魔法学院ー1日目 金木犀の中庭

 誰もいない廊下は寒かった。

 でも、窓から差し込んでくる光のおかげで、目に入ってくるのは暖かな廊下だった。

 いくつもの教室、研究室、実験室、実習室。扉の間隔はまちまち。偶に変な彫刻があったかと思ったら、その横には美しい絵画がある。だけど、その統一性のなさを包み込む一つの統一された空気。廊下や壁の材質の統一感。扉の統一感、窓の統一感。その、校舎としての統一感があった。

「克人くんは向こうの世界では何をしているのですか?」

「向こうでは小学生、えーっと、なんて説明したら良いんだろう」

「ああ、そう言うことではなく、趣味の話です」

「すみません……」

 なんか変な方向で質問に答えてしまった。恥ずかしいな。

「謝る必要はどこにもありません。それに、私の聞き方も直接的ではありませんでした。もし非があるとすれば、私にあります」

 エインスさんの顔を見上げると、会った時と変わらず、人の良い笑みを讃えていた。窓の光がエインスさんの顔に当たったり、窓と窓の間では光が当たらなかったりした。

「そうですね、それでは、私の趣味を聞いていただけますか?」

「あ、はい」

「私、実は日記と言いますか、半ば小説じみたものを書くことが好きでして。と言うのも、きっかけは理事長に、いや、リタお嬢様にあります」

「あの、お嬢様ってことは、理事長は貴族の令嬢なんですか?」

「そうです。私は元々、リタお嬢様のご実家、フィートネール家でリタお嬢様のお側付きを仰せつかっておりました。当時の執事長から、毎日欠かさず、リタお嬢様が何をされたか、報告するようにと言われていました。お恥ずかしながら、まだまだ若く、角のあった私は報告書なんてなんの意味があるのだろうかと思っていました。もちろん、報告書ですから、最初は箇条書きにして要点をまとめただけのものを提出していました。しかし、ある時、私が報告書を提出しに行くと執事長に怒られてしまいました。察しの良い克人様は、なぜだかわかりますか?」

 そう言われて、分かりませんとは言えなかった。

「結論を言うと、私の提出報告書は小説のようになっていたのです。それこそ、お嬢さまの若々しいをこと細かに描写していました」

 結局答えはエインスさんが言ってしまった。

「今思えば恥ずかしいことなのですが、当時の私には趣味とするものがありませんでしたので、お仕えするお嬢様の姿に感動し思わず書いてしまったのでしょう。あの時のお嬢様は本当にカッコ良かった」

 昔懐かしい記憶に、エインスさんは目をより細めていた。

「それにしても勇姿ということは、理事長は何かと闘っていたのですか?」

「ええ。まあ今のお嬢様からしたらたわいも無いものなのですが、ヘビから庭に迷い込んだ猫を助けられていました」

「ヘビって、毒とか無かったんですか?」

「はい……」

 良かった。理事長は強いのだろうけど、いくらなんでも子どもに毒ヘビは重すぎるよね。うん。

「いえ…良く思い返して見れば、あれは毒へどでしたね」

 克人の安心は一瞬にして消えた。

「まあ、お嬢さまは属性の基礎魔法、大地獄で蛇を焼き払われていましたね」

 自分でも分かるぐらい今の僕は唖然としている。

「ああ、ご安心ください。毒の混じった煙は、私が大気属性の魔法で集めて閉じ込めた後に、安全に処理しましたので」

 確かにそこも気になってはいたんだけど。僕が驚いているのはそっちじゃなくて。なんで、近くで見ていたのに、安全に対処できるはずのエインスさんが理事長を見守るだけしかしなかったのかと言うこと。

「理事長は危なくなかったんですか?」

 そう聞くと、エインスさんのまとっている雰囲気が一気に変わった。

 とてもじゃないけど、僕が踏み込んで良いような話題に足を突っ込んでしまった気がする。

 心なしか、エインスさんの表情も恐い。笑顔なのは間違い無いけど、笑顔の中に底知れない闇があるような気さえする。

「はい。ご安心を。私はお嬢様にお仕えする身。お嬢様の成長を促すように仕向けることはあれど、お嬢様を危険な目には合わせません」

 その確固たる意思は伝わってきた。それは多分、心の底からの忠誠だろう。だから、僕はそこで言及するのをやめた。

「それなら良かったです」

「まあ、流石に毒蛇を火属性の魔法で退治しようとするとは思いませんでしたが。それについては流石の私も肝が冷えました」

 その口調はついさっきまでの物腰柔らかなエインスさんに戻っていた。

 器が大きいというか、貫禄が違う。それに、胸の内の闇が底知れない。

「それでは、克人くんの趣味をお聞かせ願えますかな?」

「あ、はい」

 どうしようか。全く考えていなかった。なんか変なことを言うと説明するのが大変そうだなと思いながら、何か説明しやすくてよくある趣味はないかと頭を巡らせた。

 頭を巡らせ始めたのは良いけれど、何も思いつかない。思いつかないから焦ると、余計に頭がこんがらがってくる。

 趣味。好きなこと。毎日やっていること。なんだろ。なんだろう。エインスさんに言っても恥ずかしくないような趣味。

 体感だともう三十秒も経っているであろう頃、ポンっと肩に手を置かれた。

 見ると、エインスさんが立ち止まって僕の方に手を置いていた。

「そんなに考え込まなくても良いのですよ? 趣味というから考えてしまうのかもしれない。それこそ、克人くんの好きなこと、やっていて楽しいことを教えてください」

 そう言われて思考が止まると同時に、さっきまでとは打って変わって、スッと言葉が出てきた。

「読書、です」

 僕の答えを聞いて、エインスさんが窓の方を見た。

 それに釣られて僕も見ると、窓だと思っていたところは扉になっていて、その先には空中庭園が広がっていた。噴水と、いろいろな植物があった。鳥がピピッと鳴いている。

「どうですか? 克人くんの話を聴きながら少し足を休めると言うのは」

「そうですね」

 僕が頷きながら言った言葉を背に、空中庭園に出る扉を開けた。扉を開けた瞬間、鼻をかすめたのは金木犀の香りだった。その香りを嗅いで、なんだか落ち着いてきた。

「金木犀の時期でしたか。この香りは心を安らかにさせてくれますから。お嬢様は古っぽい香りだとおっしゃいますがね」

 そう言って、エインスさんは噴水の縁に腰を下ろして、右隣をポンと叩いた。座れってことかなと思いながら、失礼しますと言って腰を下ろした。

「克人くんはどんなジャンルの本を読むのですか?」

「僕は……」

 ファンタジーが好きだ。

 ファンタジーが好きで、この世界からしたらあっち、向こう側の世界から抜け出して、別の世界に行きたいと思っていた。

 ファンタジーが好きで、いろんな本を読んだ。冒険譚、ライトノベル、魔法ファンタジー。

 なんだかバカにされるんじゃないかと思って、あまり周りには言ってこなかった。

 バカにされないかな?

「やはり、ファンタジーでしょうか。それなら、私もよく読みますよ」

 僕の考えていることを読んだのか、それとも単に分かりやすかったのか。エインスさんは僕の迷いを断ち切ってくれた。

「エインスさんもよくファンタジーを読まれるんですか?」

「ええ。誰しも、物語に出てくる英雄に憧れることもあれば、物語の魔術師を目指してこの学院に入ってくる者もいます。魔法とは、イメージを具現化すること。ある程度の形式に沿って魔法を発動させようとするよりも、願いを魔法に託せることができたると魔法は発動する。だから、ファンタジーをバカにしてはいけない。ファンタジーをバカにするなら、その人は魔法を使えないことを僻んでいるか、或いはよほどその作品が嫌いかのどちらかしかありません」

 カイトさんが前に教えてくれた。魔法を発動するためにはイメージすることが必要だって。

 ファンタジー。想像のお話。

 確かに、子供っぽいだのなんだのとバカにすることは簡単だ。だけど、魔法を使うためにはイメージに縋るしかない。イメージは頭の中で世界を作り出すこと。その世界に願いを託して初めてイメージになる。

 それこそ、白いキャンバスにいろいろな色を重ねて、広げて、自分の思いを乗せるように。

「そういえば、確かなことかわかりませんが、託す願いが強いほど、魔法はその真の力を見せてくれる。もしかしたら、私の思い込みかもしれませんがね」

 魔法の真の力。

 と言うことは、魔法には段階があって、願いの強さによってその先の段階を使えるかどうかが変わってくるのだろうか。

「さて、そろそろ行きましょうか。流石に、鈴の近くとは言え暑くなってきました」

 そう言って歩き出したエインスさんを追いかける。

 扉を潜る直前、飛び込んできたのは甘く優しい、金木犀の香りだった。

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