第6話

 依央さんが選んでくれた服は、ジーパンにTシャツと開襟シャツというものだった。僕のタンスから出てくる物なので奇抜にはなりようがないけれど、普通でほっとした。

(シャツとズボンだけじゃ、やっぱりオシャレじゃないんだなあ……。ちょっと暑いけど、これが恋人の希望なら……うん、ガマンしよう)

 脱衣所で着込んで納得し、依央さんが待つ部屋に戻る。

 ドアを開けて中に入ると、依央さんは想像以上に待っていた。

 軽く汗を流しただけの時間で、ただでさえなにもない部屋が片付いていた。バラバラだった雑誌が隅に並んで、投げ出していた通学鞄が机の上にある。

 というかそういう部分はこの際どうだっていい。

 問題は、シーツがピンと伸ばされた布団の上に依央さんが三つ指ついて正座していることだ。枕元に待機するボックスティッシュはベストポジション。

「……ど、どういうこと?」

「これは〝据え膳〟です」

 依央さんが体を起こすと、手に四角い小さなビニール包みを持っていた。保健体育に登場する例のアレ。

「こんなこともあろうかと、ワタクシ一番自信のある下着を装備してまいりましたので! ここはひとつドンとよしなに!」

 このテンパり具合は間違いなくアドリブだ。つまり未与子さんの台本にない展開。

「依央さんアンタもなかなか自分を追い込むねェ! 進んで飛び込んどいて『こんなこともあろうかと』じゃないんだよォ!」

「梵士くんが体目当てであることは承知しておりますので!」

「ワーオ! 人聞きが悪い! あ、でも外の人扱いだから否定できない」

「だからなんとかしてその部分でリードせねばと! 私指示さえあればなんでもできるので、でも、もしよかったらリードしてほしいかもです……」

「ああ――もう! 昨日がアレで今日がコレなら、明日が来るのがもう怖い!」

 こんなことが続いたら精神が持たない。

 問答無用で避妊具を奪い取ってゴミ箱へフルパワーで叩き込む。「あっ」と切ない声を出して見送った依央さんは不意に首を傾げ、僕を見た。

「……『昨日がアレ』とは?」

 我に返る。

「おっと、これは失言だった」

 依央さんの揺れる瞳は秘密の告白を求めている。

 今後もニーナとの付き合いは続いていくので、打ち明けるかは迷う。昨夜ここで起きたことを知って依央さんが嫌がったとしてもニーナを遠ざけることは難しい。僕自身も嫌だ。話せば必ずこじれる。

(だからって隠し事はしたくない。……ありのままを話そう)

 覚悟を決め、依央さんの正面に膝を向き合わせて座った。

「実は昨日依央さんたちが帰ったあとで、この布団の上でニーナに押し倒されまして」

 依央さんが薄いほほ笑みを浮かべ胸を押さえて後ろに倒れた。

「待って待って、最後まで聞いてよ」

「心の臓を貫くこの衝撃! いかばかりかと推し量りいただきたい! 水流添さんとは友情を結びたいのに、どういう心情で交友しながら今後張り合ってよいものか! 助けて未与ねえさん! 台本求む!」

 先を越されたと勘違いしても、諦めるつもりは微塵もないらしい。とことんめげない不屈の精神に感心してしまう。

 それはそれとして誤解は解かなければ。

「断った。してない」

 言うなり、依央さんの上半身がグッと起き上がって元に戻る。ちょっとホラーだ。

「それは……どの段階で?」

「押し倒されて、それだけ。なんにもしてない。ニーナも100%その気だったわけじゃなかったから、未遂から進まなかったんだ。言ったでしょ? 僕とニーナはそういうんじゃないって。ニーナはムリヤリ好き同士になって僕を助けようとしたんだと思う。でもまあ、やっぱりダメだった」

 確かにあの出来事は幼馴染の域を超えていたけれど、それは未与子さんにからかわれるのと変わらない、0.5ぶんの接触。そういう風に理解してもらえないだろうか。

 深く長く息が抜け、依央さんの体から力が抜ける。

「とりあえず上書きは必要ないんですね……」

「もしかして僕、また押し倒されるところだったんですかね」

 そのときは断るのかどうか、ちょっと判断がつかない。


 大変なひと悶着があったものの、どうにか落ち着いて家を出ることができた。

 商店街はとても静かだ。日曜だというのにどの店も営業していてこれなのでとても辛い。依央さんが一緒にいるプレッシャーのせいか、いつにも増して閑散として感じられた。

 賑やかな話し声が聞こえたかと思うと、中学生らしい一団が自転車で駅の方へ素通りして行く。まあ、そんなもんだ。

「……依央さん、今日は商店街巡りにしない?」

 巡りと言っても歩けば5分とかからない小規模で、ほとんどは若者のデートには用がない店ばかりだ。貢献したい一心で世迷言を口にしてしまった。

「えぇっと……あっ! 最初は商店街のお店に入るよ?」

「それはいい! すぐに行こう。金を落とそう」

 デートの台本は依央さんだけが読んでいるので今日の予定を僕は知らない。

 依央さんに合わせて歩いてすぐに到着したのは、昨日も来た喫茶店。なんとなく予想はしていたけれど、未与子さんとの動きをトレースすることになるらしい。なにしろその為のリハーサルだったのだから。

 店に入ると昨日と同じくマスターが迎えてくれる。チラッと依央さんを見るなり訳知り顔でほほ笑んだ。

「その子がもう片方の0.5だね」

「えっ、知って……えっ?」

 依央さんは早速動揺しているけれど、僕は落ち着いていられる。

「連絡網だよ。ニーナ発信で商店街全部に伝わってる。もうどこへ行ってもみんな依央さんのこと知ってるよ」

 見たか、これが朝霧町商店街の団結力なのだとばかりに胸を張ってはいるけれど、内心はビクビクしている。

 木村さんに発見されていたので隠しようがなかったものの、情報を回せなんてニーナには頼んでいない。周りから見れば両天秤にかけているような状況で、更には一方が〝片木一族〟だから次の寄り合いでは酷い目に遭う気がする。

 不安になるのは夜でいい。今はマスターの理解不足が気になる。

「この人は今1.0だよ。……ちょっと崩れてるけど」

 指摘すると、依央さんは身なりを整える素振りをしてから行儀よくお辞儀をした。

「副島依央です。梵士くんとかなりギリギリのお付き合いをさせていただいています。今後はこの商店街によく来ることになると思うので、よろしくお願いします」

「ああ、ヨロシク。うちは紅茶も出せるから、コーヒーが苦手なら気にせずに頼んでね」

「ハイ。実は苦いのはちょっと……」

 依央さんとマスターさんがほほ笑みをかわす。

(こうしてみると、依央さんってかなりの〝お嬢さん〟だよな……)

 今時の女子高生、という枠組みで語るには品が良過ぎる。名家の未与子さんよりよっぽど育ちが良さそうだ。もちろん台本あってのことではあるけれど、逆にチンピラを演じさせたら似合うかというと、ちょっと想像がつかない。やるんだろうけれど。

 店の奥へと進む。座るのはやっぱり昨日未与子さんと向かい合った席だった。

 さあ、未与子さんはどんな話題を依央さんに与えたのか。それを試したい気持ちはある。

(でも……それは不純だな。うん、折角なんだし今は恋人の時間を楽しもう!)

 ネタばらしを喰らう前に戻ったつもりで正面を見れば依央さんの笑顔。まるで天使のようだ。この天国を疑いたくない。

 メニューを取ってテーブルに広げる。

「起きたばっかりだからお腹空いててさ。依央さんはどう?」

「うん。私も朝ごはん抜いて来たから食べたいな。今日することは全部梵士くんと一緒がいいと思って」

 カワイイことを言う。自慢しようとマスターを振り向いたら苦笑いされた。

「ここはナポリタンとサンドウィッチが外せないんだよ。あ、でも依央さんはハンバーグだよね? ちゃんとあるよ」

 メニューを指で撫でていたら、「えっ」と聞こえて顔を上げた。

「なんで、ハンバーグって、わかったの?」

 依央さんは心底不思議そうにしている。

「なんでって……弁当売ったあとで自分で食べるのを選ぶ時、いっつもハンバーグだったじゃないか。好きなんでしょ? ハンバーグ。依央さんが食べるかもと思って特別丁寧に作ってたし」

 売り切れる前にひとつ確保して完売扱いにしたこともあった。商売人としては間違っているけれど、手伝ってくれる恩返しとしてはとてもささやかなことだ。

「梵士くん……私、嬉しい」

 考えてみれば、それは台本ナシの依央さんの内面に関わることだった。彼女の好みを見抜いた。そういうことになる。つまり、僕にとってはルール違反だ。

「……今の、なかったことにしてもらっていい? 依央さんはパフェとか注文するといいよ。女の子は甘いもの好きだろうという偏見に基づいた、依央さん個人のことについてなにひとつ知ろうとする気がないオススメだよ」

「マスター、私にハンバーグを持って来てください! 梵士くんが私の為に選んでくれたハンバーグとパフェを私は食べます! あとハーブティーを食後に!」

「ああっ⁉ くそぅ、商店街に金が落ちるのを止められるものかよ! 止められるものかよ! 喜んでオゴらせてもらいますとも!」

「えっ、代金は別々でいいよ?」

「いいんだってば。依央さんのおかげで儲かったんだから。宣伝効果と、女子生徒向け低カロリー商品の開発で特別ボーナスだって出すよ」

 今日はお礼のデートだと言ったはずなのに、依央さんは恐縮している。

「でも、新商品を考えたのは梵士くんなのに……」

「依央さんに言われなければ作らなかったよ。おからコロッケ、メチャクチャおいしいよね」

「梵士くんはどうしても揚げてしまうんだね……」

「揚げるかどうかはともかく熱は通したいね。温度は高いほうがいいよね。そうなると、揚がってしまうよね」

「『絶対に揚げる』っていう強い意志を感じるね。ふふっ」

 笑い合っているうちにサンドウィッチが到着して、依央さんが早速ひとつ摘まみ上げた。

 そんなにお腹が空いていたのかと思ったら、どうやらそうじゃないらしかった。依央さんはサンドイッチをこっちへ向けて、にんまり笑っている。

(ああ、そうか……まいったな)

 さすがにちょっと恥ずかしいけれど、まさか拒否するわけにもいかないので素直に口を開けた。彼女にとって重要な乙女のイベントの為だ。


 交際スタートからして弁当販売絡みで、忙殺とまではいかないまでも業務連絡的な話ばかりだったところから依央さんのネタばらしでてんやわんやしていた僕たちには普通の会話が決定的に欠けている。

 なので話題は自然と身の周りになった。

「ああ、商店街の人たちはみんな顔見知りだね。僕がどうっていうより、みんなが僕のことを知ってる感じ。だって『おかず屋の長男の子』とか呼ばれるんだよ?」

「基準がふたつ上の代なんだね」

「そう。そのくらい昔から家のことを知られてるんだ」

 途切れることなくどちらかが喋り続ける。互いのカップが飲み物が空になったとき、自然と呼吸が合って席を立った。

「あの、それならおじいさんとおばあさんは?」

 丁寧な物言いに「昔話かよ」と心の中でツッコんで笑う。

「ジジババはもう隠居して、仲良く全国各地を放浪してるよ。ずっと働き詰めだった反動かな? そうじゃなきゃ僕もひとりでがんばらなくて済んだんだけどさ。母さんのほうは自営業に嫁ぐのを反対してたらしいから、頼れないし」

 それ以前に素人を呼んでも営業は任せられない。

「ううーん。ステキだったり、複雑だったり」

「あ、家族仲は別に悪くないからね?」

「大丈夫。梵士くんが家の仕事のことがんばってるんだもん。それはわかるよ」

 会計する間も話は止まらなかった。失礼だろうけれど、マスターはニコニコ見守ってくれている。

 店を出て、足が向いた先はやっぱり公園がある方だった。完全に昨日の未与子さんとの行程と重なる。

「……これじゃダメだ!」

 急に大きな声を出したので依央さんが隣で伸びあがった。

「ダメって……えっ?」

 引きつった戸惑い顔がもどかしい。

「このやり方じゃ依央さんとの仲は深まらないって言ってるんだ。未与子さんがリハーサルをして、本番ではバトンタッチして台本を渡す。その台本はね、依央さん。こういう話をすればよかった、こういう風に振る舞いたかったって言う未与子さんの〝やり直し〟なんだ。僕にはそうとしか思えないんだよ」

 だから依央さんが何を話しても、「未与子さんなら」と空想してしまう。会って確かめたくなってしまう。

 幻影を振り払いたくてたくさん話した。おしゃべりが楽しかったからじゃない。

「えっと……未与ねえさんに気持ちが傾いてる――梵士くん風に言うと、私から台本の未与ねえさんを0.5以上で感じるってこと?」

 まさにそうだ。だから、これ以上このデートを続けるわけにはいかない。

「依央さんが台本通り演じれば演じるほど僕の心は依央さんから離れる。過不足ない1.0の副島依央を求めなくなってしまう。これは僕の考えでも一般的にも浮気になるんだよ。……どうしよう」

「ど、どうしようって言われても……! 未与ねえさんが強敵だってことはわかってたけど、もう? そんなに?」

 ふたり落ち着きを失って騒ぐ。まだ動き出していなかったので、喫茶店の中からマスターが不思議そうに見られていた。

 店先での痴話喧嘩は迷惑になる。カメラのキムラに通報されても困る。

 早くここを離れなければと依央さんの手を取って歩き出した。

 人目を避けたければとにかく公園だ。体を動かしたい老人は田舎特有のよくわからない公共事業で海岸沿いに造られた大きな運動場へ行くし、集会所が欲しい若いママさんはこの近所にはいないので商店街の公園はいつでもひと気がない。

 公園に着いてとりあえずベンチに座ったら、今度は依央さんが僕の手を離さなかった。

「台本を守ってたら未与ねえさんには勝てないのに、台本がない私じゃ梵士くんに見向きもされない。だから……触ってください!」

 とんでもないことを言いながら、ずいっと体を寄せてくる。

「えぇっ! 外の人ならではの親密になりかたっていうの? それは今朝やったよ!」

「やってないじゃないですか! 私はもう覚悟してますし、それで好かれるなら望むところですとも! それとも梵士くんは……私に触りたくないですか?」

 ドキリとした。手を伸ばせばどこにだって指が届く所にある。その肉体。

「そりゃ、触りたいよ。思春期ですよ? 多分依央さんがドン引きするくらい、ふしだらなコトを考えているよ」

 でもそれはできない。肉欲に突き動かされるだけじゃ依央さんの0.5すら見ていない。ここまで悩んできたことがすべてムダになる。

「うっ……いいじゃないですか。してもらおうじゃないですか」

 依央さんがこっちの気も知らずに更に身を乗り出してきて、鼻が額に触れそうな距離になった。

 温度を感じる近さに記憶が蘇る。シャンプーの匂いこそしないけれど、ここで思い出さずにいるには昨夜の体験は強烈過ぎた。

「くっ、ダメだ! 今度はニーナがチラつく!」

 あの時発散し損ねた衝動をここで、そんなよこしまな気持ちでいていいはずがない。

 この距離は危険だと仰け反って体を離そうとしたのに、できなかった。両肘を掴んで動きを封じられている。強い力がこもった瞳と視線がぶつかった。

「私は水流添さんじゃありません。我慢しなくていいんです。梵士くんの理性がゆるす範囲で、好きに触ってください」

 台本が無ければ自信が持てない気弱な女の子。そんな印象を依央さんに持つのは間違いだと思い知らされた。どんなに動転して顏は中華料理ができそうなくらい赤面しても最良の結果を得ようとするタフさにこそ彼女の本質がある。

「ハンバーグのことを見抜いてくれた梵士くんのことを信じてます。ちゃんと私のことも見てくれてるって」

 ただ単にムリをしてしまう僕とは違う前進しようとするこのエネルギーが眩しい。その根源は僕に好かれたい一心から来ている。それが伝わるからむず痒くも嬉しかった。

 依央さんはどんな時でも真正面からぶつかって来てくれる。だから、素直に本音を出す気になれた。

「……今ここで依央さんに手を出したらそれは『ニーナにはできなかったから代わりに』って意味になってしまう気がする。なのに正直、負けそうだ」

 いくら依央さんが僕を信じてくれても、僕が自分を信じられない。

「私の魅力に負けてくれるんなら、大歓迎」

 肘を引かれて体が前へ倒れる。顎が依央さんの肩に乗り、耳に依央さんの唇が触れた。

「この体と、梵士くんが好きだって言ってくれた声、私を全部使って梵士くんを誘惑します」

 言葉が、吐息が、耳元をくすぐってゾクゾクする。

「もしそれでもためらうなら――私の言う通りに触ってほしい。まずは……腰」

 手が重なって、導かれる。

「……思ってたより細い。あ、いや、太ってると思ってたわけじゃないんだけど」

「感想言われるの、ちょっと恥ずかしいです……。あと、ちょっとくすぐったい」

 反射的に手を離そうとしたら、また捕まった。今度は脇の下から二の腕へ。

「……ぷにぷにしてる。あ、いや、太ってると言ってるわけじゃ――」

「いいですよ。私のこと、知ってもらいたいだけだから」

 次は更に上へ登って喉へ。

 依央さんの体はどこを触っても柔らかくて、熱をもっていた。脇の下を通った時にブラジャーの固さに驚かされてこれ以上ないと思っていたのに、鼓動は増していく。

「これは梵士くんの心臓の音かな。それとも、私のかな」

「多分、僕のだと思う」

「うん。私を感じてくれてる音だね」

 声が細かく震わせる、簡単に破れそうな喉を辿って顎の尖りを越え唇をなぞる。触り心地はそれまでの肌よりも更にか弱く、そして湿っている。

「……指じゃなくても、いいよ」

「その勇気を出しちゃうと、なにもかも決壊してしまう気がする」

「ふふっ、それは嬉しいなあ。次は、頬っぺた撫でてくれる?」

 指示に従って手を動かす。

(まいったな……。依央さんの気持ち、ちょっとわかる)

 指示があれば安心できる。受け入れてもらえると信じられる。もう依央さんの手はついて来ていない。ついて来ていないのに、僕の人差し指は依央さんの耳の縁を滑って薬指が穴の入口へ潜り込んだ。

「んっ……」

 依央さんが身をよじった。でも逃げない。悶えるほどの刺激を許してくれている。

(一体どこまで……?)

 それを試したくなってしまった。


「はっ……はっ……」

 短い喘ぎを聞きながら、ひたすらゆっくり指を動かす。焦って負担をかけたくない。じっくりと感触を楽しんでいく。

「ん、はぁ……」

 依央さんが唾を飲み込む。いくら気を付けているつもりでもどうしても苦しげにはさせてしまっていた。上気した頬の色は照れとはまるで意味が違っていて艶めかしい。

 依央さんは本当に僕のすることをどこまでも受け入れてくれている。このまま――。

「……なにやってんだ僕は」

 ふと正気に戻った。

 目の前にはとろんとした顔で喉を反らし口を開けた依央さんがいて、口の中には僕の指。突っ込んで頬の内側や舌の感触を楽しんでいた。今も舌先を摘まんでいる。

「わあっ! なんだコレ? 普通にえっちなコトするよりえっちじゃない?」

 つい夢中になってしまった。いや、こんなことで夢中になること自体おかしい。さっきまでより体は離れているのに、かえっていかがわしい気がする。

「うん……。私もビックリしちゃった。まさかこんなコトをされるなんて。……梵士くんって大変なフェチを持ってるんだね」

「いや別にそういうことじゃなくて! 触りたいけどまだ恋人として進展するのは不安だから、じゃあ違うことをしようと思っただけなんです!」

「ふふっ、大丈夫だよ。私ちゃんと対応できるから」

 目の前で依央さんはほほ笑んだ。堂々と恋人として渡り合おうという宣言。

 そこでやっと気づいた。こんな振る舞いは素の依央さんじゃできっこない。

「あっ! 今台本アリだな! 一体いつから?」

「そういうメタ的な話はちょっと……」

 ぷいっと横を向いて返答を避けられた。

「未与子さん、デートだけじゃなくそういう展開まで書けるようになったのか! やったねェ? おめでとうチクショウ!」

「梵士くんがケダモノの本性を剥き出しにした時用に、っていくつか。あとは組み合わせでなんとか。……でも後半は喋れませんでしたから、台本は意味がなく……状況に呑まれてしまいまして……」

「だからそういうことをされると未与子さんの存在感が出ちゃうからやめてって言ってるのに! 依央さんの0.5だけを感じようっていう趣旨だったのに!」

 未与子さんも口に指を突っ込まれたいのかとか考えてしまう。

 批判を浴びた依央さんは俯いてモジモジし始めた。

「未与ねえさんが0.5を超え始めたのなら、それも活かせば私は1.0以上の恋人になれるかと……。失敗でしたか?」

 態度はオドオドで言葉も声も固い。これこそ混じりけなしのバニラ依央さんだ。

「あのね、僕が言う0.5は割合の話なので、足したって1より上には……アレ? 待って、そうか……そうすればよかったんだ」

 依央さんの見当違いな努力の果てに、ひとつの方法を思い付いた。

「確かに、僕が求める0.5は割合の話だ。それで依央さんが台本アリの時、今は未与子さんの存在感が強くなってて4:6、いや、3:7くらいになってしまっていた」

「そんなに」

「依央さんの存在感を強化すればいいって案は間違ってないよ。未与子さんとデータしたことで崩れたバランスは、素の依央さんとデートすることで元に戻せる」

「えっ」

 ベンチから立ち上がり、依央さんを引っ張り上げる。キョトンとしている依央さんに、勝利宣言のつもりで告げた。

「リハーサルした商店街にいるから未与子さんのコトいちいち思い出しちゃうんだよ。だったら場所を変えればいい」

 ただし、この発想は未与子さんに先読みされている可能性がある。元々リハーサルではこの公園で打ち切りだったので、まだ解散には早い正午近くのこれからどこか別の所へ移動することは予測できてもおかしくはない。

 だからここでは、絶対に僕が行かない場所を選ばなくてはいけない。

「依央さん。行こう、台本の外側――ナコアへ!」

 言うと、依央さんの顔から血の気が引いた。

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