第5話

「私だってですね、台本だけ作ってもらえばいいと思ってたわけではなかったんですよ」

「うんうん」

「未与ねえさんは私にとって恩人なんですよ? 生活を改善するキッカケになったらって願うじゃないですか」

「ハイハイ」

 畳に伏せて打ちひしがれる依央さんはいつになくすんなり言葉が出ていて、ただしそれが嘆き節というのはなんとも悲しい。

「梵士くんなら絶対守ってくれるから任せたんですよ。なのにまさか梵士くんが攻めるとは思わないじゃないですか!」

「それはわかんないや。アンタらの関係、全然飲み込めてないから」

 愚痴を聞いてくれているのはニーナだ。あまり親身な態度ではないけれど、一方的にこぼしているだけなので依央さんは気にしていない。

(ううん、やっぱりここは僕が慰める役目を負いたいな)

 腰を上げ近づこうとしたタイミングで、未与子さんが滑り寄って来た。いかにもなにか言いたそうな顔をしているので、これを無視はできない。

「あのさ……さっきはちょっと錯乱してて、公園では調子に乗り過ぎて色んなことを言ってしまったけれど……」

「ええ、公園ではとっても楽しそうでしたよね」

 そのせいで今この状況があると思うと、本当にひどい目に遭った。

「でもね……嘘じゃないから」

 未与子さんの顔色を良くしているのは僕と同じ照れだとわかるから、その言葉が真実と認めるしかない。

「調子に乗った中に真実があるってことはつまり……0.5くらい?」

 苦し紛れで、バカなことを言っている気がした。それでも納得できる解釈はこれしかない。

「……そうね。そのくらいかな」

 依央さんを置き去りにして結論は出せないという想いは未与子さんにもあるはずだ。急に我に返った風に髪を撫でて居住まいを正し、距離が開く。

 でもそれも束の間。

「また、会ってくれる? うちならいつでも来ていいから」

 0.5と言うにはトキメキ過ぎている気がする。お互いに。


「で、どーすんの?」

 唐突にニーナが言った。

 依央さんは気持ちを吐き出し切ったのか、今は赤ん坊のようにニーナに抱き付いてぐすぐす泣いている。背中をぽんぽん叩いているのは同級生なのだけれど。

「アタシはそっちの片木さんと手を切ればそれで解決だと思ってたんだけど、どうもそういうことじゃないんでしょ? ボンジーのせいで」

 ニーナは依央さんの愚痴からかなりの情報を得たらしい。あんなに不真面目に見えたのに、しっかりと状況を理解できている。

 不本意ながら、その指摘は正しい。

「この関係が常識的には間違ってるってことはわかってる。それでも……僕にはふたりとも必要なんだ」

 同じ望みを持つ依央さんが泣き止んで、潤んだ瞳でこっちを見る。だから勘違いだってば。

「いやとりあえず、弁当販売を台本付きの依央さんに手伝ってもらわないと困るっていう意味で。来週中にはうちの親が退院して通常営業に戻れるけど、校長との約束があるからもうちょっと続けないといけないから」

「労働力目当て……!」

 依央さんが崩れ落ちた。そこへニーナが良い笑顔で追い打ちをかける。

「それってアタシでも手伝えるね」

「野生の看板娘……!」

 依央さんが増々ヘコんでいく。畳をポカポカ叩き始めた。

 これはよくない流れだ。思わずニーナを睨む。

「お前なー、余計なこと言うなよ」

「だって手伝えるのはホントじゃん。ボンジーもうギスギスしてないから恐くないし」

「お前は客と長話をしたがるだろ? クリーニング屋でならそれはよくても、客を早く回さなくちゃいけない弁当屋では許されないんだ。学校じゃピーク時のみの営業なんだからな?」

 ニーナは不満そうに口を尖らせる。でもそれ以上構ってはいられなかった。依央さんの嘆きが聞こえてくる。

「水流添さんならお弁当を作るところから参加できるじゃないですか! きっと家の隅から隅まで把握してる幼馴染は調理場だってご存知のことでしょうよ! ええ、付け入る隙がないでしょうよ!」

「なんで依央さん自ら進んでヘコみに来るの?」

「把握してるよー」

「お前もう黙ってろ!」

 ニーナの口におしぼりを突っ込んでやった。

「実はコイツすごい汗っかきだから、調理場に立たせるのは衛生的に不安なんだよ。つまみ食いで経営が傾くし」

「まず早起きがヤだからね」

 おしぼりを口から抜いていたので今度は唐揚げを突っ込んでやった。ゆっくり噛むからこっちのほうが長持ちするので、最初からこうすればよかった。

 反射的に黙らせてしまったものの、ニーナは今良いことを言った。

「そうだ! そうなんだよ、コイツは寝起きが悪いんだ」

「寝起きまで! 把握している!」

 どうやらヤブヘビだったようだ。

「いや昔からそうだっていうだけで最近見たわけじゃないんだよ。依央さんよりニーナにいてほしい理由なんて、あると思う?」

「おっぱいが! 大きい!」

「それに関してはコメントを避けたい。家族みたいな奴のセックスアピールに着目したくないという意味で」

 混乱が極まっていく場を治めてくれたのは、未与子さんだった。

「依央。彼はアンタの同級生だけど、もう〝社会人〟なのよ。どうしても仕事のことを外しては考えられないんだから、そこを責めるのはよくないわ。それに彼のそういう一所懸命な部分を好きになったんでしょう?」

「それは……ハイ」

「好きな人の大切な部分を支えられるなんて素敵なことよ。そんなおいしい役回りを譲ってもいいの?」

「嫌です、譲りません! 私が梵士くんを支えます! 来週もお弁当売り手伝います!」

 見事に依央さんをコントロールしてしまった。さすが中の人だ。

(これなら初めから未与子さんに任せて、僕が口出ししないほうがよかったんじゃ?)

 自分の存在意義に疑問を感じて様子を見守る。

「とりあえず明日は依央が彼とデートすることね。台本は今夜中に書いておくから」

「ハイ! 1.0を目指してがんばります!」

「そっちもそれでいいわね?」

 急に話を向けられて、思わず頷く。すると、戸惑いを見抜かれた。

「どうしたの? 元々そういう予定だったでしょう」

「いやあの、今日が中途半端に終わったから……もうちょっと未与子さんと過ごしかったかなと……」

 正直な気持ちを言うと未与子さんが赤面した。依央さんは蒼白になってまた畳を叩き始めて、ニーナはため息をついて最後のコロッケを口に入れる。



 三人が帰った弁当販売を始めて初の週末の夜。仕込みも早起きもしなくていいので久しぶりに暇だ。

(そう言えば今日は過労で倒れたんだったし、早めに休むか)

 机に向かって一旦は開いた教科書を早々に閉じる。課題は出ているけれど健康が大事だから仕方がないことなのだ。

 照明を落とし布団で横になって瞼を閉じる。じっとしていても眠気は来なかった。

(明日は依央さんとデートか、台本アリの依央さんと……)

 予定はまったく聞いていない。遅くとも昼前には台本をインプットしてきた依央さんがやって来るので、それを待っていればいいらしい。

 連日違う相手とのデート。両手に0.5ずつの花。

(……なんでこんなややこしいことになってるんだ?)

 一時的に忙しさから解放されたせいか、冷静な気持ちになってきた。

(ニーナに僕のせいだって言われたときはちょっと納得しちゃったけど、そもそも依央さんに問題があるよな? 最初から素のままで告白してくれたらよかったのに。それでも僕は……好きになってたかな)

 相手が誰だろうと最初の告白でブチ切れして喚き散らす流れは変わらない。それから翌日の昼休み弁当販売中に現れた時、アドリブ状態の依央さんだとマトモに手伝うことはできない。そうなると僕は「なんだこの役立たずは」と思いそうだ。

(いや、台本から自信を貰わなきゃ、依央さんは手伝いに来なかったのか? というか、告白からしてムリだよね。じゃあどうすればよかったんだ?)

 うんうん唸って布団の上で転がっていると、何往復目かで目の前にニーナがいることに気が付いた。

「ボンジー、なにやってんの?」

「わぁっ! お前こそなにやってんだ! こんな時間になんなんだ!」

「コレ持って帰るの忘れたから。明日営業入ってるし」

 両親の見舞いに持ち込む日用品を用意する都合でニーナは合鍵を持っている。家には出入り自由だ。それはそれとして、いくら見せパンだからといって見せつけないでほしい。

「で、何悩んでんの? 彼女に話せないことなら、幼馴染の出番でしょ」

 ドヤ顔は腹が立つけれど、確かにその通りだ。依央さんの素が見たかったといういう悩みは今頃台本を用意してくれている未与子さんにもその完成を待っている依央さんにも相談できない。

「依央さんってさ、ありのままの自分を見てほしいとか、思わないのかなって」

「全然思ってないでしょアレだと。究極の指示待ち人間? まあでも、良い風に見られたいって思うのは自然なことじゃない?」

「そこは僕もわかる。台本があるって知らずに依央さんといたときはメチャクチャ緊張してたし。普段通りの自分だったかって言われると多分違う。でもやっぱりさ、一番リラックスし合える関係でありたいだろ? 恋人同士なんだったら」

 この辺りはネタばらしを喰らったときに少しした話だ。やっぱり改めてニーナに打ち明けたところで新しい発見はないかもしれない。

「ボンジーはさ、肩肘張らない気楽な付き合いじゃないと嫌なワケ?」

「うん? そういうことに……なるのか?」

「じゃあさ、ボンジーにはアタシしかいないじゃん」

「……はい?」

 冗談にしか聞こえないのに、ニーナの顔つきは妙に真剣だった。

 言っていることは正しい。ニーナが相手なら緊張も虚栄も生まれようがない。それでもやっぱりそれは、笑ってしまうくらいの冗談だ。

「そこだけで言えばそうかもしれないけど、僕とニーナで〝恋〟とか……ムリだろ?」

「そうだね。昔から〝一緒〟に慣れてるからトキメキなんて感じないもんね」

 こんな夜更けに寝床の上で男女がふたりきり。それでもここから何かが起こるとはまったく考えられない。そのくらいの自然体。

 なのに、ニーナの真剣味が増していくように感じられた。

「お前……何考えてるんだ?」

「トキメかないかどうか、試してみようと思って」

 不意打ちに肩を掴んで布団に押し倒された。動転している間に圧し掛かってくる。

「なにすんだ! これはさすがにマズいだろ?」

「だったら突き飛ばして抵抗する?」

「当たり前だ!」

「どうして? アタシたち、こんな距離当たり前だったじゃん。いつまでも変わらない幼馴染なら、平気でしょ」

 ニーナは両手をついて覆い被さる形で、別に押さえつけられているわけでもない。本気でどかそうと思えば簡単に押し退けられる。けれど、動けなかった。

「……拒絶したら女として意識してるって、そういうこと言いたいのか」

「そうだよ。ボンジー、どう? トキメいたりしてる? アタシは……ちょっとしてる。変だね」

 眼前で幼馴染が変わっていく。直視したくなくて、強く目を塞いで横を向いた。

「やめろ! 僕はお前とそういう風になりたいなんて思ったことないんだ!」

「今でも変わらない?」

 変わった。本当はずっと前から子供の頃とは違っていると知っていた。

 何が変わったかと言えば、ニーナは〝女〟になった。胸を押す弾力がそれを主張している。風呂上りらしく鼻に届く香りはシャンプーか何かのはずなのに、それさえ当人の魅力のひとつであるかのように錯覚させる。

「ボンジーいつも練習には付き合ってくれるけど、アタシがアイドルやってるとこ応援してくれたことないよね」

「それは――」

 怖かったからだ。

 ニーナが商店街のアイドルに選ばれたのは他にそれらしい人間がいなくて「仕方なく」というわけじゃない。他に100人いようときっとニーナが選ばれている。明るさと元気というところで言えば、台本アリの依央さんよりも上だ。

「だって練習で散々見てるのに、これ以上お前のこと見たってしょうがないだろ?」

 こんなのはごまかしだ。聞こえる小さな笑い声に見透かされている気がする。

「アタシね、ずっと見てほしかったよ。一番応援してくれるのはボンジーだと思ってたから、最初の仕事のとき客席に来てなくてガッカリしたんだよ。っていうか、全然お客さんいなかったからフツーにガッカリしたけど」

「だって同じ商店街のイベントだぞ? 僕にだって仕事は割り振られてたんだ。のんきに応援なんてしてられないよ」

 本当は、離れた所で見ていた。付き合わされた練習の成果を見届けてやろうというつもりで、自分のことのように緊張しながらニーナの登場を待った。

 まばらな客、身内ばかりの拍手。それでも、ニーナは立派にアイドルをやってのけた。眩しかった。あまりにも眩しくて、ステージ上のニーナから目を逸らした。

 よく知っている相手、冴えないステージ、それでもそこには魔法があった。或いは呪いかもしれない。

 僕がよく知るニーナのまま、まったく知らない可愛い女の子に変身した姿を見たくなかった。「練習の間は自分だけのものだったのに」だなんて、おかしな独占欲に支配されるのが嫌だった。

 本当なら商店街の店主連中に混じって最前列で声援を送るか、指を差して笑うかしていればよかった。なのにそれができずに逃げ出した。

 そのあと、ステージから遠い商店街入り口でチラシを配っていた僕の所へアイドル衣装のままやってきたニーナが猛烈に怒って、僕は何も言い返せなかった。

 そのときのことが尾を引いて、ニーナの出番があるイベントに呼ばれることはなくなっている。正直助かった。

「……今はもう、僕の他に応援してくれるファンがたくさんいるだろ」

「そりゃあいるよー? SNSとかやってたら、ちょっと引くくらいいる。ステージでも力いっぱい応援してくれるし、アタシのこと『好き』って言ってくれる。でも違うんだ……。アタシはね、それをボンジーにやってもらいたかったの。言ってもらいたかったの」

 鎖骨に頬の感触が触れる。首筋を吐息がくすぐる。

「その意味は自分でもよくわかってなかった。ファンのみんなよりボンジーのほうがアタシのこと好きだし、ステージには来てくれなくても気持ちでは応援してくれてるんだって信じてた。『好き』に種類があるなんて、漫画とかでは知ってたけど自分に関係あるとは思ってなかったんだよ」

 誰よりも親しくて、けっして重ならない正しい幼馴染。それが胸の上で揺らいでいる。

「気付いたのはさ、副島さんのせい。アタシがギスギスしてるボンジーを遠くから見てる間に、あの子はちゃんと会場でボンジーを応援したんだよね」

 昼休みの営業を言っているんだろう。

「ふたりで弁当売ってるとこ見たときは、『負けた!』って思ったよ。アタシよりボンジーのことが好きな人が現れたんだって。……あのままだったら、こんな気持ちにはならなかったのにね」

 大きなため息。首の後ろへ腕が回って、余計に密着した。

「台本とか0.5とかいろんな話を聞かされたらさ、『こんな奴らにボンジーを渡してたまるか!』ってなるじゃん? それで気付いたんだ。ボンジーとファンのみんなを比べたときはわからなかったけど、アタシと副島さんを比べたら、この気持ちをなんて呼ぶのか……」

 この先を聞いたらもう取り返しがつかない。嫌なら耳を塞いでしまうしかない。けれど、それはあの日ステージから逃げ出したことよりも酷い裏切りに思えて、できなかった。

 判決を待つつもりでじっと固まる。なかなか沈黙が崩れないでいるうちに、体にかかる重みが減った。瞼を開けて正面を見ると、ニーナは体を起こしていた。腰の上で跨られていて、触れる部分が生々しく熱っぽい。

「このまま続けてもいいけど、先にボンジーの気持ち……知りたいな」

 暗がりに慣れた目で表情がハッキリとわかる。

(そうか、ニーナ……お前も……)

 だったら、自分にできる誠心誠意・最低最悪の返事は決まっている。

「ね? 聞かせて、ボンジーの気持――」


 ぶふぅ


 言葉を遮って、思い切り屁をこいてやった。

 数秒あって、ニーナは肩を震わせ始める。

「……っプ、アハハハハハ!!」

 すぐに堪え切れなくなって脇に倒れ、笑い転げる。

「んヒィ、ヒィ……。それが返事じゃ、望みはないよね……」

 さっきの照れよりも顔は赤く、その代わり迷いは消えていた。

 不安だったんだろうと思う。僕に対する気持ちはもしかすると本当なのかもしれない。でもそれはやっぱり対抗心から現れたものだ。純粋に恋心とは言い切れない。

 それに、もしそうじゃなかったとしても、僕の答えは変わらなかった。

「ちょっとイケると思ったんだけどなあ……。そっか、ダメかあ……。先に言うけど謝らないでね。でも、理由は聞かせて」

 後ろ手に体を支え、ニーナは天井を見上げる。声色はスッキリしているように聞こえた。これに嘘でごまかすことはできない。

「ニーナにトキメかないわけじゃないよ。それにこのまま雰囲気に流されて、ニーナと付き合えばきっと将来もずっと幸せだろうって思う。でも、それじゃ嫌なんだ。僕が好きなのは副島依央だから」

 僕にとってそれ以上の行動原理はない。

「……好きったって、0.5なんでしょ?」

 そこを突かれると痛い。

「ううん、まあ……そうなっちゃってるんだけど」

「じゃあさ、本当はどうなってほしいの?」

 詰問の空気になってきた。

(やっぱり怒ってるのかな。……屁が盛大に出過ぎたか)

 互いに変化が伝わってしまった以上元通りは難しいと考えると寂しい。

「どうなってほしいって……。ニーナはきっと、どうやっても幸せになるだろうし……」

「幸せじゃない。大好きなボンジーに振られた」

「いやそこはホラ、時間が解決してくれるとか……。この状況で僕がフォロー入れるのってキツくない? お互いに」

「……じゃあ、あの片木のおねーさんは? ボンジーって年上好きでしょ。昔も――」

「今の話をしよう、ニーナさん」

 なにしろ幼馴染だ。昔話を始めたらキリがない。

「未与子さんはさ、資産的には恵まれてるけど今のままじゃ絶対幸せになれないから、その辺なんとかなるといい……かな?」

「ものすごくふんわりしてる」

「だって『こうすればいいんだ!』みたいなアイディアは僕にはないんだから、言いようがないじゃないか。あったらもうやってるよ」

 依央さんに関しても答えはわからない。

 彼女は台本を求めている。そこは僕も同じだ。でもそれは間違っているのに、向こうはそう考えていない。告白から始まって今後もずっと台本を頼りにしようとしている。

(おかげで今僕はこうして幼馴染を振って責められるハメに……。アレ? なんか、腹立ってきたぞ?)

 この状況をどうにかする責任を負わなくちゃいけないのは、依央さんのほうじゃないだろうか。結局のところ僕は巻き込まれた側でしかない。

「……依央さんには全部解決するまで、地獄行きだろうと付き合ってもらわなくちゃいけないよな……」

 言ったあとで、自分でもこれはどうかという後ろ暗い発言だった。

 ニーナは天井を見上げるのをやめ、こっちを向いて苦い顔で笑っている。

「なんだ。もう答え出てるんじゃん」

「……うん?」

「アタシと片木のおねーさんは『勝手に幸せになれ』で、副島さんは『一緒に地獄に堕ちよう』でしょ? ハッキリしてる」

 ニーナは立ち上がりそそくさと部屋を出ていった。それを結論にされてしまうと困るのであとを追う。

「いや今のはそういう意味で言ったんじゃなくってだな」

「言ってるよ。あー、アタシってバカみたいだなあ」

 靴を履き玄関のドアを開けて外に出る。

「おい、ちょっと聞けって。ああもう……」

 何を言っても聞き入れてもらえないなら、今は他に伝えたいことがある。

 裸足で追いかけて、後ろ姿に向かって声を張った。

「見てたぞ! 僕、お前のアイドルやってるとこ、ちゃんと見てたぞ! 最初のときはちょっとだっただけど、あとで記録用に撮ってた動画をコピーさせてもらったし、そのあとのも全部見てる。ちゃんとお前のこと応援してるからな!」

 足を止めたニーナは振り返って、呆れた風に笑った。

「振られ甲斐がない男だなぁ」

 ステージの魔法がなくても、それは魅力的な笑顔だった。



 翌朝、依央さんとのなにも決まっていないデート当日。開け放した窓、揺れるカーテンの隙間から強い日差しがチラチラと差し込んでくる。

 昨日のうちに番号を交換しておいたスマホのランプが光っていた。寝起きのボーっとする目で着信を確認する。

 グループチャットに未与子さんからメッセージがひとつ。


 場面:十時、大鍋家の前 チャイムを押す副島依央


 まさしくこれは台本だ。依央さんは猫のスタンプで「わくわく」と心情を表すだけに留めている。

 ただ今の時刻は9時55分。我ながら大した危機察知能力だ。

 身支度をする余裕はないのでそのままよろけながら玄関へ向かう。

(多分、絶対……うん)

 スマホで時計を表示、秒単位で見えるようにして待つ。

(4……3……2……1……)

 ピンポンと、古めかしい呼び出しチャイムが鳴る。

(やっぱりピッタリだ)

 呆れを通り越して、ちょっと笑ってしまう。

「おはよう、梵士くん」

 扉を開ければ、そこには依央さんがいた。明るい色で肩を出したシャツに、制服より少し短いスカート。化粧のせいか目元がくっきりして見える。

 違う。依央さんじゃない。1.0な僕の恋人、みんな大好き副島さんだ。

「ああ――会いたかった!」

 つい感動して涙が流れた。依央さんが慌てる。

「うぅっ、そのリアクションは台本にありません! そういうやつ困ります!」

 今みたいにアドリブ状態になってしまうと台本の0.5が欠けて恋人が消えることになるので僕も困る。ということはつまり未与子さんの予測をこっちも予測しながら探り探り行動しなくてはいけないらしい。変なデートだ。

「ごめん。実はさっき起きたばっかりで、なんにも支度できてないんだ。上がってちょっと待っててもらっていいかな」

「うん。あ、それなら私、梵士くんの部屋を見てみたい。部屋で待っててもいいかな」

 いかにも「今思い付いた」という風に掌を合わせて言う。台本のくせに。

 着替えの服は部屋のタンスにあるけれど、持ち出して脱衣所で着替えれば問題ない。

「別にいいよ。でも別に時間潰せるような物ってないからね? 家にいる間はほとんど店で仕事してるから、寝るだけの部屋だし」

「〝カレの部屋訪問〟は乙女のおっきなイベントなんです、えへへ」

 照れてはいるけれど、うろたえてはいない。これは台本かアドリブか微妙な線だ。どちらにしろカワイイ。

 居間を抜け店舗側へ抜ける廊下の途中で階段を上がれば僕の部屋がある。連日違う相手を部屋に連れ込んでしまった。昨夜ゆうべのニーナは勝手に入って来たのだけれど。

「すぐ済むからちょっと待っててね、えーっと」

 タンスを開けたところで思い付いた。

 ファッションに関心が限りなく無いので「落ち着くデザインならいいや」という投げやりな気持ちで服を買っている。なので手持ちの中からデートに最適なコーディネートを選ぶなんて土台無理があった。それなら審査員に直接選んでもらえばいい。

「ねえ、今日僕が着る服を選んでよ」

 引き出しを開いて見せると、依央さんは動揺した。これは未与子さんの選択肢になかったようだ。

「えぇっと……そうなの?」

「お任せしたい」

 にっこり笑って頼み直すと、依央さんは中を覗き込んで服を確認していった。

 物凄いスピードだ。パッと広げサッと撫でてクルンと回し、次の瞬間には四角く折り畳まれている。洋服屋のスタッフが整頓している動きの記憶と一致した。

(なんだコレ、すげえ……)

 思わず見とれるような所作を、得意になるでもなく自然とやってのける。

「あっ、そうだ。すぐ決めちゃうから、梵士くんはお風呂入っててもらっていい?」

「急になに言い出すのかねェ! この子は!」

 思わぬ急発進で大声が出た。昨日の夜から続けて展開が突飛過ぎる。

「なんて台本書きやがるんだあの女ァ! クソ甘青春ものから180度打って変わった十八禁たァ、こいつァ素敵な路線変更だァ! 僕から奴へ、熱い苦情のお便りが押し寄せる!」

 スマホで『昔の作品のほうが好きです』とメッセージを送ると、すかさず「はぁ?」と返信が来た。

「あっ! えっと、そういうことではなく!」

 依央さんがシャツを振りながら騒ぐ。白いシャツなので白旗を振っているかのようだ。この流れにギブアップしたいのは僕のほうなのに。

「どう、そういうことではないと?」

「私はただ、脱衣所から『着替えここに置いときますね』って声をかけるやつをやりたいだけなので!」

「ああ、そういうこと……乙女のイベントにしては随分進んだ願望じゃあない?」

「一種のシミュレーションのつもりでござりますれば!」

 錯乱する依央さんを見ていたら一気に冷静になっていく。

(未与子さんの台本にも、こうやってドンドン注文つけるんだろうなあ……)

 浴室まで踏み込んで来ないというのであれば反対する理由はない。照れくさいだけだ。トンチンカンなことでなければ依央さんの願望は何でも叶えてあげたい。

「いいよ。じゃあシャワー浴びてくるね」

 夏場の起き抜けなので、寝汗を流せるならそのほうがよかった。

 小さく手を振る依央さんを部屋に置いて風呂場へ移動する。脱いだ服と下着を洗濯機へ放り込み、ノブを回して頭からシャワーを浴びる。

(なんかもう……ちょっと前から考えたら嘘みたいな状況だなあ)

 家業に追われる繰り返しで両親が仲良く倒れ、自分で飛び込んだ更に慌ただしい昼休み営業の日々。それから依央さんから突然の告白、そして今彼女は恋人になって僕の部屋で服を選んでいる。

(後半は台本があるから、嘘ではあるのか……)

 台本を依央さんと僕の恋心で挟んで始めた奇妙で歪な関係。今日のデートが何かしらの答えを出すだろうか。

(僕は……選ぶのかな)

 それは今の僕にとって同時に失恋を意味する。依央さんと未与子さんのどっちに決めても、0.5の失恋ということになる。ハートが奇麗に真っ二つだ。理屈をつけて依央さんと台本にしがみついている現在の状況から一方へ動くことでどういう気持ちになるのか、自分でも想像が付かない。

(やだなあ、怖いなあ……)

 デート前とは思えないほど落ち込んでいく。

(……揚げ物なら沈んでも丁度良いところで浮き上がってくるのに)

 バカな冗談を考えていたら、脱衣所から足音が聞こえてきた。

「着替え、ここに置いときますからねー……ふふっ」

 上機嫌の声が、グズグズに淀んだ気持ちをあっさり和ませてくれた。

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