第10章 遅れてきた探偵(5)



 文子は平静を装ったつもりかもしれない。

 だが、彼女の顔色が変わったのは、誰の目にも明らかだった。

「…え、しら、知らないわ」

 声は小さく、うわずっている。

「お知り合い……とまでいかなくても、顔見知りでしょう? ねえ悠里さん」

「あ、あの…」

 悠里はますます困った顔をして、文子と父を交互に見た。

「きちんとお話してくれれば、あなたにご迷惑はおかけしませんよ」

「でも…」

「大丈夫。あなたに非はありませんから」

 そう言って、にっこりと笑いかける父に安心したのだろうか。悠里はもう一度、父の顔を見上げてから、文子を見据えた。

「私……この人と顔見知りです」

「私はあんたなんか知らないわ! 適当な事を言わないで頂戴!」

「ずるいのね! 私にこんな物を押し付けておいて!」

 悠里は手に持っていた、大きめの手帳を文子に突き出した。

「………あんた…それ」

「何だそれは?」

 文子の後ろから、一志らが顔を出す。

「悠里さん。それをこちらに」

「はい」

 手を差し出した父に、悠里はその手帳を素直に手渡す。文子はその場に固まったように、動かないでいたが、目だけは手帳を追っている。

「探偵さん。それは…?」

「これはですね。あなた方のお父さん。つまり東郷正将さんの遺された日記ですよ」

「…え?」

 一瞬、その場は静まり返った。

 そして僕は、やはりと思った。

 やはり東郷氏は日記を遺していた。きっとあの屋根裏に隠していたのだろう。そして、その内容が、もし僕の考えと一致すれば―――――。

「秋緒」

 いきなり大きな手に肩を叩かれて、僕は我にかえる。

 目の前に探偵の父が、立っていた。

「…父さん…?」

「今まで大変だったね。でもそろそろ話さないとね」

「………」

 僕の推理を話せと言うのだろうか?

 無言で父の顔を見ると、僕の言わんとしている事がわかったのだろう。父も無言で頷いた。

 だが―――――。

 僕は、部屋の一番隅っこで、事の成り行きをどうしていいのかわからないといった様子の、 円香を、ちらりと見る。

 顔は蒼ざめている。

 立っているのが、やっとという感じだ。

 もし僕が真相を話したら、彼女はどうなってしまうのだろう―――?

「秋緒」

 さっきとは違い、真剣な色を含んだ声に、僕は視線を父に移す。

「秋緒。ここへ何をしに来たんだ?」

「…それは」

「どんな真相にも、誰か必ず傷付くものだよ」

 僕は俯き、小さく頷いた。

「哀しい事だけどね。だけどそれが私の……君の仕事だ。例え私の代わりに来たとしても、依頼を受けたからには、最後まで仕事をしなさい」

 父はそう言って、僕に手帳を手渡す。

「ここには、多分……君が考えている通りの事が書かれているはずだよ」

 僕は手帳を両手に持ち、見つめた。

 普通のノートよりも一回り小さいサイズだった。

 古く、所々汚れて少し破れている。

 表紙にはタイトルは無く、下の方に「東郷正将」とだけ、あまりきれいとは言えない文字で書かれていた。

「皆さん、少しだけ時間をいただけますか? この事件の真相について、私の息子――秋緒からお話があります」

 父の良く通る声が、狭い部屋に響く。

「秋緒…」

 振り向くと、いつになく不安そうな幼馴染がいた。

 僕はそんな美凪に、ちょっとだけ頷いてみせてから、一歩前に踏み出した。

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