第3話 はじめての場所

 無言のまま連れられて駅へ繋がる道を少し戻り、更に曲がって進んで行く。やっと少し心に余裕がでてきて、意識が怪我から斜め前を歩く男に向いた。黒いチノパンに襟付きの白シャツをインし、腰にはベルトをしている。私服にしてはいささかシンプルでフォーマルだ。髪は黒髪が短く切られ清潔さを感じた。顔は、先ほど正面から見たときはそこそこ整っていた気がする。ここから見える横顔も端正な顔立ちである。

 なんとなくを装い観察しながら、そこまで広くない路地をどれくらい歩いただろうか。斜め前方を同じ速度で歩いていた男が、ついにひとつの建物の前で立ち止まった。


 建物といっても一軒家で、でもただの家ではなく一味違う特別感があった。ガラス窓が埋まっている木の扉が正面にあり、壁は一部がガラス張りになっている。そのガラスは綺麗にに透けるもので、賑わっている中の様子が見えるようになっていた。テーブルと椅子が並び、そこに座る人たちはそれぞれ連れと会話をしたり一人の時間を過ごしていたりと様々だ。そして入り口のすぐ脇には、シンプルだが安っぽくない立て看板があり、「Ciel」と書かれていた。どうやらここは何かの店――雰囲気的にカフェあたりだろう。


 男は自転車を端へ止めると、こっちと一言言うだけで身を翻し迷わぬ足取りで建物と建物の間にある細い通り道へ向かっていく。建物の様子をぼんやりと見ていた柚瑠は、はっと意識を戻し早足で後へ続いた。

 その道へ入り建物の側面の更に少し後ろの方へ来たところにまたドアがあり、男はそのドアノブに手をかける。恐らく裏口だろうが、本当に入っていいのかと柚瑠は内心困惑気味だ。しかし口に出すことはできずじまいで、躊躇いなく開かれたドアの中へ男は遠慮無く入っていく。こうなるともう一緒に入るしかなかった。

 この人はいったい誰?ここのスタッフ?それともただの不審者?クエスチョンをいくつも抱えながらも黙って歩みを進めると、とある部屋にたどり着きドアが開け放たれた。


「和海、救急箱。あと氷。」

「……帰ってきて第一声がそれなんだ?」

「うるさい、呑気に休憩してるお前の代わりに、入れ物ごとぶちまけたグラニュー糖買ってきたんだぞ。」

「だってせっかくの休憩だよ?」


 中には和海と呼ばれる人物――声からして男だろう――がいるらしく、入っていった男としたしげに言葉をかわしているようだ。なんとなく入りづらくて入り口の前で足を止め、部屋の入り口で足を止め覗くように顔を出す。

 コーヒーの香ばしい香りが微かに漂う中、中は真ん中に大きい長方形の机が置かれ椅子がいくつか設置されている。その一つにもともと部屋にいた男が寛いでいだ体制で座り、その前に先ほどの男が立っていた。

 座っている男性は茶髪で、所謂いかにも女子が騒ぎそうな容姿をしている。ザ・イケメンというやつだ。


「休憩なら、自分が使う物だし買ってくれば良かっただろ。」

「そこはぶちまけた本人が責任をとって買いに行くのが筋でしょ。」


 中を覗く柚瑠は放っておかれ、2人の雑談はそのまま進んでいく。割って入るタイミングを見失いそわそわと落ち着きなくしていると、自転車男のほうがやっと最初の話に戻した。


「ったく、お前が買ってくれば怪我人なんて出さなかったかもしれねぇのに。」

「そういえば、救急箱とか言ってたっけ。怪我人いるの?」

「ああ、手首痛めた奴が。」

「へ?どこに?」

「そこに。」


 男が振り返り柚瑠の居場所を視線で示せば、座る男の目も此方へ向いた。二人の視線が一気に集中し、柚瑠は思わず身を引きかけた。何とかそれを堪えつつも身体に緊張がはしり、「あ、えーっと……」と口籠ってしまう。


「あれ、女の子?類が女の子連れてくるなんて珍しい…知り合いかな?」

「初対面だけど。」

「マジで?しかも怪我って、もしかしてお前何かやらかしたの。」

「話すよりもまずは治療が先だ。……中入ってこいよ。」


 少し乱暴な口調とは裏腹に優しい声音で呼びかけられ、素直に頷いて柚子は足を踏み入れた。自転車の男が流れるような動作で座るようにと椅子を引いたので、ありがとうございますとお礼を述べ座った。

 もう一人は立ち上がりどこかへ行ったかと思えば、すぐに取っ手のついた箱らしきものを手にして戻ってきた。類という男がそれを受け取り、柚瑠の隣の椅子に座って向き合う。

 そして突然頭を下げた。

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