第10章 遅れてきた探偵(3)


 小さな金属音だけが響いている。

 だが、僕の心臓の音は、それよりも大きいのではないのかと思った。

 部屋にいる万沙子と奈々に、この音が聞こえるのではないかと不安になるほどだ。そんな事をしても仕方ないのに、僕は胸を押さえる。

「やだ! なに!」

 万沙子の慌てたような声に、僕も美凪も思わず身を乗り出す。

「やだ。ちょっと止めてよ!」

 何かあったらしい。

 見えないもどかさで、僕は襖の隙間から部屋を覗くが、ここからでは何も見えない。

「奈々!」

 ロープに絡まったのか、それとも上手く上がれなかったのか、万沙子の声は小さいが必死だ。滑車のボタンを止めろと、奈々に伝えているらしいが、その奈々からは何故か返事がない。

「ちょっと…! 奈々! 止めてって言ってるだろ」

「嫌よ」

 たった一言だったが、その声は冷たい響きがあった。

「奈々…?」

「おばちゃんなんか大嫌い。このまま死んじゃえばいいんだ」

「奈々! あんた…大声出すわよ!」

「いいよ。でも誰かが来る前にきっと死んじゃうから。みんなそうだったし」

「わ…!」

 ここまでだった。

 僕は襖を大きく開けると、部屋に転がり込んだ。

 部屋の中央で、ぱっくりと開いた天井裏から引いたロープを、首のあたりに巻き付けられた状態の万沙子が、苦しそうにもがいていた。

 そのすぐ足元で、奈々が状況がわからないといった顔で、ぽかんと僕と美凪を見つめている。

 僕は急いで滑車を引っ張っていたロープを止めて、万沙子の体を支えた。

「美凪も手伝えよ!」

「あ、うん」

 万沙子の大きな体を、僕一人で支えるのは無理だった。

 二人掛かりで支え、僕がロープを緩める。苦しみから開放された万沙子は、大きく息を吐くと、僕を睨みつけた。

「ちょっと! あんたのせいで、酷い目にあったじゃないのよ」

「すいません」

 万沙子としては、死にそうな目にあったのだ。

 怒るのも当然だろう。僕は素直に謝った。

「どうしてお兄ちゃんがいるの?」

 困惑したような声に振り向くと、美凪に両肩を掴まれている奈々がいた。

 まだ状況がわからないでいるらしい。僕と美凪を交互に見ている。

「ごめんね奈々ちゃん。ちょっと話を聞かせてもらってたんだよ」

「どうして助けちゃったの?」

「……」

 奈々は僕の話を、ほとんど聞いていないようだ。

 まるで遊んでいたところを、邪魔でもされたような、不満げな表情だ。

「奈々、あんたよくも…」

 自分をこんな目に合わせた張本人を目の前にして、万沙子は子供相手に睨む。だが当の奈々は軽く瞬きをすると、少しだけ首をかしげた。

「ちょっと失敗しちゃった」

「……奈々」

 こんな状況でも無邪気さが残る奈々に、僕の背中を冷たい汗が流れた。

「そろそろ、いいかね?」

 その時、飄々とした声がして、部屋が急に明るくなった。

 部屋に入って来たのは椎名刑事だった。

 それから佐久間、そして数人の警察官がこちらを覗いていた。

「椎名刑事…」

「ご苦労さん」

 それだけ言うと、猫背気味の刑事は部屋の中央まで移動し、天井を見上げる。

 天井に取り付けられた滑車に、そこからのびるロープ。そして床に置かれた巻き上げる為の装置。それらを一通りゆっくりと見てから、椎名は困ったような顔で奈々に向き合う。

「お嬢ちゃん。これはお嬢ちゃんが考えたの?」

「ううん。おじいちゃんの見たの」

「そう。それはいつ?」

「ずっと前」

 ここで奈々に、色々質問しても無意味だと思ったのだろう。椎名は軽く頭を振ると僕に向かって肩をすくめて見せた。

「どうしたんだ?」

「万沙子!」

 この騒ぎに、家の者達が起きて来たらしい。長男の一志を筆頭に、ぞろぞろと部屋に入って来る。

「何をしているんだ?」

「どういうことなの? 何があったの?」

「皆さん、ちょっと落ち着いて。お静かに」

 騒ぎ出した東郷家の人々を、警察官が押さえようとするが、皆話も聞いてくれない状況だ。たび重なる事件に、皆いつも以上に興奮しているらしい。だがその時、落ち着いた穏やかな声がして、その場は一瞬静かになった。

「こんな夜中に、騒ぐものではありませんよ」

 僕は、聞きなれたその声の主を見て、ぽかんと口を開けた。

「……父さん…」

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