第10章 遅れてきた探偵(4)


 関東近郊では、ちょっとは名の知れた探偵、遊佐春樹は何事かと見つめる視線を一身にあびてる事に気付き、にっこりと微笑んだ。

「どうも。初めまして遊佐です」

「あ、はあ」

 こんな状況にもかかわらず、名刺を差し出された一志は、思わずそれを受取った。

「やあ、お会いするのは初めてですね椎名刑事」

「あんたが遊佐さんかね」

 まるで、顔を合わせるのは初めてだが、以前から知り合いのような口ぶりだ。

 僕は父に詰め寄った。

「父さん! 何だっていうんだよ今頃! それに椎名刑事と知り合いなのか?」

 父は本当に申し訳なさそうに首を傾け、それから困った様に頭をかいた。

「……その、実は守屋君から話を聞いて、椎名刑事に電話で話をしたんだよ」

「電話!? 繋がらなかったぞ?」

「すまん。お前からの電話はとらなかったんだ」

「じゃあ……今までどこにいたんだよ?」

「お前の手助けをしてやろうと思ってね」

 父の言っている意味がわからない。

 ただわかったのは、この父親は弁護士の守屋から電話で事件の話を聞いて、僕には内緒で椎名刑事と連絡を取っていたという事だ。

 僕からの電話はとらず、僕に全てを任せっきりにして―――。

 今頃、のうのうと現れた父に、怒りが込み上げてくる。

「何で今頃…」

「うん。お前が何か試したい事があると、椎名刑事に話したそうじゃないか」

 僕は頷く。

 確かに、今夜試したい事がある、と万沙子の部屋へ行った後に、椎名刑事にお願いをしておいたのだ。どうやらその事を、椎名が父に伝えたらしい。見ると、椎名がバツが悪そうな顔で、僕に向かって片手を上げて、数回首を振っていた。僕には内緒で父と連絡を取っていた事を、申し訳なく思っているのだろう。

「でももっと早く来てくれたって…」

 いいのではないか? と睨みつけると、父は「おうい」と廊下に向かって声をかけた。

 狭い入り口から、人垣をかき分けて入って来た人物を僕は見た。

 肩まで垂らした金に近い色の髪。

 濃く描かれた細い眉。

 濡れたように光る、赤い唇。

 黒い下着のような服を着た、派手な女が当惑した様子で部屋の中央に現れた。

 全く知らない女だった。だが、もしかして―――とその名が頭を過る。

「悠里!」

 その名を呼んだのは、やはり脩だった。

「悠里? どうして?」

「おさむ…」

 脩の仕事でのモデルをしているという悠里は、当人もどうしてここに連れて来られたのかわからないといった様子だ。

 当惑気味で、そわそわとしている。

 だが気が付いて見ると、その胸に小さな手帳らしきものを抱えている。一体、父は何故この人を連れてきたのだろう。

 それを聞こうとした時、廊下の方で数人の争うような声がした。

「冗談じゃないわ!」

「でもあれは、どう見たって…」

「そうよ。警察だって、一緒に来てもらうって言ってたじゃないの」

「奈々は関係ないわ!」

「でもね…」

 言い争いをしていたのは、一志とその妻の悦子。そして奈々の母親である文子。それを他人事のように、ニヤニヤと笑って見ている彬。

 どうやら、警察に連れて行かれようとしている奈々を文子が止めようとしているらしい。

「ちょっと待って下さい」

 その争いの輪に、父が割って入る。

 無関係な人間の割り込みに、文子が腹立たしげに父を睨み、吐き捨てる。

「あんたには関係ないでしょ! 何よ! それに関係ない人まで連れてきて!」

 言いながら、悠里も睨みつける。

 すると、父は腕を組み少しだけ首をかしげてみせた。

「おかしいですね。あなた……文子さんと悠里さんは、お知り合いじゃないのですか?」

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