第28話
「うー、気持ち悪いですぅ……」
「僕もちょっと……」
「わし、死にそう……」
僕たちは馬車によって見事に酔わされたのであった。
御者が新人だったらしく道中かなり揺らされた。
僕は既に薬の副作用で全部吐いた後だったのでみかん汁がちょっと喉元に戻りかけたぐらいで済んだけど、他の二人、特にヴォルフートさんの顔色が血の気の引いた真っ白になっていて本当に死に掛けているみたいだった。
死なないよね……?
「わし……もう、ダメジャボボボボォォォ、オエエエエ!」
「ヴォルフートさん!?」
「わ、わたしも、うっ、吐きそう、うぷっ、八肝さん、見ないでくウブ!? オエエエエッ!」
キャシーさんの悲痛な願いは美少女の嘔吐シーンというあまりにも衝撃的な光景で僕は目を離すことが出来ず、嘔吐し続けるキャシーさんの背中を無意識にさすってあげることしか出来なかった。
「うぅ……見ないでって言ったのに……あんな大勢の前でわたし……もう、お嫁に行けないよ……」
全て吐き終わったキャシーさんにハンカチを渡して、辺りを見回すと他にも数人、嘔吐している人達が居て馬車乗り場はちょっとした
「大丈夫ですよ! 他にも戻しちゃった人達が何人も居ますし、吐くことなんて普通ですよ! 普通!」
「うぅ……それなら、八肝さんが貰ってくれますか?」
え、とっ? 何だって?
急に難聴になるなんて……おかしいな……
異世界だけど
「やっぱりゲロ女なんて嫌ですよね……ゲロ臭い女と一緒に居るだけでゲロ臭が移りそうで嫌ですもんね……ゲロならゲロらしくゲロ川でゲロガエルと一緒にゲロゲロと一生鳴いてるのがお似合いですよね……ぅう……げろげろ……」
キャシーさんがその場に膝を抱えてしゃがみ込み、絶望の沼へと沈み込んで一生這い上がって来れないようなそんな雰囲気を漂わせ始めた。
難聴とか冗談言ってる場合じゃない!
「ゲロ吐いたからって何ですか! ゲロ吐いたぐらいでお嫁に行けないなんて言う人が居たら僕が何人でもお嫁に貰ってあげます! だからそんなに落ち込まないでください!」
「うぅ……八肝さん……」
うるうるした上目遣いで僕を見上げるキャシーさんは恋する乙女みたいな表情をしていた。
そんな表情をされたら僕……
「なあ、あんた、本当に嫁に貰ってくれるのかい?」
「え? じゃあ、私も貰ってくれるってことよね?」
「じゃ、じゃあ私も貰って欲しいなぁ……なんて」
「なら俺も良いのか? 男は嫁にならないとか、言わないよな?」
「でしたらわたくしも、身分違いなど問題にもなりませんよね?」
「ならば、わしも良いじゃろ? 同じパーティーじゃし」
「……は?」
え、この人たち何言ってるの?
突発性難聴を超えてもはや白昼夢レベルだよ?
この白昼夢、いつ覚めるんだろう?
「えーっと、キャシーさん、とりあえず冒険者ギルドへ行きましょうか?」
答えを聞かずにキャシーさんを無理矢理立たせて手を握り、冒険者ギルドへと駆け出した。
「え? ちょ、ちょっと待って、八肝さん!?」
「逃げるんだよォ!」
こんなところにいつまでも居たら死よりも恐ろしいことになりかねない。
というか僕の貞操が危ない!
ここは素直に逃げるんだよォ!
「あっ! ちょっとあんた!」
「逃げるなんて許さないわよ!期待させた責任取りなさいよ!」
「逃がさない……から!」
「男同士だって良いじゃねーか……何がいけないって言うんだよーッ!」
「……わたくし、彼に決めましたわ!」
「ちょっとしたジョークじゃったんじゃ! わしを置いて行かんでくれ!」
後ろから聞こえてくる
開け放たれている塔の巨大な門を潜り抜けて、隠れられそうな場所を探してキョロキョロと辺りを見回していると不意に声を掛けられてビクリと体が震えた。
「何かお困りのようですね? 悪いようには致しませんので、私に付いて来てください」
声のした方へ顔を向けると、そこには姿勢の整った、一見すると冒険者風の出で立ちだがどこか違和感のある女性がこちらを見つめていた。
「あなたは……?」
「お急ぎなのでしょう? 個室を取っておりますので自己紹介などはそちらでお話し致しましょう」
他に選択肢は無さそう、と言うか魑魅魍魎の追っ手がすぐそこまで来ている感じがするので今はこの人に頼るしかないみたいだ。
「八肝さん……」
キャシーさんが心配そうに僕の腕に体を寄せて来た。
今はそういう気分にはならないので謎の女性の方へ視線を移す。
白み掛かった黒髪の丸みのあるショートヘア、歳はキャシーさんよりも上だと思うけど見た目以上に大人びて見えるので実際のところは分からない。
そんなところもこの冒険者風の女性への違和感を感じさせる要因の一つだろう。
だけど少なくても悪人には見えない。
見えないけども一応は警戒しておく。
もし万が一のことが起こった場合はキャシーさんだけは逃げられるようにしないとな。
「大丈夫です。何かあっても僕が何とかしますから」
「何かあった時はお姉ちゃんが守ってあげます!」
えっと、僕が守られる立場なのね……
そんなに弱そうに見えるのかな? 実際弱いけども……
「ふふふ、何も致しませんよ。では御二方、こちらへ」
謎の女性に連れられ個室へ入るとそこは作戦会議室みたいな雰囲気のそれなりに広い部屋だった。
他に人は居ないみたいだ。
「お好きな席へお座りください」
「あ、どうも……」
毒とか入れる意味も無いと思うので素直に飲んでみた。
冷えた麦茶だった。
「では、自己紹介などを致しましょうか。私の名前はアタナーシアと申します。気軽にシアとお呼びください。今はしがない冒険者などをやっております」
うん。
しがないとか言う人は大抵しがなく無かったりする。
そもそもしがない冒険者がこんなミステリアスな雰囲気を醸し出せる訳が無い。
「えーっと、八肝なせると言います。一応、成り立てですが冒険者をやってます。それでこちらが……」
「キャシーと言います……」
キャシーさんは警戒しているようで名前以外はそれ以上何も言わなかった。
「これからよろしくお願いしますね」
「あ、はい、よろしくお願いします」
「……よろしく、です」
何というか、キャシーさんは警戒してるというか人見知りしてる人みたいになってる。
なってるというか、実際に人見知りしてるのかも?
「それで、八肝さん達は何に追われていたのでしょうか?」
「いや、その、僕の失言というか勘違いというか、どうしてあんなことになってしまったのか僕にも分からなくて」
「どういうことでしょうか?」
「その、八肝さんの話を聞いた複数の女性と一部の男性から逃げて来たんです……」
僕が言いたかった事をキャシーさんが簡潔にまとめて話してくれた。
「なるほど……それで二人は駆け落ちして逃げて来たのですね」
簡潔にまとめ過ぎたね。
「ち、違います! 弟とはそんな関係ではありません!」
もうすっかりお姉ちゃんに成りきってるキャシーさん。
弟と慕ってくれるのは嬉しいですけどそろそろちゃんと訂正しておかないと何かと世話を焼かれて堕落しそうだ。
「ふふ、禁断の愛ですか……私は二人のこと応援しますよ?」
更にあらぬ誤解をシアさんにされてしまったのでこちらも何とかしないと。
誤解を解こうと僕が口を開けようとした瞬間、突然バタンっと大きな音を立ててドアが開け放たれた。
「おば様! わたくし、とうとう見つけましたわ! ……へえっ!? 何故、貴方様がここにいらっしゃるの!?」
大きな声を上げ、飛び込んで来たのはおでこが眩しい、明るい赤髪でポニーテールの快活そうな、と言うよりはおてんば娘と言った方が合いそうな女の子だった。
「お嬢様、少々はしたのうございます。それとこちらでは私のことはシアとお呼びくださるようお願いしたはずですが?」
「うっ……失礼しましたわ。おば、シア様……」
「様も要りません。シアと呼び捨てなさい。もしくはシアちゃんと呼んでください」
「そのような呼び方をおば様にするなど、わたくしには出来そうにありませんわ……」
「良いのです。時期に慣れます。私もお嬢様のことはソフィーと呼ばせてもらいます。もしくはソフィーちゃんと呼びたいです。いえ、ソフィーちゃんと呼びますね」
「分かりましたわ……シアさ、ちゃん……呼びづらいですわ……」
突然入って来た、おてんば娘さんとシアさんが知り合いというか親戚? みたいな間柄なのは見ていて分かったけど、シアさんはどう見てもおば様なんて言うお年では絶対に無い、はずだけど、もしかしてエルフとか?
うーん、耳は尖ってないから違うかも……
「あのー、シアさん。そちらの方は……?」
キャシーさんがおずおずとそう問いかけた。
僕も気になってはいたけど話し掛けるタイミングが中々掴めなかったよ。
「失礼しましたわ! わたくし、ソフィーア・ヘイテルケイツ・レイデンスシャフト・フォン・オーブスツと――」
「こほんっ」
シアさんがものすごくわざとらしい咳払いをした。
やっぱり貴族関係の方たちだよね……
喋り方とかそんな感じだし。
「失礼、噛みました。わたくしはただのソフィーアでしたわ。気楽にソフィーとお呼びになられてください」
それで誤魔化せると思っているのだろうか?
いや、下手に突っ込んでやぶ蛇とかは避けたい。
「ソフィーさんですね。僕は八肝なせるという駆け出しの冒険者をしております。あ、一応、八肝が姓で名がなせるです」
「そう……なせる様と言うのね……ウフフ」
何か面白い要素でもあったかな?
普通に自己紹介したはずだけど……
「キャ、キャシーと言いましゅ! 田舎から出てきたばきゃりの取るに足らにゃい冒険者でしゅので、ど、どうか数々のご無礼ご容赦くださりゅようお願いいたしましゅぅぅ!」
キャシーさんが椅子から立ち上がり土下座する勢いでこうべを垂れた。
すごく畏まっちゃってるよ……
やっぱり異世界の貴族って恐れ多いのかな?
不敬罪とかあったらどうしよう……
「キャシー様、そのように畏まられるとわたくし、困ってしまいます。椅子にお座りくださいませ」
「は、はひぃ! すみません! すみません!」
キャシーさんの顔色が青白くなってる……
さっき吐いたばかりなのにこのままだとストレスでまた吐いちゃうかも……
「それで、その、なせる様とキャシー様はどういったご関係でございますの?」
「ソフィーちゃん、八肝様たちご姉弟は愛の逃避行をするご関係ですのであまり込み入った事情を聞くのは失礼かと……ところでどちらが先に、その、お手つきに?」
僕が話そうとしたら、またもシアさんに遮られてしまったよ。
込み入った事情を聞くのは失礼と言いながらずけずけと聞いて来るし、まぁ、そういう話題が気になるのは分かるけどさ。
「んーまっ! ご姉弟でその様なご関係なんて……! わたくし、なせる様たちの恋を応援させていただきますわ! ……ってダメですわよ! わたくし、もう、なせる様以外となんて考えられませんもの!」
ソフィーさん……あなたもですか……
シアさんのおかげで更にあらぬ誤解が広がってしまったよ……
本当にもう、ここはしっかりと誤解を解いて置かないと後々どうなるか……
「ごめんなさああああい! わたしなんかが八肝様のお姉ちゃん面してごべんなざああああい!」
「なにっ!?」
「え?」
「あら?」
キャシーさんが突然謝りだしたと思ったら号泣し始めちゃったよ!?
なに!? なんなの!?
僕、キャシーさんに何かしちゃった? というか様付で名前を呼ばれた気がするんですけど!?
「お、落ち着いてください! キャシーさん! 急にどうしたんですか? 僕、何かキャシーさんにしちゃいましたか?」
「うわあああああん! ごべんなざあああああい!」
ダメだ……
キャシーさんは気が動転していて僕の声すら聞こえていないみたいだ。
どうしよう……こういう時どうしたら良いんだ?
「《ヒーリング》」
「あ……ふぃ……」
シアさんが魔法を唱えると部屋全体が穏やかな空気に包まれて心が癒されていく感じがした。
キャシーさんも泣き止んで、お風呂に浸かったような安らかな表情をしている。
「落ち着きましたか?」
「はい。取り乱してしまってすみませんでした……」
「それで、一体どうしたというのです? 姉ではないみたいな事を仰っていましたけど?」
「それは、その……八肝様が貴族様だとは思いもしなくて、勝手に姉のように振る舞って数々のご無礼を致してしまっていたので……申し訳のしようもございません! どの様な罰もお受け致します!」
キャシーさんはまたも土下座する勢いで地面に突っ伏して頭を下げた。
どうして僕が貴族だとキャシーさんは勘違いしたんだろう?
ソフィーさんと普通に会話していたからだろうか?
「あの、頭を上げてくださいキャシーさん。僕は貴族でもなんでもありませんよ?」
「え、でも、貴族様以外は姓を持たないはずです……それにヤキモナセルという名だと思っていましたからわたし勘違いして……」
「えっと、そうなんですか?」
シアさんの方を見てどうなのか質問してみた。
「ええ、確かに王族と貴族だけが姓を持っております。それ以外の方は没落したか詐欺師か自称でしょうね。八肝様が詐欺師とは考え難いですが、実際はどうなのでしょうか? 失礼ですが冒険者ギルドカードを拝見させてください」
「良いですけど、ギルドカードを見て何か分かるんですか?」
「ええ、没落した家の方なら名前欄の横に(没)と表示されますし、自称ならば姓と名で区切られることがありません。魔法で偽装されていれば私なら直ぐに分かりますので」
シアさんは魔法に長けているみたいだな。
仲間に出来たら心強そうだ。
まぁ仲間にするにしても、しないにしてもせっかく知り合えたんだから信用はして欲しいな。
「なるほど。じゃあ、カード出しますね」
久々に《カード》と唱えてギルドカードを手の平に出現させた。
今思い出したけどひかりにギルドカード偽装されてたのすっかり忘れてたよ……バレたら信用ガタ落ちだよね……しょうがないけどさ……
バレない可能性もあるけどそこはもう諦めよう……はぁ、ちょっと憂鬱。
とりあえず出現したギルドカードを見てみる。
――――――――――
名前: ナセル・ヤキモ
種族: 人
レベル: 15
職業: 冒険者
称号: 男の娘 スライム大好き 強さを求めし者 お人好し 小心者 オーバードーズ
ムッツリスケベ ラッキースケベ ドスケベ 胸見過ぎ 尻見過ぎ 脚見過ぎ エッチ
女性大好き イタズラ好き 弟みたいな存在 看破者 嘔吐者を受け入れし者 逃亡者
ランク: カッパー
――――――――――
「……はっ?」
偽装されてるとかされてないとかそう言う以前にこんなものを見られたら一発アウトだよ!
見せても地獄、見せなくても信用ガタ落ち、どうしたら良いか……
うーん、見せない方がまだダメージ低い気がする……
「あ、あの……やっぱり見せるのやめて良いですか……?」
「ダメです」
「ダメですわ」
「見たいです」
コイツら……!
全員、分かってて言ってるな!?
そんなにニヤニヤしやがって……くそぅ……ちくしょぅ……こんな……こんなこと……酷い、酷すぎるぞ……僕の痴態を見てそんなに嬉しいのか!
これが人間のすることかよぉぉぉ!
しばらく葛藤した後、見せる事にした。
僕がどんな人間か分かった時、この人達がどう反応するかで今後の身の振り方というものをじっくり考えようと思う。
「ふぅ……では、見せますね……」
シアさんに僕の痴態が沢山書かれたギルドカードを手渡した。手渡してしまった。
もう、後戻りは出来ない。
これを見て、引かずに居てくれたら僕はこの人達を心の友と呼びたいね。
「拝見させていただきます」
「わたくしも見させていただきますわ」
「し、失礼します」
ぐぎぎぎ、見られてる、すっごい見られてるよッ!
「……」
「……」
「……っ」
うー……! シアさんとソフィーさんは無表情で固まってるけどキャシーさんが! キャシーさんの顔が! 引きつってるよ!
やはり見せるべきでは無かった……恥ずかしくて頭がどうにかなりそうだ。
もう、この場から消えて無くなりたい。
「もう……良いですよね……? 気は済みましたよね……? カード消しますね……」
三人共、固まったままだけどもう良いよね……
《カード》と唱えてシアさんの持っているカードを消し去った。
「では、その、短い間でしたがお世話になりました。また何か機会がありましても無視してくださると幸いです。それではさようなら!」
「まっ――」
脱兎の如く、その場から逃げ出した。
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