異世界から戻ってきても

 植物採取だから、もっと動かないものだと思っていたら大間違いだったみたいで、割と移動した。でも、街の清掃は腰とかに響きそうだなとも思った。

 異世界である

 あっちの世界から戻ってきて、こっちの世界では夏休みの間限定でバイトに打ちこんでいた。とは言っても、身内が店主のお店だけあって、こき使われていた。朝からパンを捏ねたり、型を抜いたり。お菓子やパンの製作過程は意外に重労働だったりする。力が足りないところはあれど、基本的には六年生のぼくでもできるはずだ。

 そうして午前中を過ごし、午後のおやつ時さえ迎えればこっちのものだ。そこからはあまりお客さんは増えないし、どちらかというと珈琲とか食事ものが多くなる。

「克人、今日もご苦労さん。もう終わって良いぞ」

「はーい」

 もともとはおじいちゃん一人でやっていた店だから、一人でも十分店は回る。だから、多少忙しいおやつどきになれば、ぼくがいなくとも厨房は回る。そんなわけで、ぼくはいつもあっちの世界に行くために使っているあの部屋であっちの世界の本を読んでいた。

 あの部屋はちょうど魔力の流れる地脈の起点の一つらしい。だから、あっちの世界との接続もよく、魔法を使いやすいのだとか。使いやすいと言っても、こっちの世界は魔力が霧散しやすいらしく、地脈の起点でもなければ魔法をまともに使うこともできないらしい。そんなわけで、この部屋にはあっちの世界へ行くための『強制転移』の魔法陣が描かれていて、その人に魔力を流し込むことで魔法を発動させているらしい。

 魔法に必要な工程は構築と発動。魔法陣は構築の工程の代わりになる。

 一通り教科書は読んでいるけど、細かいところは読み飛ばしたし、復習がてらちょうど良いと思って最初から読んでいる。この部屋に行く前におじちゃんにもらったコーヒーとケーキを食べながらの読書(教科書を読むこと)は楽しかった。ちなみに今日はコーヒー風味のシフォンケーキだ。うん。やっぱり、おじいちゃんがちゃんと作る料理とかお菓子は美味しい。甘さ控えめの生クリームが添えられたシフォンケーキは保温させていたからか、まだ暖かい。いくら夏が終わろうとしている八月だからって、この部屋が北向きなせいか、外に比べてなかなか寒い。太陽の光は今ぼくのいる入り口から見て奥の壁の天井近くからしか入らない。だから、この部屋は割と寒い。

 入れてもらったアイスコーヒーを飲みながら、やっぱりホットコーヒーを淹れてもらったほうが良かったかななどと考えている。まあ、こんなに何もないと、つまらないと思っていた人生も割と楽しくなってきた。

 流石に疲れたなと思って、座っていた床を立ち、大きく伸びをしてから持ってきていたカバンに入れておいた小説を取り出す。今日はあの、フィンランドを代表する女性アーティストトーべ・ヤンソンの『島暮らしの記録』だ。読んでいて面白いというよりも、トーべ・ヤンソンの素直な島暮らしに対する思いや事実が書かれていて、割と好みだった。もちろん、ムーミン谷シリーズが面白くないわけない。

 だけど、前半に対して後半が暗いから、読んでいて辛くなってしまった。その点、こっちはずっとノスタルジックな感じで繰り広げられるから読んでいても飽きない。

 そういえば、この夏の間に、随分と変わったなと思う。

 多分、あったら良いなと思っていたものや世界が現実にあって、その世界に触れることができたから、だから、楽しいんだ。つまらないなと思っていたことも、魔法っていうものがあるからこそ、楽しく感じられるようになったんだと思う。

 毎日が楽しい。

 朝を迎えるのが待ち遠しい。

 明日という日があることが楽しみで仕方がない。

 だから、こんな日がいつまでも続いてほしいなと思う。

 世界をつまらないと感じると、生活全体が暗くなる。

 ぼくは始めた魔法に触れて、知らない人と急激に親しくなって、そうやって濃密な時間を過ごした日々の間にだいぶ変わったみたいだ。それは、今朝、親に言われて気が付いた。最近楽しそうねって言われて、語尾が柔らかくなったなって言われて。それで気が付いた。

 本の内容に没頭して冷めてしまわないうちに食べ切ってしまおう。そう思って、パクパクとケーキを食べる。幸せな午後のひととき。


 家に帰ってご飯を食べてお風呂に入れば、流石に二十四時間以上も活動しているせいか疲れが出てくる。それでも、なんとなくパソコンのメールアプリに何か来ていないかと思った。それで、眠かったけど、更新ボタンを押した。いつも通り、特にいらない広告メールの中に、ある作家の新作情報が載っていた。その作家は深海沢理恵ふかみさわりえという女性作家で、数年前からたびたび本を出していた。その作家の作品が好きで、しかも、新作情報とあり、流石の眠気も吹き飛んだ。

 その後、興奮も収まらぬままに寝てしまったのはいうまでもない。

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