第8章 忘れられない瞬間(13)


「実を言うとね。僕も悠里には困っているんだ」

 僕達の非難するような、好奇心だけのような、そんな視線を一気に受けながら、脩はなんとか言葉を搾り出す。

「さっきも言ったように、僕と悠里はただの仕事上の付き合いしかないんだ。勿論、二人きりで仕事以外の場所で会った事なんかないよ?」

 最後の方は、円香を横目で見ながら話す。

 だが、円香の表情は変わらない。怒っているような、哀しそうなそんな顔だ。

「僕を気に入った……と言ったけど、ちょっと違うかな? 僕というより僕の元に入るかもしれない財産…かな?」

「え?」

 僕が思わず声を出すと、脩は頷いた。

「うん。僕の家の事は…まあ、結構この辺じゃ有名だからね。どういう経路かは知らないけど、仕事の仲間の耳にも入っていたんだ。僕がどうやら莫大な財産を、手に入れるかもしれないってね」

 遺言状の内容を知らなければ、そう思われても仕方ないだろう。

「じゃあ、それを知った、その…悠里って人が脩さんに近づいたってわけ?」

「だと思うね」

 美凪の言葉に、脩は大きく頷く。

「……そうかしら?」

「円香?」

「だって、そんな感じじゃなかったわ。あの人脩兄さんが好きなのよ」

「……まさか」

 その悠里と言う人に、余程酷い事でも言われたのだろうか? 円香はそれでも脩への疑惑をといてはくれないようだった。それにしても、僕にはまだ疑問があった。たとえ脩と、悠里の関係が何でもないとしても、何故彼女は東郷家まで来たのだろう? そして何故誰にも会わず、慌てて帰ったりしたのだろう?

 僕がその事を口にしようとした時。

 聞き覚えのある、大きな声が近づいて来た。










「いやあ、参った! あんなに混雑しているとは思わなかったですよ」

 佐久間は、すでにぐっしょりと濡れているハンカチで、額の汗を拭った。ジャケットは脱いでいたのでわかったのだが、シャツも汗で濡れて、ぴったりと背中に張り付いている。

「すいません。先に行ってしまって…」

 脩が謝ると、佐久間は笑った。

「いえいえ。私がうっかりしてるから…」

 ははは、と笑う佐久間を見て、僕は尤もだと思った。

 曲りなりとは言え、刑事がこんな事でどうするのだろう?

 そんな時、どこからか軽快な音楽が聞こえてきた。

「…誰の? あたしじゃないよ」

 美凪が首を振る。どうやら携帯の呼び出し音らしい。

「あ! 私のです! 失礼!」

 佐久間が慌てたように、ズボンのポケットに手を入れる―――が、そこには入っていないようだった。佐久間はあたふたとシャツのポケットだのを探る。

「……上着のポケットじゃないんですか?」

 僕が指摘すると、佐久間は思い出したように持っていた上着のポケットを探り、携帯を取り出した。

「ああ! そうだったここだったんだ。どうもどうも」

 汗だくになりながら、僕に頭を下げると、佐久間は僕達から少し離れた場所に移動し、携帯を耳に当てた。

 相変わらず騒々しい人だ。

 ベテランといった風の、椎名刑事と違い、まだまだ新人臭さが抜けていないと言った感じだった。それともこの人は元々そういう性格で、何年経っても変わらないのではないのだろうか?

 ぼんやりと電話をしている佐久間を見ていた僕だったが、美凪に頼んで、ダメ元でもう一度父に電話をかけてみる事にした。

 だが結果は変わらなかった。

 すぐに留守電サービスに繋がり、父とは直接連絡は取れなかった。

「やっぱりダメ?」

「ああ」

 心配そうな顔の美凪に、僕は生返事をする。

 こんなに連絡が取れないのは、実ははじめてと言う訳ではない。以前にもあったのだ。だが、何故今回はこんなにも不安になるのだろう? たかだか二~三日連絡がつかないくらいで、自分でも情けないと思う。

「いいですか?」

 後ろから声がして、振り向くと電話を終えた佐久間が、ぬぼ~っと立っていた。

「はあ、何ですか」

「脩さん、悪いのですがそろそろ家の方に戻ってもらいます」

「…え、もう?」

 まだ家を出て二時間程だろうか? まだ散策の途中だったし、行ってみたい場所もまだまだあった。

「何かあったんですか?」

「あの。脩さんのお母さん……が、その倒れられたそうなんです」

「え?」

 僕らは顔を見合わせた。


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