。僕が袋叩きにされて商店街の名誉を守れるならそれでいいですけど」
この短い時間でどうにか打開策を考え出さなくてはならないのに、さっきから外野がひどくうるさい。
「っていうか来ないでください! 梵士くんがメロメロになっているので!」
泣き顔でスマホ相手に喚く僕の恋人。みんな大好き副島さん――の外の人。台本があればなんだってできる、最高の指示待ち人間。
「代役、いたぁっ!」
思わず大声を出して、ビクッと震えた依央さんの肩を掴む。
「依央さんは僕のアイドルだ。そしてここにはアイドルを待ってるステージがあってファンがいる。だったら今からこのステージでやってもらおうか!」
乱暴な三段論法にキョトンとする依央さんは自分を指差し、それからステージを見て悲鳴を上げた。
「えぇっ⁉ そんな、急にムリですよ。今からじゃ未与ねえさんの台本、間に合わないですもん!」
できない、とは言わない辺りがすごい。
「大丈夫、台本ならある」
スマホを返してもらって「お前は準備してろ」とだけ告げると通話を打ち切り、データフォルダから動画を呼び出す。小さな画面の中ではニーナが歌って踊り始めた。
「これ、前にやったニーナのイベント。依央さんなら映像からでも憶えられるでしょ? それ以外の部分は僕がサポートするから」
「梵士くんこの動画……スマホに入れて持ち歩いてるんですか」
「おおっとそう来たか」
そこに食いつかれるとは思わなかった。
「だって商店街のイベントは一応把握しておきたいし? 僕パソコンとか持ってないから、これしか再生する方法ないだけだよ!」
「なんかたくさんファイルあるみたいですけど」
「んんっ……実は時々、再生してる」
ダメだ。説得に失敗した。機嫌を損ねたら要求を飲んでもらえるはずがない。
(仕方ない、ここは土下座か……。デート中にっていうのが情けないけど)
膝を地面に着けて見上げると、ところが依央さんは悲観していなかった。眼差しは熱意、というよりも闘志で燃えている。
「私がアイドルをやって、こんな風にステージでキラキラ輝いたら、梵士くんは私に夢中になってくれますか?」
真に迫った凄みに腰が引けそうになる。でも、この真剣さから逃げるわけにはいかない。依央さんはいつだって自分の都合なんて二の次で僕に尽くしてくれる人だ。そして今も、そうしようとしている。
「ああ、きっとメロメロになる。ステージでキラキラ輝く依央さんを見たい」
感じ入っているのか、緊張と戦っているのか。依央さんは瞼を閉じて小さな声で「ヤだけどやらなきゃ、水流添さんに勝てない」と呟き、何度も深呼吸を繰り返した。
やがて、目が開く。
「ならやります。私にアイドル、やらせてください」
一度決めてしまえば依央さんにためらいはなかった。
動画を最大化してよく見えるように構えると、覗き込んでブツブツ言い始めた。小刻みに手足が動いている。
「オリジナル曲……あ、コレさっきから流れてるやつ。……歌がちょっと聞き取りづらいな……」
「歌詞カードはある?」
すかさずシンイチさんに聞くと残念そうに首を振った。
「アイドル関係の資料は全部ニーナちゃん本人に預けてるから……」
ひとつつまずいても依央さんはめげない。
「なら母音だけ唇の動きで押さえておけば……あっ」
急に眉を潜めたので画面を見たら、映像は客席を写していた。それはそうだ。これはイベントの記録なのだから、会場の様子も残しておこうとする。
「ムリ! これじゃ憶えられないよぅ!」
依央さんが頭を抱えて、キレイな髪がくしゃくしゃに波打った。彼女が折れたなら、正す役目は僕が負う。
「諦めるのはまだ早い」
映像に映る観客。その中にビデオカメラを構えたファンが映っていた。
商店街のイベントはPRが目的なので録画も録音も自由になっている。ファンが撮った映像ならニーナ以外を向くはずがない。
「誰かこの中に、ニーナのステージの映像を持っていらっしゃる方はいませんか?」
前列で開演を待っている一団に呼びかけると不思議そうな顔をしてから、全員が手を挙げた。全員だ。さすがだ。
「その映像がほしい! できるだけ大きくて、今この場で見られるやつ!」
突然の要求にザワつく。「運営?」「パンピーぽい」など口々に囁かれたかと思うと、すぐに静かになった。
「ときに落ち着け、同志たち」
最前列中央の一番良い席にいたひとりが両手を上げている。オーケストラの指揮者のように、周囲を従わせて沈黙させた。似たような恰好が揃った中、ひとりだけ「Ni-Na」と書かれたハチマキを巻いているので部隊長の風格が感じられる。
というか、映像で撮影していたファンその人だ。今も片手にハンディカメラを装備していて既に録画中の赤ランプが灯っている。
「事情がどうあれ求められれば、布教するのがファンの務め」
妙に固く重々しい口調に「うわぁ」と思ったものの、ドン引きしている場合じゃない。
「映像、見せてもらえますか?」
「任されよ」
部隊長は下ろしたリュックからスルスルとやたらでかいノートパソコンを取り出した。持ち運びに向かないのではと疑問なサイズではあるけれど、今はそれがありがたい。再生された動画は大きく、画質は鮮明だった。
「あ、これデビューのときのだ」
「おお、お判りか。やるではないか」
「歌詞が画面の下に出てて音楽番組みたいになってる」
「我が加工技術をもってすれば造作もなきこと」
ピンチを救った救世主は「デュフっ」と笑った。物言いが堂々とした割に目が合わない挙動不審は、どことなくアドリブ状態の依央さんに似ている。共通点を見つけたらなんだか可愛く見えてきて危険だ。
「あのさ、本当にその子が代役できるの?」
不意打ちにシンイチさんが疑問を口にした。「あっ」と思ったときにはもう遅い。部隊長が眼鏡をクイと押し上げる。
「代役……? まさかニナたんは来ないであるか?」
ニナたんときた。クリーニング屋に行けばたまに店番をしているレア度の低い人間にそんな風に入れ上げるのは不思議ではあるものの、他人を想う気持ちについて僕がとやかくは言えない。こっちのほうがよっぽどおかしな状況になっている。
シンイチさんと顔を見合わせ、頷き合ってから答える。
「来ます! けどちょっとだけ遅れます。それでもイベントは盛り上げないといけないから……協力してもらえませんか」
この期に及んでは隠せないので都合も含めて打ち明けると、部隊長は渋い顔をした。
「しかし我々はニナたんに会いに来たのであるからして……遅刻するというのなら、少なくともそれまでの間ここにいる理由がないのである」
情報が周りに伝わって、数人が席を立った。それに釣られて何人も動く。
(これはマズい……)
代わりに依央さんがステージに立つんだから興味が湧くだろ、というのは安易で傲慢な考えだ。ここにいる依央さんのファンは僕だけ。そして彼らは土下座が通じる相手でもない。
「……〝前座〟と考えてもらって構いません。彼女はニーナの友達で、急遽代わりにステージに立つことになりました」
「そんな素人に務まるわけが」
案の定、鼻で笑われた。でもそれでいい。その侮りが、これから始まるエンターテイメントの
「ならそれを審査してください。みなさんのいつも通りの応援に、彼女がどこまで合わせられるか、勝負です」
挑発するつもりで言って、画面の前で体を動かしている依央さんを振り返る。さっきからずっと足踏みや衣擦れの音が聞こえていた。
「――よし、入った」
爪先で地面を蹴った足を上げ、ポーズを決めた依央さんが長く息を吐く。
心の中にほんの少しだけ、ニーナの寝坊に感謝している自分がいることに気が付いた。
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