囚われた籠の中で

泉 楽羅

Prolog 『目を背けることは許されない』

 幼い頃から家にいるのが嫌だった。

 あの人と顔を合わせる、それたけで何度心を握り潰されたことか。

 廊下に響く足音、それがこの部屋の前で止まり、ノックもせずドアを開ける。


「おい、この成績はなんだ。全然ダメだな、鈴宮家の人間として相応しくない。」


 身体の芯を貫くような硬い声が聞こえた瞬間、耳を塞ぎたい気持ちになった。その声はいつも自分を責めては追い詰め、心を折られてしまう。

 身体が思うように動かない、顔も上げられない。

 反抗する言葉はその人の威圧にあっさりと脆く崩れ、後には黒く重たい鉛のような絶望と諦めだけが残る。

 これから先も、この人に縛られなくてはいけないのか。嫌気がさすどころの話ではない。叶うならば、今すぐにここから消えてしまいたい。

 絶対に叶わないとわかっていても。


 現実から目を背けることは許されない。

 目の前に迫る影が、暗にそう物語っている。


「こんなこともできないのか。」

「くだらないことに気を取られるな。」

「鈴宮の恥だぞ。」


 ああ、もう、やめてくれ。

 それ以上言われたら、私は――



「お前は一番でなければいけないんだ、柚瑠。」









 ハッとなって目を開けた。

 視界を捉えたのは白い天井。

 ああ、またこの夢か。

 携帯の時刻は朝の6時前。学校があるにしても、まだ寝られる時間がある。その上寝覚めは最悪だ。これ以上寝られる気分でも無い。柚瑠は重々しく溜息をつきながら、仕方なく身体を布団から起こした。


 柚瑠が大学生になって一年と少しが経つ。もうすぐ二十歳を迎えるが、実感は全く無い。

 大学と実家はそこまで離れているわけではないが、何とか両親を説得し部屋を借りてひとり暮らしをしている。自立したいというのが表向きの理由で、実際はあの家から出たかったというのが本音だ。

 ひとりでの生活は簡単なものではないが、なかなか充実している。実家に比べれば何倍も楽しい。

 心地良い開放感を味わいながらも、成績はやはり親にも見られるので学業には気を抜けない。だがそれでも、おおよそは自分の望んだ生活が送れている。


 ただ一つ、現時点で満足できていないといえば、バイトを自由にやらせてもらえないということだ。自身はすぐにでも始めて自分で稼ぎ、自立した生活をしたいと考えていたが、親がそれを許さなかった。大学生活に慣れ、成績も落とさず無事に一年間を過ごせたらバイトを解禁しても良いという条件。そんな厳しい父親からの指示を守りやっと4月に許可が降りたわけだが、コンビニのような適当なバイトはしたくないと無駄に拘り続けた結果、良さげなバイトが見つからず一ヶ月が既に経っている。特にお金に困っているわけでもないので、いつか見つけられればいいかと半ば諦めモードに入りかけだ。まあきっとなんとかなるだろう、そう自分に言い聞かせてばかりの今日この頃。


 隠しもせず溜息をつきながら、柚瑠は慣れた手つきで朝食を作っていく。今日のメニューは白米に甘い卵焼き、それに温かいスープだ。時間があったので少し凝ったものを作ったが、気晴らしになったのか先ほどまでの暗い気持ちが幾分か楽になった。


 5月の始め、まだ朝は少し寒さが残る。スープのお椀を両手で持ち、その温かさに思わず目を細めた。

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