一章 未知の世界と未知の出会い
第1話 癒やしと不安
授業の終わりを告げる鐘が響く。
GWが過ぎ去った次の日の今日、よりによって平日最後の金曜日だからかどの授業も出席率が悪かった。まだ長期休暇気分で自主休校した生徒がほとんどだろう。5回まで欠席しても大丈夫なので、一度休んだくらいでは成績に影響は無い。しかし、柚瑠は3コマ受講しているが、どれも休むことなく全て出席した。別に特別することもないし、休んだ分の授業を後で誰かに聞くのも相手に申し訳ない。少なくとも、休み明けで怠さを感じたことは否定しないが。
授業の荷物をリュックにしまうと、それを背負い足早に講義棟の外へ出た。待たせている人がいるのだ。
「絵奈、お待たせ!」
「やっほー、久しぶりだね、柚瑠」
待ち合わせ相手は、ふんわりと柔らかい声音に見た目もゆるふわなのは加藤絵奈である。
栗色の艷やかな長い髪を緩く巻き、ハーフアップの位置でリボンのバレッタで留めている。服装も、袖の部分がシースルーの白いトップスに、若草色のハイウェストなフレアスカートという出で立ちで、いかにも女の子という姿だ。密かに異性の間で人気のある彼女は柚瑠にとっても癒やしであり、自分を支えてくれた中学からの大切な親友である。
学部は違うが縁は大学でも途切れず、時々こうやって待ち合わせてはお茶を飲んだりご飯をともにしたりしている。今日はGW明けで久々の再開なので2人で会おうという話になった。
どこへ行くかは決まっていないが、賑わいのある方へ自然と足を向け歩き出す。加藤の横に並んだとき、僅かに清潔な甘い香りがした。恐らく柔軟剤だろう。こんな匂いを振りまく可愛い子がいたら男の一人くらいいそうなものだが、大学にはいってから未だに一度も彼氏がいないのが不思議だ。
「そういえば、柚瑠はGW、どこか行ったの?」
柔和に微笑む加藤に、柚瑠も自然と微笑みを浮かべ口を開く。
「私はどこも行ってないよ、行くところ無いし。」
「えー、もったいない、せっかくの連休なのに。」
「一人で出かけても悲しいだけだから、おとなしく家に引きこもってた。」
人混みは疲れるだろうしバイトもしていない。彼氏や他に出かける相手もいないので、ひたすら勉強か寝るかただぼんやりするかの生活だった。こういうのを世の中では堕落、というのだろうか。
あまりにもやることがなくて、前から興味があったお菓子作りに手を出したりもした。見事にぺちゃんことなったシフォンケーキに乾いた笑いを漏らしたのはいい思い出だ。
出かける相手なら加藤がいたといえばいたが、彼女は彼女で大変なので誘うのは憚られた。
「そっちこそ、ずっとお店だったんでしょ?」
「うん、いつも通り実家の手伝いだよー。何気に人気あるみたいで忙しいんだよね。」
加藤の実家は洋食店を経営しており、休日はかなり忙しい。実家通学なので、休日で家にいるときは大体その手伝いをしている。
「偉いよね、絵奈は。」
「私も嫌いじゃないからやってるの。結構楽しいよ。」
楽しいと言うその顔が輝いて見えて、柚瑠は目を細めた。充実した連休をうかがわせ、内心羨ましさを感じていると、加藤が何気ない様子を装うように切り出す。
「柚瑠のほうは、やっぱり実家に帰らなかったんだ……?」
「……うん。」
柚瑠の表情が僅かに陰りを帯びた。
実家。それは柚瑠にとって、生地獄。
柚瑠の父親は相当厳格な人物で、血の繋がった子どもにも容赦がない。忙しいので家にいる時間は少ないが、いないときでもあの家の中はとても窮屈に感じた。家にいるときはできるだけ出くわさないように部屋にこもったり、わざわざ図書館へ出向いて勉強したものだ。
そこまで思い返したところではっとした柚瑠は、過去を封じるように目を閉じ、重たい息をゆっくり吐き出す。
その様子を見た加藤はその大きな瞳を伏せ、そっか、とトーンを落として呟いた。
「そんな気にしないでよ、いつものことじゃん。」
自分を気にかけてくれる友人に苦笑しながら綴った言葉には、それでも隠しきれない苦々しさが混じっていた。
加藤は、今までもずっと柚瑠の事情を理解し支え続けてくれた、数少ない中の一人でもある。苦しいときは黙って側にいて、帰りたくないときは加藤家の都合が合えばお邪魔させてもらった。加藤の両親も公認の仲良しで、中学、高校、大学の全てが一緒だったりする。
しかし時折自分が頼り過ぎなところと感じて、加藤を縛りつけているのではないかと不安になる。高校まではともかく大学・まで一緒なのは、もしかしたら気を使わせているんじゃないかという思いが拭えない。
他にも行きたい大学があったのではないか。無理して自分についてきたのではないか。
一番近い距離にいる相手だからこそ、何となく聞きづらい。しかし考えれば考えるほどそう思えてきてどうしようもない。
柚瑠は加藤に悟られないよう、静かに自嘲の笑みを漏らす。そして何もなかったように装い、真っ直ぐ前を向いた。
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