第25話

「ん、ちゅぷっ……はぁぁ」


 柔らかく湿った何かが口に押し付けられる感覚と体の重苦しさで眼が覚めると、裸のクロニャが僕に跨がっていた。


 クロニャの白くて透き通った肌は桃色に上気していて、恍惚とした表情で僕を見つめている。


「あ、起きた? でもまだ寝てて良いよ? はぁ……んっ、私が動くからなせるくんはそのまま――ブフッ!?」


 青い閃光が目の端に走ったと思った瞬間、クロニャは顔を両手で押さえて悶絶しだした。

 何が飛んできたのかと見てみると、グレープフルーツぐらいの大きさの青く透き通ったスライムがドヤ顔のような仕草(そのように見えた)で佇んでいた。

 前にも似たような光景を見たなぁと寝起き頭でぼんやりと考えているとひかりが乱入してきた。


「ちょっと! このバカスライム! せっかく良いところだったのに邪魔してるんじゃないわよ!」


 うーん……?


 ひかりさんはどうやらクロニャの火遊びアバンチュールを黙って見守っていたようだな。

 夫が寝込みを襲われているんだから普通は止めるよね……ていうか止めてよ。


「まっ!? 魔女め! なせるくんとの仲を引き裂きに来たのね! そうか、このスライムも魔女の手先ってこと……なせるくん、このスライム、ギルドに引き取ってもらい――ぐふっ!?」


 またも顔面に体当たりするスライム。


 そう言えばまだ名前を決めて居なかった気がするな。

 青色1号、じゃなくてブリリアントブルー……ブリちゃん? ……はやめておこう、魚っぽくなっちゃう。

 ブルーリリアンが綺麗で良いか。愛称はリリちゃんだな。


「ブルーリリアン~? このバカスライムには大層な名前ね。ま、なせるんが決めた名前だし別に良いけどね」


「ふぁ~。朝から騒がしい人達ですね。元気なのは良い事ですが他人の迷惑をもう少し考えるべきなのですよ?」


 声のした方向へ視線を向けると、目をこすりながらアルラウネの妖精が大きな欠伸をして、いつの間にか窓枠に置かれていたつるで編まれたフルーツバスケットの様な籠の中から起き出した。


 アルラウネの妖精……そう言えばこの子の名前も聞いていなかったな。


「おぉ! 恩人様! 何処へ行ったのかと心配しましたよ……ん? 隣にいらっしゃるのはもしかしてウクッ!? ……ひかり様、あ、ひかりさんで。名前ですか? ……ラウネですか、はい。それで良いです」


 何か言動がおかしな事になっているが寝ぼけたままの頭ではよく分からない。

 まあ、気にするほどのことでも無いだろう。


「うぅ、もう、何なの……なせるくん、このスライム怖い」


 裸のままのクロニャが鼻の辺りをさすりながら僕の背中に隠れ抱き付いてきてスライムをしっしっと手で追い払う仕草をしている。


 背中に二つの突起物が当たっている気がするが気にしない気にしない。


 ……朝だし、元気になるのは仕方のないことなのだ。


「プクプクプク」


 リリが何か言いたそうに泡を噴き出している。


「なになに……人の子、近い、離れろ? ははーん。このスライム、クロニャちゃんに嫉妬してるのね。メス、なのかしら?」


 スライムって嫉妬するんだ……


 というかスライムに性別ってあるのかな? まあ、リリならオスでもメスでもどっちでも愛でますけどね。


「何よ! 私となせるくんの仲を裂こうっていうの? 良い度胸ね! 私にだってスライムぐらい直ぐに、けちょんけちょんにしてやれるんだから!」


「よしよし、リリの躾は僕がちゃんとするからケンカはやめてね」


 クロニャの頭を撫でて落ち着かせると「ふぁ……」という息を漏らして力が抜けたのか、ふにゃふにゃになってしまった。


「あらやだ、寝惚けてる時のなせるんってこんなイケメン行動がとれるの……今度から私も寝起きを狙おうかしら?」


 何を狙うのやら……


 僕の部屋でひかり達と騒がしくしているとシロニャさんがやってきた。


「あらあら、みんなここに居たのね。なせる君も、うん、顔色も良いし、もう大丈夫そうね。朝ご飯出来てるから冷めないうちにみんなで一緒に食べましょう」


 ◇


 朝食を終えるとひかりが突然立ち上がり声高らかに宣言した。


「前倒しになってしまったけど、これより八肝なせるのハーレム計画を実行する!」


 ドヤ顔でまた訳の分からないことを言い出すひかりさん。


 ハーレム計画って……どこぞのトラブル宇宙人ですか。

 というか僕にそんな甲斐性が無いってことぐらいひかりも分かってるはずなのに……


「ちょ、ちょっと待って、ハーレム? ハーレムって男が何人もの女性を侍らすあれ?」


 タイミングが良いのか悪いのかラケルさんがお店の入口で戸惑いの表情を見せてあたふたしている。


「ええ、あなたもその一人ね」


「ま、待ちなさいよ! やっぱりあなたは魔女だったのね! なせるくんは私と結婚するの! ほかの女と一緒なんて絶対嫌っ!」


 ひかりがクロニャを見てから僕の目を見る。

 言わなくても分かってるさ。これは僕から言わないとダメだろう。

 それとは別にハーレムの件はきっちり説明してもらうからな。


「あー、そのー、クロニャ……すごく言い辛いんだけど、僕はそこに居るひかりと結婚したんだ」


「え?」


 驚きから絶望に変わっていくクロニャの表情を見て心が締め付けられる。


「嘘……だって、なせるくん私のことが好きだって……あんなに私の事、愛してくれてたのに……嘘、嘘、嘘……嘘よ!」


「……ごめん」


 クロニャの悲痛な叫びに謝ることしか出来ない自分が情けない。


「なせるん違うでしょ。謝るんじゃなくて自分の気持ちを正直に言うべきよ」


「そんなこと言われても……」


 ポロポロと涙を流すクロニャにシロニャさんが寄り添ってなだめる。


「なせる君お願い。あなたがクロニャをどう思っているのかこの子に言ってあげて」


「だけど僕にはもうひかりが……」


「はぁ……もう、仕方ないわね……あの日何があったか思い出しなさい」


「あの日……?」


 次の瞬間、僕の頭の中に次々と映像が雪崩込んで来て、忘れていた記憶を思い出した。いや、思い出してしまった。


「ァァァア、アアァァァッ!……ボクはっ!……僕はっ……なんてことを……」


「「なせる君!?」」


 僕は思い出してしまった。

 あの日、クロニャにしてしまった事を。

 自分がしてしまった取り返しのつかない過ちを。

 自分が如何に醜い欲望を抱いていたのかを。

 後悔と罪悪感で心が押し潰れる。


「あ、あなたまさか、なせる君に思い出させたの!?」


「ええ、そうよ。仕方無いじゃない、ウジウジしてるんだもん。本当ならなせるんがもう少し強くなってからが良かったんだけどね」


「なんてことを……! なせる君、良いのよ、あなたは悪くないわ。私が全部悪いの。だから今忘れさせてあげる」


「ダメよ」


「くっ!? 体が、動かな、い」


「ラケル、あなたはそこで大人しくしていなさい」


「さあ、なせるん言ってあげなさい。クロニャをどう思っているのか」


「ぁぁ……クロニャ……僕は、僕はあの時、自分の欲望を抑えられずに君にぶつけてしまった……それなのに僕は……その事を忘れて、ひかりに出会って浮かれて……最低だ……最低のゴミクズだ……僕は、僕は、君にどう償えば良いか分からない……許してくれとは言わない、だから、どうか僕に、僕がしてしまった過ちの責任を、君が幸せになれる手助けを、させて欲しい……」


「違うよ、なせるくん。責任とか償いとかそんなの要らないよ。ただ私を、私だけを好きで居てくれる、それだけで私は幸せになれるんだよ?」


「ぅぅ……ごめん、ごめんよ……クロニャ……僕は、僕は、もう、君を……君だけを想い続けることは出来ないんだ……君を好きな気持と同じか、それ以上にひかりを、ひかりの事を愛してしまっている……だから、だから……うぅ」


「……ふふふ、ごめんねなせるくん。わがまま言っちゃったね。知ってたよ。なせるくんがあの人のことを見る目がすごく優しくて、私なんかじゃ全然勝てないなぁって、知ってたんだよ……それでも、それでも諦められないから、なせるくんの事が、好きです……私と、私と結婚してください!」


「っ! ……それは」


「出来るよね? だって私がハーレムを作るって決めたんだから」


 ひかりに視線を向ける。

 色々な感情が渦巻いてどんな表情をひかりに見せているのか分からないがひかりは驚いた表情をしていた。


「元々独り占めなんて出来そうに無いことぐらい分かってたもん……なせるくんすごくカッコいいし、優しいから。だから乗ってあげる。あなたのハーレム計画」


「クロニャ……」


「ふふ、そんな顔しないで。今は一番じゃないかもしれないけど、いずれはなせるくんの一番になってみせるから覚悟してね」


 クロニャの心からの笑顔に僕の中で渦巻く重く息苦しい何かから救われ、暖かい気持ちでいっぱいになり涙があふれて止まらなくなってしまった。

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