ちょっ、ちょっと待った

 古宮克人が初めてあっちの世界と関わったのは、小六の夏の初めだった。

 その頃、克人は塾に通っていたので友達と遊ぶことが少なかった(というよりも、居なかったに等しいのだが)。

 そんなボッチの唯一の楽しみは、近くに住んでいるおじいちゃんの喫茶店に行くことだった。

「お帰り」

 僕のおじいちゃんだ。

「ただいま。エスプレッソちょうだい」

 ……。

 いま、これを聞いたほとんどの人が、「ちょっと待ったー!」と言わんばかりにツッコミを入れたのではないだろうか。実際、店内にいた客の内、このやり取りを見慣れている常連さん以外はさっきまでとは打って変わってひそひそ話をしている。入り口近くのボックス席で座っている女子高生達は「なによ、大人ぶって」「腹立たしいよね」という具合に話している。

 確かに、コーヒーと呼ばれる中でも一番苦い淹れ方なので、驚く気持ちも分からなくはない。

 だけど、それは日本人がエスプレッソの本来の飲み方を知らないから、そんなふうに思うだけだ。本来、エスプレッソはカソナード ーいわゆる砂糖ー やミルクをたっぷり入れて飲むもので、本場イタリアでは、カップの底に溜まったカソナードを掬って食べるぐらい多く入れるそうだ。なので、苦いものというより、甘いものをサクッと安く味わいたい人がエスプレッソを飲んでいる。

「わかったぞ。ちょっと待ってろよ♪♪♪」

 おじいちゃんが鼻歌交じりに直火式エスプレッソマシン ーマキネッタを手際よくセットしていく。

 克人は久しぶりにその手さばきを見ていたら、ふとあることを思い出した。

 おじいちゃんの名前って何だったっけ……。

 一番記憶に残っている名前が、別名のコーヒーバカぐらい。確か、常連さんのおじさんが言ってたっけ?由来は、僕の名前をコーヒー豆の名前から取ろうとしたことにあるらしく、僕につけようとした名前を聞いて心底驚いた。だって、コーヒー豆の種類名を無理やり漢字に当てはめようとしていたらしいし、しかもかなりマイナーな物の名前にしようとしていたから、正直呆れるしかない。ていうか、僕の名前決めるときに、小説に出てくる人物の名前にあやかろうとしてたでしょう!

 結局、珈琲とは何一つ絡められそうにない名前を父さんがつけてくれたみたいで、結果オーライかな。

 閑話休題

「ほい、お待たせ。他に何かいる?」

 おじいちゃんに聞かれたので、即答で、

「いらない」

 と答えた。

「そうか。何か欲しくなったら、いつでも言いなよ」

 さっきは結構おじいちゃんをこき下ろしたけど、性格自体はとてもフレンドリーで僕から見れば結構若作りに思える。三十代と言っても別に違和感がないように思える。両親は40ぐらいのはずだから、まあ、絶対30代ではないはずなんだけど。

 一口熱々のエスプレッソを口に含む。

 うん、これ結構美味しい!

「おじいちゃん、今日はどの珈琲豆なの?」

「克人、そういうことは自分で調べてみないと知識にはならないぞ」

 教える気はないみたい。まあ、でも教えてほしいな〜。

「……」

「そんなに知りたいなら、あとでバックヤードに来い!」

「!」

 そんなに顔に出ていたのか……。まあ、頑張らないと。

 ついでに話しておくと、おじいちゃんはには美味しいものを作る。だけど、たまに新作料理と偽って(あながち偽ってないのかもしれないけど)、微妙なものから不味いものまで、色々なよく分からない料理を出してくる。しかも、「焦げ付いてる」とか「味濃すぎ」などの単なる失敗なら料理下手で済む話。技術に問題はないのに味だけがダメ。ピザでアンチョビがないからといって、オリジナルアンチョビを作った時。アンチョビではなくアジを使い、はちみつや、あろうことかイチゴジャムをも使いは始めた。しかも味がまずいとも美味しいとも言えない、えもいわれぬ微妙な味を作っていた。なので、この状況で頼むような馬鹿な真似はしない。頼むなら、自分からちゃんと指定しないと何を出すかわかったものじゃない。ていうか、頼んでもないのに、身内だからって変なもの出さないでよ!

 ……。

 はあ、もういいや。とりあえず塾の宿題やろ。


 ***


 うちに帰った後は夜ご飯食べて、お風呂はいって、あとは寝ている。読書ぐらいはするかな?疲れてるし。

 ベッドの上に寝転がって部屋を暗くする。

「ニャー」

 うちの飼い猫のセロがベッドに上がってきた。ちょうどお腹のところに寄り添うように寝っ転がる。セロがあったかくても、その体温が気持ちよく感じるのは、クーラーが効いているせいなのかな?

 そういえば、おじいちゃんお店を出るときに、

「なぁ、もし俺が魔法を使えたら、お前は俺のことをどう思う?」

 なんて聞かれたけど、あれってどういう意味なんだろ。

 その時は流石に、

「……ハァ?」

 って答えてしまった。「どこの世界の話をしているんだ」という感じだけど、正直、あの表情はふざけているようには思えなかった。

 だんだんと意識がぼーっとしてくる。

 克人は「このことは、明日おじいちゃんに確認しよう」と思って、襲って来た睡魔に身をお任せて眠りに落ちた。

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