国家の犬

カント

本編

 下らねえミッションだ、と、俺は何度目になるか分からないボヤキを吐いた。


「たかが歴史学者相手に殲滅部隊なんざ、税金の無駄遣いもいいところだぜ。なぁジョン、今からでも遅くねえ。チームの数を見直さねえか?」


「見直したとしても」


 傍ら、迷彩服に身を包み、アサルトライフルの最終整備を行う相棒は、低い声で笑った。


「俺たちが出ることに変わりはないぞ、ハチ。管を巻いてる暇があるなら、ウォーム・アップか装備のチェックでもしてろ」


「つれねえなぁ。そんな風だから女房にも逃げられるんだ」


「各班、所定位置に着いたな? 事前の説明通り、A班は待機、B班とC班が左右ルートから合図と同時に突入だ。中央からは俺たちが行く」


 俺の言葉を無視して、ジョンは別チームに通信を送る。小隊長殿としての振る舞いは、将に御立派の一言だ。俺は感嘆の溜め息を吐き出した。


「相変わらず素晴らしい忠犬っぷりだぜ。拍手と鶏肉を贈呈してやりたいね」


「歴史学者だからこそ、だ」


「はぁ?」


「俺たちが出張る理由だよ。ビッグ・ブラザーは不安なのさ。だからこそ忠犬を欲しがる」


 それだけ言って、ジョンは俺の肩を一際強く叩いた。何のことやら訳が分からんが、叩かれた理由は分かる。俺はインカム内臓のヘルメットを深く被り、アサルトライフルを構えなおした。


 数秒後、GO、の合図が、インカムと傍らの両方から流れた。相棒と共に正面に在ったサビだらけの鉄扉をブチ破り、細長く薄暗い灰色の通廊をひた走る。その、少し後だった。


 建物全体を揺るがす衝撃と、遠くからの爆音が、走る俺たちの体を鷲掴みにした。


「B班、C班、何があった! 状況を伝えろ!」


≪こちら待機A班、B班の突入ルートから爆炎を確認! トラップの模様! B班からの応答なし!≫


「トラップだぁ? おいおい待てよ、相手はなまっぴょろい学者だぜ?」


「A班、B班の状況確認および救出に動け! C班、同様のトラップに警戒しろ! ……ハチ!」


「OK、ボス」


 遠赤外線レンズモードにヘルメットの視野を切り替え――このモードは只管に視界が崩れて、俺は大嫌いだった――次の鉄扉にトラップが無いことを確認しつつ、ゆっくりと次の部屋に入る。また遠くで爆音がした。どうやら駄犬どもが盛大にトラップに引っかかっているらしい。ジョンは俺の後ろについて、各チームからの通信を受け取り、指示を出している。つまり、俺たちコンビの生死は、現状、俺に委ねられているということだ。下らねえミッションだが、この感覚は悪くない。


 俺とジョンは只管、この古びた薄暗い夜の廃工場を、トラップを警戒しつつ進んだ。入り口が三箇所、そして内部は迷路のように部屋と通廊が張り巡らされていたが、内部の構造は粗方頭に叩き込んである。やがてターゲットが潜んでいると思われる地下の一室に辿り着いた頃には、別班が皆揃ってアホだったことが露呈していた。


「情報によれば、ここだが」


 何の変哲もない古びた鉄扉の前に立ち、俺は後ろを振り返る。ジョンはただ、首を縦に振った。俺はそれを受け、トラップが無いことを何度も確認した上で、駄犬どもへの弔いとばかり、一際強く扉を蹴り飛ばした。


 中は殺風景だった。古い木製の机と椅子が幾つか並べられているが、それだけだ。他に在るのは、一つ。部屋の中央から垂れ下げられたランタン上の灯の下に、鼻の黒い男が一人、だ。


「へい、フリーズ。会えて光栄だぜ、噂の歴史学者様。いいか動くなよ、動いたら容赦なく眉間をブチ抜く」


 アサルトライフルの銃口を向けつつ、スーツ姿の男に近づく。そうしながら、俺は周囲の匂いを注意深く嗅いだ。……薬品の匂いはしない。トラップも見当たらないし、遠赤外線レンズモードで見ても、下手な装置の反応は無い。男は……どうも丸腰のようだ。追い詰めていることは確実だが、どうにも気になる。その、如何にも平静、泰然自若たる様相が、だ。


「悪いが仕事でな。両手を上げろ。下手な真似はするなよ。大人しくしてたら、精々犬歯をかち割るくらいで勘弁してやる」


「きみは考えたことがあるか? 自身が何故、わたしを拘束せねばならないのか」

 不意に、鋭い声で男が告げた。黙れ、と、俺は銃口を突きつける。


「余計なことをくっちゃべってんじゃあねえ。虫唾が走る」


「余計ではない。重要なことだ。真実の探求者、歴史の発掘者となるには」


「その歴史ってのは鶏肉より豪勢なのか? そうなら考えてやってもいいがな、腹も膨れねえもんに興味はねえよ」


「そう言うな、ハチ」


 不意に、頭の後ろで、カチリ、という音がした。同時に、ゴン、と、ヘルメットに硬い何かが当てられる感触。


「銃を下ろして、よく考えてみてくれ。お前も疑問だったろう? たかが歴史学者に、何故これだけの部隊が必要だったのか。言わずもがな、それはこの先生が危険だったからだが、ではどうして、歴史の探究者が『危険』と判断されると思う?」


「……おい」


 俺はパチパチと何度も目を瞬かせて、しかしそれでも分からず、ようやくそれだけ絞り出した。混乱――そう、混乱だ。俺は混乱していた。


「ジョン?」


 どうした相棒、突然何をトチ狂ってる――そう尋ねる前に、眼前、スーツ姿の男が続ける。下らねえ話を。


「政府――いや、世界のあらゆる機関が、真実から目を背け続けているのだ。愚かだろう? 拒絶し続ければ、いつか逃れられると思っている。だが、それは幻想だ。あらゆる知的生命は真実へ収束していく。第四の本能と言ってもいい」


「本能を否定することは出来ない」


「ジョン……お前の女房にマジで同情するぜ」


 俺はようやく声を吐き出した。銃は下ろさない。下ろしてはならない。経験が告げている。


「お前のユーモアのセンスは四つ足の獣以下だ」


「そうかもな。何せ、俺たち種族は、つい千年前まで四つ足だった。いいか、数千万年前じゃあない。『千年前』だ」


 いよいよ話が怪しくなってきた。俺は心底ムカついてきたが、ジョンは一切銃を下ろそうとしない。俺と同じように、だ。くそったれ、と俺は胸中で吐き捨てていた。


「いいかハチ、政府やガキの頃に見た教本が伝えてる歴史は、全部偽りなんだ。俺たちは長い時を経て、四つ足から二足歩行の知的生命へと進化したと言われてる。だが、実際は『進化させられた』が正しいのさ。俺たち以外の知的生命体によってな」


「その第三者――我々はヒューマンと呼んでいるがね――の介入が無ければ、わたしたちの種族は今も、地を這う四つ足の獣だっただろう」


「オカルトは余所でやれ」


「オカルトじゃないのが問題なんだ。世界は事実を認めたがらない。自分たちは『自力で真っ当に進化した高等生物』だと考えたがっている。そんなガキじみた自己満足な矜持のせいで、多くの罪も無い智者が殺される訳だ」


 そんなことが許されていいのか、とジョンは言った。


 俺はただ、溜息を吐いた。


「俺はな、ハチ。愛想が尽きたんだ。正義も大義も無く同族を殺し続けるこの糞みたいな仕事と、それを望み続ける世の中に。だから俺は、この学者先生と共に、ここで死んだことにする。そしていつか、この嘘塗れの世界をひっくり返す。

 なぁ、もう随分と長い間、俺とお前はコンビでやって来たよな。俺はお前を信頼してる。お前が俺を信頼するように。だから、お前に頼みたいのさ。俺たちと共に来るか――或いは、上に『俺と先生は爆発で死んだ』と、そう証言してくれないか」


「二つ、聞きてえんだが」


 俺はアサルトライフルを下ろし、腰に手を当て、再度溜め息をついた。つまり――この突入劇は、他の駄犬どもを巻き込んだ、はた迷惑な狂言自殺だったわけだ。十中八九、計画を組み立てたのはジョンだろう。


「お前らの言う、俺たちを二足歩行にしてくれた立役者様たちだがね。そいつらは何処へ行ったんだ?」


「はっきりとは分からない。ただ、とある年代を境に、痕跡が一切途絶えていることから、集団でどこかへ移住した可能性が高いだろう」

 どこかってどこだよ、と、俺は男の言葉を鼻で笑った。それから続ける。もう一つ。


「そいつらはどうして、俺たちのご先祖様を二足にした?」


「我らの祖、進化前の種族と彼らは、強い信頼関係で結ばれていたという記録がある。彼らがこの世界を後にし、我々を遺したのは、我らにこの世界を任せた、ということなのかも知れないな」


「任された? 成る程、愛嬌のある解釈だぜ」


 もう一度、俺は笑ってやった。愛嬌のある――我ながら柄にもない、優しい言葉を使ったもんだ。


 正しく言いなおすなら、こうだろう。『能天気で』『楽観的な』解釈だと。


「押し付けられた、の間違いじゃねえのか?」


 言うなり、俺は腰に提げていたハンドガンを抜いて、躊躇いなく学者の頭を撃ち抜いた。それから、動揺したらしいジョンに向き直り、煙を吹くハンドガンの銃口を顎に押し付けてやる。


「ハチ、お前」


「正気か、ってか? 当然だろ」


 俺は忠犬だからな、と告げて、俺は再度――躊躇うことなく――引き金を引いた。




   ●


「――状況は把握した。多大な犠牲が出たミッションだったが、ひとまず君が帰還したことを喜ぼう」


 よくやった、と、でっぷり太ったお偉いさんは俺の肩を叩いた。その隣を、ビニールシートに巻かれた多くの亡骸が、担架で運ばれていく。あの中にきっと、あの学者野郎も居るのだろう。勿論、ジョンも。


「ところで」


 お偉いさんは俺に顔を寄せ、小さく、囁くような声で尋ねてきた。


「あの学者から、何か妙なことを聞かなかったかね? なに、妄言の類だが、念の為、な」


「……さて、俺ぁ頭が悪くてね。確かに、あの学者野郎も元相棒も何やらグダグダ喋ってたが、右から左に聞き流れちまった」


「ジョンと君は十年来のコンビだったそうだが」


「俺が忠誠を誓ったのはジョンじゃあない。我が愛すべき国家に、ですぜ」


 極々率直な意見だったが、どうやらお偉いさんにはそれも疑わしいらしい。奴は俺の顔を暫くじっと見つめた後、ふん、と鼻を鳴らし、ようやく俺から離れた。


「ならいいのだがね。しかし、忠告はしておこう。奴らから何か聞いたとしても、決して本気にしないことだ。頭のイカれた奴らは、妄言を振り撒いて国家に災厄をもたらす」


「仰る通りで」


 俺はもう一度、傍らで運ばれていく担架に目を遣った。……ああ、マジに――。


「――そうだ、一つだけ質問しても?」


 告げると、俺から離れようとしていたお偉いさんが、険しい顔つきで振り返った。まるで噛みついて来そうな表情をしている。俺は記憶を手繰って尋ねた。


「『ビッグ・ブラザー』ってのはどういう意味か、御存じで? いやナニ、ジョンが何かの喩えで使った言葉なんだが、学の無い俺にゃあトンと意味が分からんもんで」


 何だそれは、と、お偉いさんが言った瞬間だった。突如、強い光が――閃光のような輝きが――夜を真昼に染め上げた。


 流石の俺もポカンとして、光源へ目を遣る他無かった。光源は、空。夜の、遠くのビル街に――無数の巨大な円盤状の飛行物体が見える。銀色に発光するそれらは、何やらとても綺麗な音色を奏でていた。それで、俺はふと思い出していた。


『お前らの言う、俺たちを二足歩行にしてくれた立役者様たちだがね。そいつらは何処へ行ったんだ?』


『はっきりとは分からない。ただ、とある年代を境に、痕跡が一切途絶えていることから、集団でどこかへ移住した可能性が高いだろう』


「どこかって」


 気づいた時、俺は笑っていた。ガキの頃、オカルト番組の再現VTRで見たような光景が目の前に広がっているのだ、無理はないだろう。そう、ジョンらが言っていた『第三者』は、きっと、確かに存在して、旅立っていたのだ。ここではないどこか――空の向こう、宇宙へと。そして、恐らく、帰ってきた。


 真昼のような輝きの中、最後にもう一度、担架に乗せられた亡骸へ目を向ける。


「マジに下らねえミッションだったな、相棒」


 吐き捨てた言葉に、担架の誰かの亡骸は、何も応えちゃくれなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

国家の犬 カント @drawingwriting

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ